第28話貴族は覚悟の拳を握る
「自分から婚約破棄をして、再び婚約するなんて……。レイハード王子は、ティア嬢の気持ちを考えてはいないのですか!」
主であるサーリスの声が聞こえてきて、アリアは心臓が飛び出るほどに驚いた。振り向けば、共も付けずにサーリスが歩いてくる。
アリアは頭が痛くなった。
馬車で待つようにと散々言ったのだが、主はちっても守ってくれなかったようである。ユシャを馬車に残してきたのは、女性の彼女に歓楽街を歩かせるのは危ないと判断したからだろう。ついでに、彼女の護衛も兼ねて御者まで置いてきたようだ。
「貴族の護身術なんて、あんまり役に立たないのに……」
乾いた笑いを漏らしながら、アリアは呟いた。サーリスは貴族のたしなみとして剣を習っているが、それはあくまで習い事の域をでない。普段から鍛えていたり、喧嘩を繰り返す荒くれ者たちとは体力からして敵わないだろう。
そこを実感していないところが貴族なんだよなぁ、とアリアは内心で考えた。サーリスは良き主で、尊敬できる相手だ。しかし、貴族の子息らしい世間知らずなところがある。
この瞬間が、その証拠である。
「貴族らしくない貴族ばかりが周りにいるようだが、そういう相手は大変だな」
カグラの言葉を聞いて、そういえば自分の周囲にはそういう人間しかいないことにアリアは気が付いた。ユシャは勿論のこと、ティアだってカグラの面倒を文句を言わずに見ている貴族令嬢らしくないところがある。サーリスは普段は模範的な貴族令息なのだが、自分に自信があり過ぎるせいもあって大胆になることがあるのだ。
「答えてください、レイハード王子!ティア嬢をどのように思っているかを!!」
サーリスは、貴族のあるまじき態度で怒鳴った。
貴族が王族に歯向かうなど異例なことである。貴族の特権というのは、王に許されているからこそ維持できているものだ。王がその気になれば、貴族の特権や権利を奪う事だって可能なのである。
無論、実現には様々な問題が積み重なる。それでも、貴族たちは自分たちを守るためにも王には逆らうことはない。
だが、今のサーリスはなにも恐れてはいないようだった。それほどまでに、レイハード王子の横暴を許せなかったのだ。
サーリスの行動に、アリアは生きた心地がしなかった。王族に無体を働いたのが、アリアであれば自分一人が処刑されるだけですむ。
しかし、サーリスは違う。
サーリスの行動には、ソリシナ伯爵家の命運が関わるのだ。それぐらい彼の行動は重いし、たくさんの人間の人生にすら関係している。
普段のサーリスならば、それがよく分かっている。だからこそ、サーリスは模範的な貴族を演じるのだ。ソリシナ伯爵家に関わる全ての人間を守るために。
「……アリア、私も大切な人のために殴らせてくれないか?」
サーリスの申し出に、アリアは目を見開く。そんなアリアの表情を見たサーリスは、自虐的に笑った。
「貴族として許されない事だと分かっている。けれども、この怒りを胸に収めてはおけない」
サーリスの顔には覚悟があった。今の彼には、王族を傷つけるという意味がよく分かっている。だとすれば、アリアには止める権利などない。
アリアは最後になるかもしれないという思いを込めて、カグラの髪の一筋を指に絡めた。それをすぐに解いて、アリアは主に跪く。
「今後、なにがあってもお供します」
王族に無体を働いた罪でサーリスが罰せられるようなことがあれば、アリアも運命を共にすると決めた。例え、死罪を言い渡されても主についていくつもりだ。カグラとの心中の約束は守れなくなるが、大人になった今だったら許してもらえるだろう。
レイハードは、アリアに殴られた顔を抑えていた。時間が経って患部が腫れ上がった痛々しい姿で、彼はみっともなく叫び声をあげる。
「何故、俺が責められる!俺は俺なりに国のことを考えていたし、むしろリシエの騙された被害者だ。誰も、それを理解しないのはどうしてだ!」
レイハードの言葉に、サーリスとアリアは言葉を失った。リシエに騙されたとレイハードは喚いているが、それ以前に彼は自分の判断や行動がどれほどの人間に影響を及ぼすのか理解してない。
サーリスの行動がソリシナ伯爵家に影響を及ぼすように、レイハードのおこないは国や国民の行方を左右するのだ。それを理解していないというのは、王族として致命的だ。
「あなたを……王族として崇めることはできない。それ以上に、同じ男として許すことが出来ない。あなたのせいで、ティア嬢は傷ついた」
サーリスは拳を振りかぶって、馴れていない様子でレイハードを殴った。腰の入っていない拳には、迫力も勢いもない。
いくら護身術を習ったと言っても、人間を殴った経験などサーリスにはない。戸惑いが現れた拳は、子供が喧嘩をするより優しい威力しか生み出さなかった。それでも狙いだけは的確で、レイハードの顔は本日二度目の的となる。
「もう……どうしろというんだ」
