第42話店主にトラウマを植え付けないで
「私たちとの買い物に、そんなに気合の入ったお洒落をしてきてくれるなんて!」
ティアは、馬車のなかではしゃいでいた。隣に座るユシャは、カグラのことを元令嬢らしからぬ好奇心の視線で見つめている。アリアは、その光景に苦笑いするしかない。
「ベリツナ歓楽街から滅多に出ないから、今までは店で着ているような単衣しか必要なかったんだ。さすがに、それでは目立つから体格の似た娼婦の私服を借りてきた。男物は全部が大きすぎて……」
不機嫌そうなカグラは、藍色のワンピースを着ていた。庶民の女性が来ていることが多い形状の服である。足首まで隠すほどに裾が長くて、フリルなどの飾りはない。しかし、シンプルだからこそ着ている人間の素材が問われる。
元々の類まれなる美しさのせいもあって、今の彼は喋らなければ女性に見えた。
普通の女性ならばまとめ上げる事が多い髪は降ろされていて、馬車の振動で無造作に揺れる。それが、風呂上がりの無防備さを連想させて艶めかしい。
今更ながらにカグラの母が東洋人だったことをアリアは思い出した。自分たちとは骨格からして違う華奢な体型だったからこそ、女物の服も問題なく着こなせるのだろう。
ちょっとした買い物ぐらいでは、庶民の女性は化粧をしたりはしない。
それを知っていたらしいカグラは、今日は紅の一つも差してはいなかった。それでいて、そこら辺の女性よりも艶があるのだ。桜妓楼の主にして高級男娼の美貌の底力が、アリアは怖くなった。
適当に女物を着ただけでコレなのだから、真剣に洒落込んだらどうなるのか。カグラの母は傾国の美女と言われていたらしいが、それさえも超えてしまいそうである。
「今日は出来る限り喋らない。さすがに、この格好で男の声は浮く」
本人にも自覚があるらしい。化粧っけのない美貌には、男性の声は違和感でしかない。アリアでさえ、珍妙に思えてしまった。
「それにしても、私もご一緒しても良かったのでしょうか……」
及び腰のユシャは、今日はメイド服を脱いで普段着の姿である。男爵家時代の服を引っ張り出してきたらしく、カグラよりは上等なワンピースを身に着けていた。
ハーレン男爵家は、レイハード王子の一件もあって取り潰しの憂き目にあってしまった。
政略結婚までして守ろうとした家名が消えたわけだが、ユシャ本人はあまり落ち込んでいない。巻き込まれた事件が大きすぎたのだ。
自分の身が助かっただけでも御の字だと思うことにしたのだという。ユシャの夫であるハウリエルや義理の娘や息子がたどった顛末に比べれば、たしかに彼女の被害は優しい方だ。
ハウリエルは息子に譲った財産なども没収され、商会も立ち行かなくなったらしい。義理の娘だったリシエは、ベリツナ歓楽街で娼婦に戻った。
もっとも、リシエに関しては罰せられたことを理解しているのか怪しい。
「ソリシナ伯爵家にメイドとして雇っていただけるだけでもありがたいのに、ティア様付きの使用人になるだなんて」
夫の元に帰ることを拒否したユシャは、引き続きソリシナ伯爵家で働いている。サーリスとティアが結婚したあかつきには、ティア専任の使用人になることも決定もしていた。
これはソリシナ伯爵家に長らく女主人がいなかったために、少しでも貴族社会に詳しいユシャがティアの手伝いをするべきだと判断されたせいだった。ユシャの存在は、ソリシナ伯爵家にとっても掛け替えのないものになっていたのである。
「これからユシャは、私とずっと共に行動するのよ。今から慣れてもらわないと困るわ」
ティアの言葉は、どこか少女じみた甘さが含まれていた。身内に甘えられるならば行幸だとアリアは思う。
これからのティアは、奥方としてソリシナ伯爵家で過ごすのだ。甘えられるほどに慣れ親しんでもらえるのならば、使用人冥利につきるというものである。
「ほら、服屋さんについたわ!」
はしゃぐティアをユシャとカグラに任せて、アリアは馬車に近場で待っているように指示を出す。
