第26話ベリツナ歓楽街五人衆登場


 アリアの耳に、ぱちぱちと場違いな拍手の音が聞こえてきた。この場にいた全員が同じらしく、拍手をした人物に注目が集まる。


 そこのいたのは、かなり小柄な女であった。十歳前後の少女と言っても信じられるほどの身長で、顔立ちも幼げである。彼女が大人の女性である証拠は、胸部に付いた二つの巨大な膨らみぐらいだった。


「兵士などという無骨な奴隷は、ベリツナ歓楽街に呼んだ覚えがないのでな。さて、かわゆい奴隷に躾なおしてやろうかのぅ。わしを主人と崇めたほうが、幸せになれるぞ。なにせ、我の鞭は無限の快楽を引き出すからのう」


 少女のような女が持ち出したのは、彼女には似合わないバラ鞭だった。鞭のなかでも激しい痛みを伴う鞭は、普通ならば大型の家畜にしか使用しない。あまりに激しい痛みを伴うからである。少女は、それを躊躇することなく兵士に向けて打った。


「はうぅん!!」


 一撃で皮膚を切り裂く鞭に、兵士の一人が悲鳴を上げる。場を凍らせるような色っぽい悲鳴であった。この緊迫した場に似つかわしくない声をあげた兵士は、四つん這いになって痛みに耐えながら震えている。


 アリアは気が付きたくなかったが、兵の興奮の印を見つけてしまった。戦闘で男が興奮状態になることは、さほど珍しくはない。癖がついてしまって困っている人間がいると聞いたことがあるほどだ。


 しかし、兵は鞭で叩かれただけで興奮状態に陥ったのである。どんな鞭の使い方をすれば、このような恐ろしい事態になるのだろうか。


「わしの名は、セリアサ。『美女の戒め』の店主にして、ベリツナ歓楽街の五人衆の一人じゃ」


 ばしっ、と鞭の音が響く。


 見た目こそ少女のようなセリアサだが、その調教の腕は本物だ。彼女によって奴隷に墜ちる喜びに目覚めた男たちは多く、奴隷となった者はセリアサに罵られ踏みつけられることを至高としていた。


 セリアサが経営する『美女の戒め』は、痛みと服従で快楽に誘うことを得意としていた。その頂点に立つセリアサは、女王のなかの女王とすら客もとい奴隷たちに呼ばれている。


「これ以上の騒ぎを起こすならば、まずはわしが相手じゃ。望んだ者から可愛い性奴隷のしてやろう!!」


 兵士たちは、戸惑っていた。


 剣を持っている相手に対して、セリアサは鞭で立ち向かおうとしている。普通に考えたならば、剣に鞭が叶うはずがないのである。それなのにセリアサは自信満々で、蠱惑的な笑みを浮かべていた。


 この状況は真っ当な訓練をしてきた兵士たちには、意味が分からないだろう。アリアも、セリアサの行動の真意が全く分からないぐらいだ。


「あなたは下がっていてください。兵士に鞭一つで挑むなんて……。戦うとなると途端にポンコツ女王様になってしまうんですから」


 名家の執事を思わせるような品の良い青年が、鞭で地面を叩いていたセリアサを下がらせる。彼は兵士たちに改めて向き合って、折り目正しく頭を下げた。


「私は遊技感の店主をしているイチヤと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 遊技館といえば、女たちに様々な装いをさせて楽しむことができる娼館である。その娼館の主だというイチヤは、優雅に微笑みながら兵士たちの前に躍り出る。


 体重を感じさせない軽やかな動きは、軽業師やバレリーナを連想させた。まるで、空中を歩く術を知っているかのようだ。


「油断していれば、死にますよ」


 イチヤの手の中には、さっきまではなかったはずの細身の剣があった。セリアサが戦いに不向きな鞭など持ち出してきたせいもあって油断していた兵士たちは、イチヤの剣撃の激しさに舌を巻いた。


