第41話客は元王子を仕込む



「ははっ。苦しんでいるばかりで、意外とつまらないものだな」


 客が娼婦を侍らせながら、息も絶え絶えになっているレイハードを一瞥した。


 客は丸顔の男がやったときよりもずっと乱暴にレイハードの躰の内をかき混ぜて、木の棒を奥深くにまで入れた。口から棒が出るかとレイハードが思ったほどだ。

 

 レイハードは痛みでぎゃあぎゃあと騒いだのに、男は止める気配はなかった。むしろ、こうだろうかと探りながらもいっそう奥まで棒を突っ込んだりしたのだ。加減なんて分からない素人の仕込みは、もはや拷問と言ってもよかった。



 痛みに悶える姿に、客は興奮を覚えていたわけではなかった。人間あるいは動物を痛めつけた時には、どのような気持ちになるかを知りたい。そういう好奇心からの行動であった。


 未知の体験をしてみたいと願った客の顔に、レイハードは見覚えがあった。母親が贔屓にしていた商人の顔である。城に来るたびに上等な毛皮を持ってきていて、それで家族全員のコートを仕立てたこともあった。


 手広く商売をやっているらしく、毛皮だけではなく酒だの筆記用具なども進められたことがあった。


 扱う商品の節操のなさは、本人の好奇心旺盛なところから来ていたらしい。新しい経験をするから、新しいものを売りたくなる。そういう性分だったようだ。


 ともかく、これは自分のとってのチャンスだとレイハードは思った。レイハードが王子だと知っている人物に巡り合えたのだから、好機を逃がす手はない。


「た……助けてくれ。覚えているだろ。毛皮を買ってやった第一王子のレイハードだ。ほら、何度も顔を合わせているだろう」


 客の男は、レイハードには興味を失ったらしい。自分で呼んだお気に入りの娼婦に土産話を聞かせている。自分が無視されたことに、レイハードはかっとなって怒鳴った。


「俺を無視するな!いいから、何が何でも助けろ。俺は、第一王子のレイハードだぞ!!」


 あらん限りの大声で叫んだことで、客はようやくレイハードに視線を向ける。だが、客は「王子は、御一人のはずです」と惚けた。


 王族としての力を失ったレイハードには興味がないと言いたげであった。


 商人とレイハードを繋いでいたのは、所詮は金である。それがなくなれば、相手にされなくなるのは当然のことだ。


「毛皮を調達してくる狩人たちから、大型の動物ほど仕留めがいがあると聞いていたが……。人間をいたぶる程度では、高揚感の再現はできないようだな。すっかり飽きてしまったよ」


 レイハードを十分に痛めつけた客は、残念だったと言わんばかりにため息をついた。そして「やっぱり君との時間が一番だ」と囁きながら、美女の腰を抱き寄せる。レイハードに構うよりも娼婦と遊ぶほうが楽しいと言わんばかりの態度だった。


「毛皮の取引の税金が上がったことを恨んでいるのかよ……。しょうがないじゃないか。国を動かすっていうのは金がかかるんだぞ。富めるところから取って、何が悪いんだ。……くそ」


 レイハードは自分の言葉で、ようやくティアの正しさを理解した。国という大きな単位のなかには、何らかの理由で不平不満を溜め込んでいる者がいる。無償の善意は、その不平不満から身を守るためでもあったのだ。


 商人たちの商売に税金がかけられたとしても、善行はどこかで味方を作る。商人たちが不平不満からレイハードを害しようとしても庇ってくれる人間が、どこかで出来るのだ。


 しかし、レイハードはそれを怠った。彼のイメージは身分に胡座をかいて豪勢な遊びに興じる王子でしかない。そんな人間には誰も恩を感じない。だから、味方もいない。


「仕込みの手伝いはつまらなかったが、新しい挑戦をするところは気に入った。それに、カグラの代になってからは、桜妓楼は益々盛り上がっているようだな。あの子には商売の才能があったようだ。男娼上がりに店の主が務まるかと最初は不安だったが、上手くやっているじゃないか」


