第40話元王子は身売りのために仕込まれる


 桜妓楼の座敷で縛られたまま転がされたレイハードは、もがき続けていた。リシエにベリツナ歓楽街に連れてこられてからは、ずっと縛られたままの状態である。


 場所については色々と移されたが、レイハードの処遇が決定したのだろうか。桜妓楼に移されてからは、あんなに繰り返された移動はなかった。


「リシエめ……。あいつは、何を考えているんだ。あいつが身体でも売って、俺を養えば全てが解決するだろうに。あの馬鹿女は、そんなことも思いつかないのか」


 レイハードは、リシエに何も教えられていなかった。手持ちの金がなく食べる物さえも買えないと知った途端に、レイハードは歓楽街に放り込まれたのである。


 天涯孤独の上にベリツナ歓楽街で育ったリシエには、一般的な夫婦像がない。病めるときも健やかなるときもなんて知らないので、夫婦で助け合うなんて発想がないのだ。働けないレイハードを自分が養ってやらなければという考えにもならない。


 自分の食い扶持は自分で稼ぐのが当たり前だと思っているのである。


 だが、リシエなりにレイハードのことは考えていた。労働が出来ないと言うのならば、肉体でも売ればいい。


 短絡的な考えとも言えるが、リシエの境遇を考えれば当たり前とも取れる思考回路であった。


 レイハードをベリツナ歓楽街に放り込んだのは、リシエにしてみれば子供を職人に預けて一人前にするような感覚だったのだ。


 今頃はリシエも自分の知り合いを頼って、娼館で働く準備をしていることだろう。自分の食い扶持は自分で稼ぐという考えは、リシエ本人にも適用される。


「……おいおい、ここでは女性を敬って生活しないとだ。桜妓楼の稼ぎは娼館たちでもっているし、ベリツナ歓楽街の賑わいも彼女たちあってのものだ。ここでは、男はオマケなんだよ。よっぽどのことがないかぎりな」


 レイハードの四肢を縛った男は、呆れ顔でベリツナ歓楽街の在り方を語る。


 丸顔がやたらと子供っぽい男だった。人が良さそうな顔をしておきながら、この男がレイハードに行ったことは外道そのものだった。


 レイハードの縄が緩んでいるのを見つけて、きつく縛りなおしたのである。そのせいで、レイハードは縄が皮膚に食い込む苦しみを味わい続けている。


 桜妓楼の店主は、レイハードが客を取れるように身体を慣らすのだと言っていた。信じられない言葉だったが、時間をかけて意味を理解すれば怒りが沸いてくる。彼は第一王子の自分に娼婦の真似事をしろというのである。


 しかし、レイハードは自分の転落運命を侮っていた。桜妓楼の誰かが、レイハードを城に連れ帰ってくれると考えていたのだ。


 父王は、レイハードを許さない。


 しかし、娼館で働いているような人間ならば、そんなことは知らないはずだ。王子であるレイハードの危機を救って、礼金目的で城に連れて行ってくれるに違いないと考えていたのである。


 だが、桜妓楼にはレイハードの味方はいなかった。


 カグラの得意としているのは、人心掌握術である。飴と鞭ときには言葉巧みに集団を一つにまとめることに関しては、五人衆のなかでも飛び抜けている。そのせいもあって桜妓楼で働いている人間が、レイハードを逃がすということはなかった。


「助けろ。おい、誰か助けろ!俺は、この国の第一王子だぞ。助ければ、王が褒美をたんまりくれるぞ!!」

 

 そんなふうに叫んでも桜妓楼の人間は誰も相手にしない。


 カグラとしては、これでも情けを賭けたつもりだった。レイハードが娼館に火をつけたことやティアと婚約破棄をしたことは従業員に話をしていない。


 歓楽街で働く仲間を傷つけた犯人を許す人間はいないだろうし、ティアを傷つけたことでも怒る人間は大勢いるだろう。それぐらいに、ティアは桜妓楼の人間に好かれていた。


「ここには、上客も来るんだろ!そのなかには、貴族だっているはずだ。今すぐに会わせろ!!」

 

 レイハードは叫ぶが、王に見限られた王子に手を貸す貴族はいない。レイハードを助けることで、王の怒りを買うかもしれないのだ。


 その可能性を顧みずにレイハードを助けて、庇ってくれるような貴族はいないであろう。


 レイハードの母方の親族だって、それは変わらなかった。王妃が倒れたことによって政治的な影響力はなくなっていたし、庶民に降格したレイハードに味方をしたところでもはや旨味はない。