 一撃一撃は軽いが、次の攻撃へのインターバルが極端に短い。この国の剣技とは、明らかに違う方向性の技であった。


『遊技館』の主であったイチヤが、どこで剣技を教わったのかは誰も知らない。本人は旅の一座で芸と剣術を磨いていたと言うが、獣や山賊程度で磨いたとしてはイチヤの腕前は上等すぎる。そして、本人の雰囲気は品が良すぎた。


「まだるっこしい。ルールも守れないような客は、さっさと追い出すべきです」


 かぐわしい香りが、兵士たちの鼻をかすめる。


 その香りを吸った者たちが、次々と倒れるなかで娼館の主たちは顔をしかめていた。


 彼らは風上に逃げて、香の魔の手から逃げ出す。香りの正体を知らなければ、娼館の主たちも兵たちと同じ道をたどっていたことだろう。


「一網打尽にすればいいと思っているところが、まだまだ若いのう」


 セリアサの苦言を聞こえないふりをするのは、眼鏡をかけた初老の女性。家庭教師のような首元までつまったドレス姿と黒縁の眼鏡は、歓楽街という場所には相応しくない。不機嫌そうにさえ見える生真面目な表情で、彼女は香水の瓶を手に持っていた。


「わたくしが調合する特性の香水は、様々な効力があります。今回は眠るだけのものを。永眠はしないから安心無害ですわ」


 娼館の主たちの動きから、何があると思ってアリアも風上に逃げていた。そのため眠ることは防げたが、香の正体を見破られたと思っているらしい家庭教師風の女性からは睨まれる。


 アリアも仕事で毒物の類を使うので勘が働いただけなのだが、女性には自分の失態が許せなかったらしい。毒が最大限に効力を発揮するのは不意打ちなので、見破られたり予測されたりするのは失敗に繋がるのだ。


「ああ、自己紹介が遅れて申し訳ございません。わたくしは『蝶』の店主のパダンと申します」


 蝶は、ベリツナ歓楽街のなかでも随一の高級店。その格式高い娼館をまとめ上げるのが、白髪が混ざり始めた淑女のペダンだった。


「王族が、ベリツナ歓楽街にいらっしゃるなど初めてのことです。ましてや、兵までをお連れしたのであれば、五人衆が全員で出迎えるべきでしょう」


 スカートを摘まみ上げて淑女の礼を見せるパダンは、レイハードの正体を告げる。高級店だけあって、客となりうる国の重役や金持ちの顔の名はパダンの頭に全て入っていた。だからこそ、一度もベリツナ歓楽街に訪れたことのないレイハードの正体も知っていたのだ。


「……おい、王子が娼館に火をつけたのかよ」


 客の男や娼婦たちが、レイハードのことを知って騒めき始める。仮にも一国の王子の凶行に、集まった人間たちは信じられないという顔をしていた。


「本物なのか……でも、あの綺麗な顔はやっぱり」


 王子が本物かどうかを怪しむ野次馬だったが、そのなかでレイハードの美貌は証拠のように扱われた。レイハードは、その顔を隠すこともない。


 パダンの香水から逃れた兵士たちの剣が、突如として砕け落ちた。啞然とする兵士たちの前に現れたのは、天を突くような大男だ。


 発達した全身の筋肉を包むのは、ピンク色のドレス。正式な場では決して許されないパニエで膨らませた膝下のスカートからは、丸太よりも太い足がにょきっと生えている。


 そして、壮年の男の顔には度重なる戦によって深い傷が刻まれていた。


「今の私は、『天使の休憩所』の主だ。古巣の部下が相手でも容赦はせんぞ」


 男の異様な姿を見てしまった兵士の一人が、遅まきながら声を上げる。


「あなたは……フーチス隊長!早期退職したあなたが、どうしてここに!!」


 兵士の叫びに、アリアやレイハードと言ったフーチスの経歴を知らなかった者たちは言葉を失った。女児が着るようなドレスを着た大男は、一国の兵隊たちをまとめ上げる元隊長だったという。


