第25話王子は娼館を焼いた



 アリアは馬車を飛び出して、人混みを縫うようにして走る。しばらくすると火が放たれた一軒の娼館があった。火が放たれたのは中規模の娼館で、建物自体はそこまでの大きさはない。火の回りも遅いようで、順調にいけば人々の避難は余裕をもって終了するであろう。


「剣を納めなさい!」


 女性の凛とした声が響く。アリアは、声がした方向に視線を移した。


 声の主は、娼婦としては歳を取りすぎている女である。露出の少ない服も商売女らしくはない。もしかしたら、燃えている娼館の店主なのかもしれない。ベリツナ歓楽街では、カグラのような娼婦あがりの店主というのも珍しくはない。


 そんな彼女は、娼婦と思しき若い女達を守るようにして立っていた。女性たちに剣を向けるのは、信じられないことに国の兵士たちである。


 国の兵士たちはそろいの制服姿であるから、見間違えることはない。娼館に火をつけたのも彼らのようであり、ベリツナ歓楽街始まって以来の事態に人々が集まって来ていたのだ。


「リシエという女の子を売ったのは、前の店主よ。私も詳しいことは知らないし、従業員にいたっては何一つ知らないわ。分かったら、さっさと帰りなさい!うちの子たちに指一本でも触れたら、アソコをすり潰してやるからね!!」


 女店主は気丈にも従業員を守ろうとするが、その姿は大型犬に吠える小型犬のようにしか見えなかった。複数人の兵士たち相手に、女が一人である。勝てるわけがないのだ。


 それでも逃げようとはしないのは、店主も娼婦であったからであろう。娼婦という仕事の過酷さや心細さ。辛さの全てをしっているからこそ、店主は懸命に娼婦たちを守ろうとしている。


「火を!せめて、火を消せ!!」


 客のうちの誰かが叫び、次々と水が運ばれてきた。懸命に消火活動が行われているなかで、アリアは用心棒らしき男たちが倒れているのを見つける。彼らも腕は絶つのだろうが、さすがに訓練を積んでいる兵士には敵わなかったようだ。


 国の兵士のなかには、身分を笠に着るような人間もいる。しかし、どんな兵士であっても娼館を襲ったことなどない。否、そもそも兵士が制服を着てベリツナ歓楽街を訪れることなど今までなかった。


 制服を着た途端に彼らは、男ではなく国の役人として扱われる。ベリツナ歓楽街は、その成り立ちからして政府というものを信頼していない。たっぷりと金を落としてくれるような客はともかく、安月給の兵や役人は店にも娼婦にも嫌われるのだ。


 だから、ベリツナ歓楽街に兵士が遊びに来る際は、必ずと言っていいほどに制服を脱ぐのだ。そのため男女の問題などで兵士が揉め事を起こしても、個人的なトラブルとして処理されていた。これは兵が不祥事を起こしたと見られないということなので、国側としてもありがたいことのはずだ。


 だからこそ、兵士が仕事のためにベリツナ歓楽街に来るのは異例なことなのだ。ましてや、娼館を襲っているなど前代未聞だ。これでは、暴動と変わらない。


「ここの娼館でリシエが育てられて、金持ちの貴族に売られたという調べはついているんだ。誰が買ったのかを答えろ!」


 兵士に混ざって店主を詰問しているのは、レイハードであった。一般市民が多い場なのでレイハードの正体は知られていないようだが、値段も想像できないような高い服を着ている男など身分が高い人間だと言っているようなものである。


 それより恐ろしいことは、レイハードは善良な市民に対して剣を向けることを何とも思っていないことだ。彼の身に何があったのかは分からないが、レイハードが追い詰められていることだけはアリアにも理解できた。


「なにをやっているんだ!」


 店主に剣を向けている兵士に向かって、アリアは飛び蹴りを食らわせた。いきなりの蹴りに兵士の身体は軽々と吹き飛び、彼が握っていた剣は地面に落ちる。アリアは、無惨に地面に落ちた剣を拾い上げた。


「ここは、俺がどうにかするから避難しろ」


 アリアは店主に声をかけ、彼女が娼婦たちを連れて行ったのを確認する。いきなり乱入してきたアリアの存在に、兵士たちは気を引き締めなおしたようである。


 不意打ちで驚かせることをアリアは狙ったのだが、日々の訓練の賜物なのか国の兵たちには通じない作戦であったようだ。それでも、女店主たちは逃がすことが出来た。


 あとは、兵をどうにかするだけだ。


 兵士の一人が、アリアに向かって剣を振り上げる。アリアを一撃で仕留めたいらしく、剣を振りかぶる動きが大きい。兵の中でも大柄な体格だったので、きっと力自慢なのであろう。それに、アリアの事を気が高ぶっただけの一般人だと思っている。


 アリアはしゃがみ込み、兵に足払いをかけた。予想外の動きに兵は後ろに倒れ、アリアはすかさず相手の剣を力いっぱい弾く。そして、遠慮することなく股間を踏みつぶした。


「同じ男として謝るが、殺すわけにもいかないからな」


 国の兵士を相手にしているのだ。理由が分からないうちは、軽々しく殺すわけにはいかない。股間を踏みつぶされた男は痛みのあまりに悲鳴をあげて転がり周っているが、アリアの知ったことではない。ベリツナ歓楽街に金を落とせない体になっただけである。


「次に、急所を潰されたい奴は誰だ?」


 アリアの挑発を受け、兵士全員が剣を向ける。訓練を受けた兵士を複数人相手にするのは、アリアとて骨が折れそうだ。しかも、殺さないようにするならば尚更だ。


 最初に動いたのは、アリアだった。


 兵士の一人に向かって走り、向けられた剣を剣で受け止めながらも胴体に体当たりをする。バランスを崩した兵士は、後ろにいた仲間も巻き込んで転倒した。


 その隙に、アリアは懐に隠し持っていたナイフを二本投げる。二本のナイフは倒れた兵士にそれぞれ刺さって、その動きを封じ込めた。


「しびれ薬を塗ってある。死なないから安心しろ」


 言いながらもアリアは、自分に向かって剣を振り下ろす兵士たちの猛攻に耐えた。三人までは余裕をもって動きを止めることが出来たが、そろそろ限界が近づいてきている。


 レイハード王子が撤退の命令をしない限りは、兵士は攻撃を続けるだろう。そして、追い詰められた顔をしたレイハードは絶対に撤退を命令しないはずだ。


 兵を使って市民に剣を向けたと知られたら、第一王子であっても王になんと言われるか分からないはずである。それだけの覚悟をして、レイハードはベリツナ歓楽街にやってきたのだ。


「素晴らしい腕前じゃ。是非とも、うちの用心棒に欲しいのう」


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