 客は「店主を呼んできてくれ」と見張りの女に命じた。見張りの女は立ち上がって、部屋を出ていく。ほどなくして、彼女はカグラを連れてきた。


「お久しぶりです。今回の催し物は如何だったでしょうか?」


 丁寧に頭を下げるカグラに、客は「まぁまぁ、面白かった」と告げた。


「一般受けはしないだろうし、男娼は壊れるから見せしめの罰則でしか使えないと思うがね。まぁ、これからもやってみたいという客は現れるとは思うから検討してみればいい。君は従業員を大切にしているから、これっきりだとは思うがね。私は、君のそういう所も気に入っているんだよ。働き手のことを理解できない経営者というのは、人が離れていくものだからな」


 カグラにとって、この客は先代店主の時代からの顔なじみである。


 商人として非常に優秀であるから、娼館の運営の参考にしろと先代に言われたのだ。たまに現れては、経営者としてのカグラを心配してくれる人でもある。


「君は、昔ちょこっとだけ流行った変わった味がする煙草を見たことがあるかい?」


 客の言葉に、カグラは首を横に振った。


 娼婦たちは身体に臭いが染みつくからと言って、タバコを嫌煙する。それに歯までヤニに染まってしまうから、美しさの大敵と言われていた。


 そんなふうに教え込まれたカグラだから、タバコが大嫌いだ。臭いからしてダメなのである。


「君の世代だと吸ったことはないかもしれないが、昔の味を懐かしがる年寄りが増えてね。若い世代は知らないものだし、新たに販売してみようかと思っているんだが……。味の再現が難しくてね。あの煙草をベリツナ歓楽街で売っていた人間を知らないかな」


 客の問いかけに、カグラは目を丸くした。その煙草は、子供時代のアリアが作っていたものに間違いないだろう。カグラは、あの臭いが大嫌いだった


「僕の知り合いが作っていたものです。今は、別な仕事をしていますが……」


 客は、カグラの返答を予想していたらしい。子供時代からのベリツナ歓楽街にいたカグラは、そこら辺の娼婦よりも街の歴史に詳しい。昔の流行りものとくれば、間違いなく記憶に残っていると踏んだのだろう。そして、アリアの存在まで調べたに違いない。


「君の知り合いに、煙草屋を再開しないかと尋ねてもらえないかな。あの煙草のレシピを知りたいんだよ」


 カグラは、考えるまでもなく答えた。


「彼は、すでに天職を得ています。タバコの作り方については覚えていると思いますので、それを販売するなら売上からいくらかを彼に支払うようにお願いします。それと……タバコ屋の店員には、桜妓楼の元娼婦を雇うのはいかがでしょうか。ベリツナ歓楽街での思い出を懐かしむお客様がいるなら、引退した娼婦との会話をすることを楽しむ方もいるでしょう」


 客の顔が、商人の表情に変わる。


 カグラの返答は、予想外に面白いものだったのだろう。それともアリアへの分け前について、気に入らないことがあったのか。


「たしかに、元娼婦を雇うのは良い案だ。煙草に付加価値がつく。でも、煙草のレシピを知っている男に売上を分けるというのは、ちょっと欲張りすぎかな。友達の懐を潤したいのは分るけどね」


 注がれた酒を飲み干した客は、カグラの次の一手を待っている。交渉事は卓上遊技のようなものだ。互いに、二手三手も先を読み合う。


「僕の知り合いでなければ、懐かしのタバコは作れませんよ。それに無理やり聞き出そうにも、彼自身も強い」


 雇われの破落戸を雇って脅すような話なら、客はカグラまで話を持ってこなかっただろう。煙草のレシピを知っているアリアが、荒事に慣れているのは分かっているはずだ。しかも、伯爵家の使用人というしっかりとした仕事まで持っている。