「亡くなった伯父の娼館を相続した。それまでだ!!」


 それは、隊長という職を早期退職してまで務めることだろうか。この場にいるほとんどの人間が、そんなことを考えた。


「今は武器を捨てた身だ。だが、かつての部下の実力を見るためにも全力を出させてもらおう!」


 フーチスは、相手を殴り殺すための構えを取る。


 素手であっても剣を粉砕したフーチスの実力を恐れて、兵士たちは後退る。しかし、後ろにはレイハードという仕える主がいるのだ。兵士たちは、敗走を許されない。


 ある者は折れた剣を拾い。また、ある者はパダンの香水で眠った仲間の剣を手に取った。そして、かつては上司でもあった男に剣を向ける。


「その心意気やよし!」


 フーチスは自分のスカートの中に手を入れて、地面に何かを投げ捨てた。地面に転がったのは、テカテカと濡れて光る男性性器の模造品だった。どこに入っていたのかは、大人ならば何となく分かる。


「……なんで?」


 アリアの間の抜けた疑問に、フーチスは得意げに答える。


「『天使の休憩所』では、処女も多い。故に、私は常に彼らの苦しみや痛みを理解しなければならないのだ」


 フーチスの言葉に、兵士たちは頷きあう。「そうだ。こういう人だった」と言いたげな顔だ。


「このドレスも彼女たちの気持ちを理解するための道具だ。コルセットで胴体を締め上げ、パニエで動きを阻害される。私は、そんな仕事を経営者として理解しなければならない」


 イチヤが「経営方針は自由ですけどね……」と小さく呟いた。同じ男性経営者として、思うところがあるらしい。


「元隊長、正気に戻ってください!今の貴方の姿は、ただの変態です!!」


 叫び声をあげながら襲いくる元部下たちを前に、フーチスの筋肉は喜びのあまり脈動を開始する。膨れ上がった腕の筋肉は、ピンク色の袖を破って彼を一匹の獣に戻した。


「まだまだ気概も修行もたりん!!己が守護するものを全力で守れ。敵を全力で屠れ!」


 兵士たちは武器を持っているというのに、フーチスは素手でそれを粉砕していく。五人衆と呼ばれベリツナ歓楽街の治安を守っている彼らだが、フーチスの強さと常識に捕らわれない頭脳は群を抜いている。戦闘面においてならば、彼一人でも敵を殲滅させられるだろう。


 もっとも、いつでも武力で解決できるような問題が起きるわけでもないので、戦力が一人で足りていても五人衆という仕組みが解散することはない。フーチスがいくら強さを誇っても、交渉ごとになったら相手が逃げ出してしまう。


「くそっ。お前らは、それでも兵士なのか!相手は変態一人だけだぞ!!」


 レイハードの怒声が響いた。


 フーチスは、兵士たちを千切っては投げを繰り返している。彼が剣を使わないのは、兵士を辞めて一般人に戻ったけじめだった。


 だが、そんなものは意味をなさない。フーチスは、剣を握らなくとも十二分に強かった。次々と宙に舞う兵士たちが、それを物語る。


「くそっ。一人だけでも。一人だけでも連れて行けば、リシエを買った貴族の正体が分かる!!」


 レイハードは、座り込んでしまっていた娼婦に向かって手を伸ばす。初めて見るだろう剣を使った戦いに腰を抜かしてしまった彼女は動くことが出来なかった。


 普段のレイハードであったならば、自ら人を捉えようとする無理はしない。


 だが、レイハードは追い詰められていた。五人衆の登場によって兵は倒され、レイハードは打つ手がなかったのだ。破れかぶれになったレイハードには、手近な人間を自らさらうという考えしか浮かばなかったのである。



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