第32話アリアの心中相手
レストニアの罪が正式に確定し、ティアは晴れてサーリスの婚約者となった。実家のアセニシア伯爵家は家名こそ残りはしたが財産のほとんどを没収されており、勢力を盛り返す可能性はないであろう。ティアの兄や母は、当主のレストニアの計画など知らなかったと証言をしたらしい。
それが真実かどうかは分からないが、没落の原因を作ったとも言えるティアを家族は受け入れることが出来なかった。真の罪人はレストニアではあるが、アセニシア伯爵家の今後は苦難の道となる。そんなときにティアを家族に再び迎え入れたら、一族の他の人間に示しがつかない。
そのような理由もあって、ティアは実家と事実上の絶縁状態である。今は婚約者としてサーリスの屋敷に住んでおり、穏やかな日々を送っている。
アリアとしても未来の女主人が不安を抱かないように、ティアに使えていたつもりだった。そんな日々の中で、ティアは「どうしても」とサーリスとアリアに頼み事をしてきたのだ。
「桜妓楼に行きたいだなんて我儘を言って、ごめんなさいね。でも、どうしてもカグラ様に会いたかったの」
ティアは馴れた様子で、桜妓楼の主人の部屋で茶の準備をしていた。
カップや茶器の収納場所、はたまたカグラの茶の好みまで覚えてしまったティアの手際は舌を巻くものがある。さらについでとばかりに、彼女はカグラの衣装の手入れまでしようとしていた。
アリアは必死になって、ティアを止めようとした。主人の婚約者となったティアに雑用などさせるわけにはいかない。だが、ティアはどこ吹く風というふうに仕事を始めてしまっていた。
「ここにいた頃は、お茶の準備や服やアクセサリーの手入れは私の仕事だったの。頼まれたら、娼婦の皆さんの衣装のほつれを直したりもしていたわ」
預かり物の令嬢だったというのに、カグラは容赦なくティアに仕事を与えていたようである。暗いことをうじうじと考えているよりは、手を動かしていた方が良いと考えたのだろうか。それにしても、伯爵家の人間を顎で使いすぎである。
見た目こそ東洋人の特徴が色濃いが、カグラの父は桜妓楼の客のはずだ。アリアと同じくこの国で産まれ育ったと言うのに、カグラは身分制度というものを理解しているのか怪しい。
「桜妓楼では、堅苦しいことはなしよ。それに、ここでは一番偉いのはカグラ様なのよ」
そう言ってティアは笑っているが、たかが娼館の主を「様」付けで呼ぶのは如何なものだろうか。今となってはティアの方がカグラより身分が上なので、アリアとしては止めてもらいたい。
なにせ、ティアはソリシナ伯爵家の屋敷であってもカグラに「様」を付けているのである。
屋敷の人間はカグラの正体を知らないので何も言わないが、アリアにしてみれば恐れ多いので止めて欲しいばかりだ。主人の婚約者が知り合いを様付けで呼んでいるだなんて、根っからの使用人のアリアにとっては受け入れがたいことだった。
「それにしても、カグラ様は遅いわね。お店の人に御茶菓子を持っていくように言われたら、すぐに来ると思っていたのに」
ここに来る前に、桜妓楼で働く人間にティアは声をかけられていた。アリアがはらはらするほどに親しげな様子で桜妓楼の従業員とティアは挨拶をして、ついでとばかりに「カグラ様にお茶請けのお菓子を持って行って欲しい」と頼まれたのである。
本日のティアは伯爵家の人間に相応しいドレス姿だったのだが、従業員には見えなかったようだ。そして、ティアは茶請けの菓子を見て、どことなくがっかりしていた。
なんでも、東洋人が集まる桜妓楼ではクッキーなどの定番の菓子は不人気らしい。だからといって、故郷の味は簡単には手に入らない。
従業員たちは寂しい気持ちを抱えながらもクッキーを齧るのだとティアは語っていた。
なお、クッキーは桜妓楼内で焼かれたものらしい。娼婦たちは基本的に住み込みであり、客に料理や酒を出すことも多いので桜妓楼のような大きな娼館には厨房が必ず設置されているものらしい。
アリアでさえ初めて知った情報であった。カグラや娼婦といった人間が食べている菓子類は、全てが客の手土産だと思っていたのだ。
ティアが桜妓楼にいたのは短い間だと思ったのだが、アリアが考えていたよりもずっと馴染んでいたようだ。しかも、店内には知り合いどころか友人のように気軽に話せる者たちも多かった。
もしかしたら、ティアはカグラの右腕になるような未来があったのではないだろうか。
