第31話僕らは人だった



 アセニシア伯爵家の当主スレトアは、桜妓楼に乗り込んでいた。下働きの人間が止めるのも聞かないで、いつも利用する一番上等な部屋に押し入る。


「お待ちしておりました」


 部屋で待っていたのは、桜妓楼の主であるカグラだ。丁寧に頭を下げる彼は、スレトアの贈り物を一つも身に着けてはいなかった。それだけで、スレトアは己の考えが正しかったと知る。


「お前が、リリンダと共謀してティアを隠していたのか!!」


 ベリツナ歓楽街は客として遊ぶならともかく、個人的な頼み事をするなら特別な伝手が必要だ。


 店にたっぷりと恩を売るか。


 娼婦の心を奪ってしまうか。


「お前とリリンダは、ティアに惚れていたのか!だからこそ、私を落とし入れようとしたんだな!!」


 スレトアの怒声が響くなかで、カグラは目を細める。


 主人の気まぐれの前戯のために好きでもない己を抱いていたリリンダは、間違いなくティアを慕っていた。そうでなければ命をかけてまで守ろうとは思わないだろう。


 そして、カグラの方はリリンダに情を持っていた。色恋ではなく、主人や運命に逆らえずにいるリリンダに同情していたのだ。


 リリンダは、ベリツナ歓楽街の娼婦たちよりも地獄に近いところにいた。


「なんとか言え!今までに散々可愛がってやったのに、恩を仇で返しおって!!」


 憤慨するスレトアの顔を見て、カグラはふと思い出す。そう言えば自分の初めてを買った客は、若き日のスレトアだった。あの頃は前戯に使用人を使うだなんて、おかしなことをやってはいなかったと思う。


 いいや、あの頃から性癖はねじ曲がっていたか。七歳だったカグラを欲して、先代の店主に無理に話を通したのはスレトアだ。


 女ならば初潮が来なければ娼婦として使わないという取り決めがあったが、男娼には仕事を始める時期の取り決めはない。だから、問題はないだろうとスレトアは言ってきたのだ。


 客を受け入れるための仕込みよる苦痛や客との行為が、カグラの未熟な肉体と精神にどれほどの負担を与えたかをスレトアは考えたこともないだろう。


 親代わりだった先代店主はカグラの肉体を慮って、十三歳までは客を取らせないつもりだった。けれども、スレトアは圧力をかけてまで幼いカグラを抱いたのだ。


「お前が……」


 ぽつりとカグラが呟く。


「あまりに僕らを人とは思っていなかったので、思い知らせてやりたかった」


 カグラを抱いていた時のリリンダの気持ちなどスレトアは考えたなどないだろう。罪悪感と拒絶の瞳が、今でもカグラの躰に染み付いて離れない。


「お前らなど……所詮は、地を這うだけのドブネズミと変わらんだろうが!消耗品にすぎん!!」


 スレトアの拳が振り上げられる。その瞬間に、襖が開いた。そこにいたのは、ティアと護衛のアリア。そして、役人たちであった。


「アセニシア伯爵家スレトア伯爵。レイハード第一王子の婚約者であったティア嬢の暗殺を企てた容疑で、裁判まで身柄を拘束させてもらいます」


 役人たちは、スレトアを取り囲む。役人たちのなかには兵士の姿もあり、いくら暴れたところでスレトニアが逃げることなど出来ないだろう。


 それに、すでに逃げ場などないはずだ。


 自身の屋敷には、すでに別の役人たちが向かっているだろう。屋敷に立ち入ることが出来なければ、国外に逃げ出すにも資金を用意することも出来ない。


 そもそも落ちぶれることが決定したスレトニアに手を貸す人間などいない。


「ティア、分かっているのか。私が逮捕されたら、アセニシア伯爵家は力を失う。私の跡を次ぐ予定の兄に苦労をかけるのだぞ!第一、貴族の娘ならば家のために死ぬ覚悟を持つのが普通だろうが!!」


 父親の言葉に、ティアは毅然とした態度で言い返す。


「最初こそ、家族に裏切られたことに絶望しました。死ぬほどに辛かった。……けれども、たくさんの人が私を生かそうとしてくれた。出来る限り幸福な方に、私を向かわせようとしてくれた。その方々を思えば……家のためとはいえ死を選ぶことは出来ません」


 娘の言葉に、スレトアは唇を噛んだ。


 どこで間違ったのかをスレトニアは考える。


 リリンダや他の使用人たちにティアの暗殺を命じたときだろうか。いいや、違うであろう。レストニアの計画は、別の場所から狂い始めていた。


 カグラがティアの保護を頼まれた時に、レストニアの計画は狂ったのだ。


「……殺してやる。道連れだ!」


 スレトアは役人を押しのけて、カグラに手を伸ばした。その手は、カグラの首に向かっている。


 首筋に両手に届けば、あらん限りの力でそこを締め上げるつもりだった。しかし、その前にスレトニアの目の前に銀色に光るものが現れる。


「悪いな。そいつの心中相手は、俺なんだよ」


 スレトアの目の前に突きつけられたのは、小ぶりなナイフだった。衣服に簡単に隠せるほどの大きさナイフだったが念入りに研がれており、人の頸動脈ぐらいならば簡単に切り裂くだろう。


「……覚えていろ。……覚えていろ、ティア、カグラ!いつかお前らを破滅させてやる。私がここで終わるような男だと思ったら、大間違いだからな!!」


 スレトニアの怒声が響き渡るが、それに言い返す者はいなかった。役人たちは粛々とした様子で、スレトニアを部屋の外に連れていく。


 ここで、ティアの戦いは終わったのだ。



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