サーリスに殴られたレイハードの瞳には、涙が浮かんでいた。その様子は、あまりにも情けない。国を背負った王族の姿には思えない姿こそ、肩書きという名のメッキが剥がれたレイハード自身であった。
「俺は、愛する女と結婚したかった。それだけだったのに、どうして上手くいかないんだ。愛のある結婚なんて、庶民でもやっていることじゃないか……」
教えてくれ、とレイハードは呟く。
「どうして、俺は愛する女に裏切られたんだ?」
男と女が偽りの愛を囁きあうベリツナ歓楽街のなかで、レイハードは真実の愛について尋ねる。相手を裏切ることがない運命的な愛の正体やそれを得る方法。そういうものをレイハードは知りたかったのだ。
愛の答えを口にしたのは、ベリツナ歓楽街で生まれ育ったカグラだった。
「庶民だろうと貴族だろうと……純粋な愛なんてない。人は愛の前に、立場や事情を持っている。愛は、それに追随するもの。愛だけでは、何も成り立たない。けれども、そこに情や温もりがないわけではない」
純粋な愛も永遠の愛もないとカグラは言う。
それ以外の感情に付き添うようしてに生まれてくるものが愛である。そのように語り、レイハードに憐みの視線を投げかける。
「お前は、愛だけを信じ続けた。愛以外の感情や情を向ける前に、相手に愛しているだなんて言ってしまった。それは、女を金で買ったのと同じだ」
ベリツナ歓楽街で過ごす誰もが、カグラの言葉に反論することは出来ない。ここは金で愛を買うことができる場所であり、同時に愛以外の感情がない街でもある。
「お前は、ベリツナ歓楽街で行えることをしたに過ぎない。ここにあるのは、偽りの愛と恋だ。ならば……答えは分かっているはずだ」
カグラは、フーチスに視線を向けた。
その視線の意味をフーチスは的確に読み解いて、座り込んでしまっていたレイハードを担ぎ上げた。大柄なフーチスと共にいれば、レイハードの身体など余りに頼りない。
「パダン、馬車を貸してくれ。これでも、レイハード様は王子だ。だから、城に運ぶには一番上等な馬車でないとな。ベリツナ歓楽街で一番高価な蝶の馬車ならば、問題はないだろう」
国に兵士として仕えていたフーチスの指示は素早く、彼の過去が隊長であったことを匂わせる。
現役時代のフーチスは、レイハードを見知っていたのだろうか。アリアは、そんなことを考えた。
「残りの兵たちを運ぶのは、天使の休憩所の馬車を使う」
フーチスに提案に、パダンは嫌そうな顔をする。
高級店の蝶が使っている馬車は、ベリツナ歓楽街になかでは一番格式高い作りをしている。王子を運ぶのならば使わない手はないだろう。
「では、わしは焼けた娼館の被害を確かめるか。怪我人の手当ては、イチヤの方で頼むぞ」
セリアサは、住民と客の力を合わせて火を消した娼館を見た。娼館は全焼はしていないが、修理しなければ客を入れるどころか従業員も入ることが出来ないであろう。
「この分だとしばらくは営業できぬか。まったく、男の悋気ほど面倒なものないのう」
セリアサは、大げさにため息をついた。そうでもしなければ、やっていられなかったのだ。死者はいないだろうが、商売が出来なくなると言うのは金銭的な苦難を強いられる。
燃やされた娼館は中規模のもので、従業員である娼婦を維持しながらも店を再建設するのは大変であろう。いや、下手をすれば負債だけを抱えて潰れてしまう。
「金勘定は、パダンの領域じゃ。後で知恵を借りんとな。娼婦たちに関しては、店の再建まで別の娼館で面倒をみてやらんと……。ああもう、やることが多すぎるのじゃ!」
これからの算段をしながら悲鳴をあげるセリアサを見て、イチヤも苦笑いをする。
セリアサは交渉事。イチヤは戦うことを得意としている。金勘定についてはパダンが一番得意としていて、娼館の立て直しなどは彼女の専門である。だが、パダンは自分の娼館の馬車を出さなければならないので、しばらくは忙しいだろう。
専門家が動けないといっても、イチヤたちは休んでいるわけにはいかない。焼け出されたと思しき娼婦たちに声をかけて、事態の鎮静まで自分が経営する遊技館に行くようにイチヤは指示した。
娼婦たちは薄着のままで、下着姿の者だっている。いつまでも寒空の下には置いておけないし、ひとまずは落ち着く場所が必要だ。
「この辺りの清掃や被害の確認は、桜妓楼の用心棒や雑用係の男たちにやってもらう。桜妓楼が、このなかでは男手が一番多い」
桜妓楼に帰って、男たちを呼ばなければならない。だが、その前にカグラにはやることがあった。
カグラは、改めてサーリスに向き合う。そして、膝を折って出来る限りの敬意を示した。
アリアは、その姿に驚きを隠せない。このようにカグラが誰かに礼を取る姿を初めて見たせいだ。
「お初にお目にかかります、サーリス様。僕は、桜妓楼の主でカグラと申します。あなた様を待っている方が桜妓楼に滞在しているので、よろしければ足をお運びください」
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