「どうして……こうなった。どうしてだ!!」


 レイハードの声が枯れる頃を見計らって、丸顔の男が縄を解いた。ようやく解放されるのかと安堵する間もなく、あっというまに着ているものを剥ぎ取られる。


 追いはぎの経験でもあるのかと聞きたいほどの手際の良さに、レイハードは驚きの声をあげる暇もなかった。


「新しい縄を取ってくれ。今までの縄では身体に傷が残る」


 丸顔の男が声をかけたのは、部屋の隅にずっと座っていた初老の女である。先ほどとは違う縄を用意されて、レイハードはそれで縛られた。


 今までは荒縄であったが、今度の縄は布で作られた縄だ。言われてみれば痛みは和らいだような気がするが、レイハードにしてみればどっちもどっちだった。


 説明もなにもないままに、レイハードの身体は木で造られた男性の偽物に貫かれる。ねじ込まれて突き上げられる苦しみに、枯れたはずの喉から悲鳴があがる。


 痛みと内臓を突き上げられるようなおぞましい不快感に、レイハードは胃液を吐き出した。


 食事を与えられていないのは、これが理由であった。何を食べても吐いてしまう。


「無茶はしていないか?」


 座敷に入ってきたのは、桜妓楼の主であるカグラだ。


 彼の視線は、部屋の隅に座っている初老の女に向けられていた。レイハードが存在を忘れそうなほどに静かな女は、ようやく口を開いた。


「仕込みに問題はありませんよ。手順を守ってやっています」


 初老の女は、仕込みに無理はないかを見極めるための存在だった。元々は娼婦であった見張り役の女にだけには、レイハードの正体を伝えてある。彼女には娼婦や男娼を取りまとめる役割もあったからだ。


 しかし、そのせいもあってレイハードに対して彼女の目が厳しくなってしまっていた。レイハードの悪事を全て知っている見張りの女は、彼の心の底から嫌悪している。


 仲間の娼館に火をつけたあげく、親しくなったティアとの結婚の約束を反故にした最低の男を許せと言う方が難しいのかもしれない。


「……彼は、使い物になりそうか」


 カグラは、丸顔の男にも声をかけた。


 この丸顔の男は顔立ちにも性格にも子犬のような愛嬌があるので、客に好かれている男娼だ。稼ぐ金は申し分ないのだが、不器用な上にがさつだ。皿洗いを任せたら、一日で八枚の皿を割るという記録を叩きだしたことすらあった。


 仕込みは、教える方も慎重さと忍耐力が必要になる。丸顔の男は性格からして合わない仕事なのだが、仕込みをやったことがある人間を増やしたいという考えがカグラにもあった。男娼の数は少ないので、仕込んだ経験のある人間もまた少ないのだ。


 だからといって、娼婦にまで男娼の仕込みを任せられない。仕込まれる男側が羞恥心で身体を固くしてしまうからだ。


 駄目で元々の精神でやっているし、レイハード相手ならば罪悪感もあまり沸かないだろう。カグラは、そう割り切ることにした。将来の従業員相手だったら、こうはいかない。


「こいつは才能がまるでないです。女相手の時だって、相手を喜ばせる手管なんて持ち合わせていなかったんでしょう。近年稀に見るダメ男です」


 丸顔の男の評価は、散々であった。


 最初から才能を見せるような人間などいないに等しいので、丸顔の男は正しくはない。あとで一言いっておこうと考えながら、アリアはレイハードの方を見る。


 レイハードの顔には、激しい怒りと屈辱があった。


 数日前までは、王子様と呼ばれて大事にされていた人間である。そんな人間が最下層に堕ちる準備を整えられているのだから、はらわたが煮えくり返っているに違いない。


「しかも、こいつは女を大切にしないんです。自分勝手で思いやりのない自意識過剰な馬鹿野郎ですよ」


 娼婦たちは娼館に金をもたらす大切な働き手だ。同じように身体を売っても、客の少なさゆえに雑用が主な仕事となる男娼にとっては尊敬すべき相手になる。


 他の男たちだって、多かれ少なかれ同じ考えを持っているだろう。ベリツナ歓楽街での女の地位は、客たちが考えているほど下ではない。


「うるさい!俺は王子だぞ!!こんな底辺で這いずり周っているような女とも男とも違うんだ。お前らは、どれだけ俺を愚弄すれば気がすむんだ!!」


 レイハードが王子だと騒ぎ立てるのは目に見えていたが、ここまで彼が自分の状況を理解していないとはカグラも思わなかった。


 娼館に火を放ったという悪行は、ベリツナ歓楽街では知れ渡っているのだ。そんな場所で王子だと叫べば、怨みを持つ人間に何をされるかぐらいは分かるだろうに。


 せめてもの憐みで身分を隠してやっていた。しかし、それすら自分の行動で無下にするレイハードの愚かさにカグラは頭痛を覚える。彼の我儘や尻ぬぐいに駆り出された人間は、カグラと似たような疲れを感じていたに違いない。


「こいつの曲がった生根は、どうしようもありません。パダン様が経営している蝶が使いたがっていると聞きましたが、上品さを売りにした店では持て余すでしょう」


 幸いなことに、丸顔の男はレイハードが王子であることに気が付いていない。それとも妄言であると思っているのか。


 どちらにせよ本人のがさつさがもたらした奇跡であろう。もっとも、その軌跡は何の役にも立たないだろうが。


 丸顔の男の話を聞いたカグラは、黒い扇で自分の口元をなぞった。


 レイハードの顔立ちは美しく、肉体も均整が取れている。桜妓楼では使えないが、男娼としての素材としては一級品だ。だが、反抗的な態度をされてはどうしようもない。もったいなくともあきらめるべきだろう。