伯爵家ともなれば出かけるときには何時でも専用の馬車を使うことができた。乗り合いの馬車をいちいち捕まえる手間は省けるが、買い物の場合は待たせる場所を探すことに苦労してしまう。
三人に遅れてアリアが店に入れば、服屋の店主がとても困っていた。
高貴な婦人ティアとお付きのユシャまでは普通の組み合わせだが、そこに庶民にしか見えない服装のカグラである。
どういった組み合わせなのか分からないし、三人が見ている布地は紳士服用だ。普通なら服を仕立てるときは本人がくるものなので、女性三人が和気あいあいと見物に来ることはない。
百歩譲れば、旦那へのプレゼントの候補を選んでいるとも考えられるかもしれない。しかし、ティアとユシャが布を当てるのは、女性の姿のカグラである。
男性向きの高級な布を次々と当てながら、ティアは大いに悩んでいた。彼女は選ぶのは、正装には相応しくない洒落た布地ばかりである。
「カグラ様なら明るい色だって似合うのに、正式な礼装だと色を選べなくてつまらないわ。いっそのこと数着そろえましょうか」
金持ち特有の思考回路のティアを相手をしきれないらしく、カグラが「どうにかしろ」とアリアを睨んでいる。自分の収入の数ヶ月分はある服を何着もやると言われても普通の金銭感覚では恐ろしいだけだ。
「ティア様。結婚式にまでに仕立ててもらいますから、一着のみが良いかと」
アリアの助言にティアはつまらそうな顔をするが、納得はしてくれた。ただし「カフスとかもしっかり選ばないとね」と言っているので、買い物時間は長くなりそうだ。
「スーツの色は、これにして……。シャツはこれかしら。すみませんけど、寸法をお願いしてもらってもいいですか」
ティアの呼びかけに、店員は「誰のサイズをはかるの?」とアリアに視線で問いかけた。
一見して使用人であるアリアの服選びではないとは分かるが、残りは女性三人衆しかいない。誰のサイズを測ってもおかしい状況であった。
「この人のスーツを作ってもらいたいんです」
ティアは、カグラの背を押した。
店員は、とても困っていた。
カグラの変装が完璧すぎたのが、裏目に出てしまっていた。女性に男性の服を仕立てたがる変な客が、ここに完成したのである。
店が始まって以来の珍妙な客だったが、手に持っているのは高級品ばかり。店としては、絶対に逃がしたくない客でもある。
店員は、対応に大いに悩んだことだろ。
そして、一つの結論を出した。
「女性の店員を呼んできましょうか?」
接客していた男性店員は、気を精一杯つかってくれていた。
採寸については、客と同性の店員が行うのが基本である。客の羞恥心をおもんばかってのことなので、女性にしか見えない客には女性店員をあてがうべきだと考えたのだろう。
しかし、カグラは首を振って断る。
カグラとして見れば、男性慣れしていないかもしれない女性店員に採寸されることを危惧してのことだった。つまり、紳士らしい気遣いである。格好が女性なのが、大問題であったが。
ここでは声を出して男性であることをアピールした方がいいと思うのだが、カグラは決して発語しなかった。ここまでくると何かしらのプライドさえ持っているのではないかと思えるほどだ。
悩みに悩み抜いた店員は、責任者である店長を呼んできた。全ての責任を上司に擦り付けたのである。
上客を逃がせなかった店長は、カグラを店の奥に連れて行く。そこに採寸を行うための小部屋があるのだが、淑女であるティアとユシャは同行しなかった。
店主としては、あとでいちゃもんをつけられたらどうしようと戦々恐々としたことであろう。アリアは自分が同席するべきかとも思ったが、格好だけでも女性のカグラと一緒に採寸部屋に入るのは無理がある。
しばらくして、店長と思しき人間の悲鳴が聞こえた。恐らくは、スカートの中身を見たのだろう。
自分と同じふくらみを見てしまった店長が、アリアは憐れに思えて仕方がない。この事件をきっかけにして、店長が女性にトラウマを持たないと良いのだが。
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