状況的にはあり得なかったのかもしれないが、そんな未来でもティアとしては満更でもないようだった。
「今のベリツナ歓楽街は、ちょっと騒がしいことになっているんです。なんでも、レイハード元王子が男娼になるためにベリツナ歓楽街に乗り込んできたとか」
桜妓楼の娼婦たちはまだ知らないだろうが、その問題に五人衆はかかりきりなっているようである。もっとも、アリアの言うことも全てが正しいわけではなかった。
正確には、リシエがレイハードを引っ張って連れてきたらしい。
娼館に火をつけたレイハードの悪事を忘れていない五人衆の剣呑な雰囲気を余所に、リシエは「ここでも生きていけるように、男娼として躾けてあげて欲しいんです。この人は、身体以外に何も持っていないから」といって夫のはずのレイハードを置いていた。
残されたのは、状況を理解できていない五人衆と脅えるレイハードのみだったという。
後から調べればレイハードは王から勘当されて、平民の身分に落とされていた。資産どころか持ち金すらない状況であり、成人に達しているにも関わらず労働をした経験もない。金を持っていないし、稼げるあてもないという状況だったのである。
度重なる協議の結果、レイハードはベリツナ歓楽街で過ごさせることにした。
火をつけた娼館への支払いは、五人衆の一人であるパダンがすでに取立てをしていた。だから、賠償金を稼がせるわけではない。
娼館を燃やした賠償金を身体で稼げというのは、そもそも無理がある話だ。
五人衆はリシエとレイハードが夫婦であることに着目し、妻が無償で夫を互助会に譲り渡したと解釈することにしたのである。
かなり無理のある話だとアリアでも思ったが、前代未聞の出来事だった。五人衆としても落とし所を付けなければならなかったのだ。
男が男娼として働けるようになるには、仕込みという準備と練習をする必要がある。娼婦にも必要になってくることだが、女性の方が圧倒的に楽な作業である。
女性の肉体は、最初から男を受け入れられるように出来ている。避妊の知識と度胸に決意。最低限でも、その三つさえそろえれば女は娼婦になれた。
その一方で、男は客である男を受け入れるようには出来ていない。だから、慣らす行為が必要不可欠になる。
男娼の仕込みのノウハウは桜妓楼にあるが、別に独占しているわけではない。必要と言われたら知識も人材も貸し出すとカグラは言ったのだが、結局は桜妓楼でレイハードを預かることになった。
早い話が押し付けられたのである。カグラとしても自分のところで預かったティアが発端になっているので、強くでることが出来なかったのだろう。
桜妓楼では東洋人しか扱わないので、レイハードの仕込みが終了したら高級娼館である蝶が身元を預かることになった。
経営者のパダンが、実験的に男娼を扱いたいと手を挙げたのである。だったら自分のところで仕込めとカグラは言いたかったであろうが。
「それにしても……レイハード王子が男娼の仕込みだなんて」
何をどうやるのかをアリアは詳しく聞かないことにしているが、過去にカグラが漏らした話によれば辛い日々が続くらしい。顔だけの王子であったレイハードが、それに耐えきれるのだろうか。
「……レイハード様が男娼!」
さすがのティアもアリアの話には、目を見開いていた。
「モノになるかは分からないらしいですよ。仕込みは過酷極まりないという話ですから。小さい頃のカグラさえ弱音を吐いていたというし」
肉体的に大きな負荷がかかり、心理的にも抵抗感が拭えない行為。
そのような試練をレイハードが乗り切れるとは思えないが、男娼として使えないとみなされたら仕事はないだろう。
元王子に娼館に下働きが出来るとは思えない。身体を売るという仕事しかレイハードには残されていなかった。
「カグラ様が弱音をはいたって……。どれぐらい過酷なのかしら」
それについては知らない方が良いとアリアはしっかりと伝えた。
幼い頃に好奇心が勝って、訓練の一部をカグラから聞いたことがあったのだ。アリアでさえ聞いたことを後悔する内容だった。話を聞くだけで気が遠くなる思いをしたのは、今も昔もあの時だけだ。
「そう言えば、あの頃だったか。心中の約束なんてしたのは……」
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