 使用人の仕事を捨ててまでタバコ屋をやろうとは本人は思わないだろうし、脅してタバコのレシピを聞き出すことも出来ない。困ったからこそ、カグラに話を持ってきたのだ。


「欲のない男ですから、少額で満足するはずです。僕としては、元娼婦たちを雇っていただければ仲介料を取ろうとも思っていません」


 カグラの言葉に、客の表情が変わった。カグラが仲介料を求めると思ったのだろうが、その懸念は不要なものだった。


 今回の商売で、カグラは利益を求めようとは思っていない。


 欲しいのは、引退した娼婦の新たな働き口である。娼婦のなかには客と結婚する人間もいるが、全員がそうではない。大抵の娼婦が使い物にならなくなった身体を引きずって引退することになる。それに女の花盛りは、とても短いのだ。


 そんな彼女らに、新たな働き口を作ってやりたい。


 これは、先代店主からの悲願でもあった。しかし、娼館の運営で手一杯な上に、他の商売の経験もなかったカグラ一人では踏み出せなかった夢でもある。


 手広く商売をしている客の協力を得られるのならば、儲けなどいらないぐらいだ。


「強いて言えば、知り合いが僕に月一で酒を差し入れてくれるのが仲介料の代わりですかね」


 ばん、と客は強く自分の膝を打った。


 その音にレイハードは怯えたようだが、客の方は笑顔である。


 毛皮の取引で猟師と話すことが多いせいもあって、この客は機嫌が良くなると途端に動きが大胆になる。海や山で働く男たちは気性が荒いことが多く、感情の表し方も派手なのだという。客は、それが移ってしまったに違いない。


「なら、店の看板には当時の職人がレシピを監修したと書かせてもらうぞ。それで、取引だ。本人を説得して、後日つれてこい。正式な書類を取り交わす」


 カグラは、客に深く頭を下げる。


 随分と自分の条件を飲んでもらえたので、カグラとしてはほっとしていた。城に卸すほど立派な毛皮を扱う商人にとっては小さな商売かもしれないが、カグラにとっては得るものが大きい。


 最初は少人数しか煙草屋では雇えないかもしれないが、いずれ店が大きくなれば引退した娼婦たちの新たな仕事場としての機能も安定するかもしれない。


「しかし、君は欲がないな。望むものが娼婦の雇用先に知り合いの懐具合。君自身には利益がないだろうに。それに、酒を奢れと言ったところで、君はあまり強くもないんだろう」


 不思議そうな顔をした客に、カグラは笑う。


「僕自身が男娼上がりですから、娼婦たちの引退後は前々から気にかけていました。それは、先代も同じことです。知り合いの懐については、僕が煙草を売るのを辞めさせてしまったので」


 臭いが嫌いだなんて理由で、アリアに商売を辞めさせたのだ。いくら働き口を斡旋したとはいえ、大人になれば無茶なことを言ったものだと罪悪感も沸く


 しかも、アリアは心中の約束まで覚えていてくれている。今でも有効であると言ってくれている。だが、そろそろアリアを解放するときでもあった。


 幼いうちから仕込みを体験したカグラは、自分の人生に何度も襲い来るだろう痛みに怯えていた。死ぬまで痛いのだと怖がり、それを超えられない瞬間がやってくるのだとも思った。 


 母が、そうだったからだ。


 そんなときに共に死ぬと言ってくれたアリアの言葉だけが、幼いカグラには優しさに思えた。アリアとの付き合いが深くなるに連れて、心中を約束したのに彼の人生を奪いたくないと思うようになった。


 自分が死にたいと言わない限りは、アリアは生きている。


 それが日々の活力になり、いくつもの夜を乗り越えるための意地になった。アリアを生かしていると思っていなければ、カグラはどこかで死を選んでいたかもしれない。


 しかし、互いに大人になった。


 子供の頃とは、立場も状況も違うのだ。心中の約束で縛った命を返し、互いに自由な使いどきを設けるべきだ。


「幼いうちから男に誑かすなんて、さすがは桜妓楼の主。それに比べて、こいつは何をやっても醜いね」


 レイハードの体内の中に入ったままになっていた木の棒を手に持った客は、それをぐりぐりとかき混ぜ始めた。獣のようなレイハードの悲鳴が響き、カグラは目を丸くした。素人の客は無理をすると思ったが、ここまでとは考えていなかったのである。


 しかし、カグラは客を止めずにいた。レイハードの身体や精神よりも、客の機嫌を取る方を選んだのである。



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