「仕方がないか……」


 この手はあまり使いたくなかったが、とアリアは内心で呟いた。


「最低限の仕込みが終わったら、例の客の相手をさせる。生意気な人間を従わせたいと言ってうるさい客だ。そこで変われば良し。変らなければ、その客の相手を壊れるまで勤めてもらうだけ」


 カグラの客の一人には、危険な思考を持つ人間がいた。その客は、生意気な娼婦や男娼の存在を来訪たびに尋ねてくる。


 非合法な組織に属している乱暴者の客は、若いころは夜の相手を殴り殺していたそうだ。高級品の味を知ってからは、その趣味はなりを潜めていたが時より衝動が抑えきれなくなるらしい。


 面倒な客ではあるが、きっちりと金は払ってくれる。若い頃には他の娼館で問題を起こしたこともあったが、分別を身に着けた今となっては問題を起こしたこともない。ただし、性格はねじ曲がったままだ。


 あの客であれば、レイハードを痛めつけるだけ痛めつけることであろう。事前に連絡でもしたら、手下まで連れてくるかもしれない。自分で言っておきながら、あまり良い趣味ではないないなとカグラも思ってしまう。


 けれども「使い物にならなかったから、放り出しました」といかないところが、レイハードの難しいところだ。レイハードを男娼として仕込むという決定の根底にある感情は『仲間の娼館に火をつけた相手を痛めつけたい』という復讐心だ。


 そんな怨みを買っている人物を放り出せば、今度は桜妓楼がやり玉に挙げられるだろう。いっそのこと蝶のパダンにレイハードを引き渡したいが、仕込みが終わっていない男娼など受け取り拒否されるのが目に見えている。


 いや、バラバラにして捨てるから始末料を払えとパダンなら言ってくるだろうか。現実逃避も兼ねて、そんなことをカグラは考えていた。


 丸顔の男は、レイハードに対して同情の眼を向ける。


「体を壊してからの物乞いか……。冬を超えられたら運が良いってところだな。パダン様に怨みをかったばっかりに、こんなことになって」


 丸顔の男は、レイハードがパダン相手に借金を踏み倒したと考えたらしい。男娼なんて扱ったことがない蝶でレイハードを欲しいと言っている事から、そのように思ったようだ。


 丸顔の男の言葉に、レイハードの顔が真っ青になっていた。物乞いという言葉が信じられないらしい。


 レイハードは男娼の仕事なんかをさせられることが、最も悪いことだと思っていた。しかし、物事にはさらに最悪なことがあったと気が付いたのだ。


「そんなことになる前に、リシエが来るはずだ。あいつと俺は夫婦なんだから、見捨てるはずがない……」


 リシエ本人が桜妓楼に放り込んだのだから、救いの手などは差し向けないだろう。


 レイハードを助けるという選択肢が自分にあることすら、リシエは知らないかもしれない。


 働けなくなったら、人生はそれまで。それが、リシエが知っている生き方のはずだ。


「カグラ様」


 ずっと黙っていた見張り役の女が喋りだす。


「今夜お見えになる方のお客様に、仕込みの手伝いを是非ともやってみたいと言っていた方がいらっしゃいました」


 見張り役の女の言葉で、カグラはとある客の顔を思い出す。


 嗜虐趣味を持った客ではないし、男が好きというわけでもない。けれども好奇心は旺盛で、桜妓楼でしか行われない男娼の作り方に興味を持っていた。


「どうせならば、少し任せてみてはいかがでしょうか。素人の手でいたされて、どんな事になるかは分かりませんが」


 見張り役の女としては、レイハードにもっと苦しみを与えてやりたいらしい。丸顔の男は雑ではあるが、力加減というものは知っている。自分がやられた事があるから、少なからず同情心だって持っている。


 力加減の分からない素人がやるよりは、ずっと優しいのである。面白半分の客に任せたら、間違いなく今よりも酷いことになるだろう。立ち会うことになる見張りの女だって、それを止めないはずだ。


「……店の裏側は、あまり客に見せたくはないんだが」


 カグラは、しばらく考える。


 レイハードは未だに痛みにもがきながら、自分の行く末におびえていた。今後の事は予想がつかないが、自分にとって不利な状況になっていくことだけは分かったのだ。


 自分の何が悪かったというのだろうか。


 何も悪くはなかったではないか。


 悪いのは、自分を騙したリシエたちなのだ。彼女こそレイハードの苦しみを肩代わりするべきなのである。レイハードのなかでは怒りが沸いていたが、もはや感情を爆発させる力はなかった。


 身体の内側からは常に鈍痛がして、頭もくらくらしている。良くない事が起こっている予感がした。肉体が悲鳴をあげるとは、まさにこのことだ。


「話の分かる人ではあるし、今回だけと言ってやってみるか……」


 カグラの判断に、見張り役の女の顔が輝いた。ティアの仇が取れたとでも思ったのかもしれない。

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