第24話ベリツナ歓楽街



「まさか、ベリツナ歓楽街に足を踏み入れることになるとは思いませんでした」


 馬車から外を覗くユシャの声には、驚きと関心が満ちていた。


 それもそうだろうとアリアは思う。


 男ならともかく、女ならば娼婦でなければ立ち入らない地区である。ましてやユシャは男爵令嬢である。ベリツナ歓楽街の話など、噂程度のことしか聞いたことはないはずだ。


「もっと享楽的というか……。恐いところだと思っていたんですが、わりと普通の街の風景ですね。子供の姿とかは、もちろん少ないですけど」


 ユシャは、ベリツナ歓楽街を暴力が支配するこの世の終わりのような場所だと思っていたようだ。だが、実際のベリツナ歓楽街はいたって平和である。


 夕暮れ間近ということもあって道には客の男ばかりが歩いていたが、喧嘩や言い争いということは起こっていない。客を呼び込む下働きの子供の姿さえあるので、賑やかさだけを見れば祭りのように感じる人間すらもいるかもしれないだろう。


 ベリツナ歓楽街は、男たちの楽園でもあるのだ。世紀末のような街であったら、普通の人間は近づけない。


 実のところ、ベリツナ歓楽街の治安はかなり良い。


 あらぬ噂では人さらいや強盗犯や殺人犯の巣窟になっていたりするが、そんなことがベリツナ歓楽街で起こったら互助会や五人衆が許さない。犯人はすぐに捕まって、歓楽街なりの処罰を受ける事だろう。

 

「ベリツナ歓楽街は王に税こそ納めていますが、例外的に自治を許されている地区です。ここでは、互助会が中心となって治安を守っているんですよ。その……正直な話、役人よりまともに仕事をしています」


 賄賂がなければ市民のいうことなど聞かない役人たちと違って、互助会は勤勉にベリツナ歓楽街の治安を守っている。互助会は娼館の組合だから、歓楽街が栄えていなければ自分たちの収入が減ってしまう。だからこそ、治安維持には最大限の力を注いでいるのだ。


 そして、同時に商品となる女性の保護もある程度はしている。娼館には用心棒が設置されており、危険な客を追い出すことすらあった。


 娼婦が、このように守られている地域は少ない。ベリツナ歓楽街を出ていけば、その恩恵を受けられなくなる。そため、娼婦たちも歓楽街内の規律を守るのだ。 


 ベリツナ歓楽街で安全に働けるとなれば、自然に働き盛りの娼婦が集まってくる。そして、他の場所では商売をしなくなる。歓楽街の商品の品揃えは増えていって、また客が集まるという方式だ。


 このように自分たちの収入に治安維持が密接に関わっていれば、役人だってもっと真面目に仕事をするようになるかもしれない。互助会という仕組みは、実によく出来ていると言えた。


「ここで狼藉を働けば、王族だって追い出されるという噂です。あくまで、噂ですけど」


 アリアは、苦笑いを浮かべた。


 ベリツナ歓楽街の成り立ちには、王家が関係している。時の王が、東洋の国にあるという王族だけの娼館を造りたいと言い出したのだ。後宮と呼ばれる施設を模倣しようとしたのは良いが、途中で王が亡くなり計画が頓挫してしまった。


 残ったのは買い取った土地と様々な場所から集められた女達。


 彼女らは、金を得るために娼婦にならざるを得なかった。そうなると王都の治安や風紀は、どんどんと悪化していく。そこをまとめあげたのは、宿屋のギルドである。


 彼らは、娼婦たちを自らの宿の従業員として雇い入れた。娼婦たちの仕事内容はそのままに、男と女の情事には必ず自分の宿を使わせるようにしたのである。


 それから宿屋は娼館へと姿を変えていき、宿屋のギルドも娼館ギルドへと変貌を遂げた。娼館ギルドは、最後には互助会と姿を変えたのである。


 こうしてベリツナ歓楽街が出来上がり、王都の治安も正常化したのだった。だが、ことの発端が王家だったこともあり、歴史的に為政者が大きな顔が出来ないのだ。


 例外的に自治権を与えられているのも、そういう理由であった。さらに言えば国家に税こそ収めているが、それすら少額であるという。


「ティア様がいるのは、その互助会のなかでも力を持っている店です。ベリツナ歓楽街では売り上げ上位の店を五人衆と呼んでいますが、その一つが桜妓楼なんです。資金が潤沢であるから、雇い入れている用心棒の数も多い。なにより、店主は娼婦を……女性を大切にしています」


 性格には若干問題があるが、カグラが信頼できる人間であることに変わりはない。そして、桜妓楼自体も警備が厚く、安全な場所である。


「間違いなく信用できる店です。店主の性格は捻くれていますけど……信用は出来ます」


 アリアの紹介に、ユシャの顔に期待が浮かんでいた。派手な建物ばかりの歓楽街を眺めながら、ティアがかくまわれている桜妓楼という場所を想像しているようだ。


 身分が高い女性ほど歓楽街を嫌悪するものだが、ユシャは観光気分である。自分の力で男爵家から逃げたこともあって肝が座っているのだろう。むしろ、サーリスの方が難しい顔をしている。


「ティア嬢に贈る首飾りだが、これで良かったのだろうか……」


 難しい顔の理由は、アリアが想像したものとは違った。てっきり未婚の女性が娼館にいることを心配していると思ったのが、別なことを考えていたらしい。


 アリアの知人だから信用してくれているのだろうか。それとも、互助会や五人衆の名が決め手になったのだろうか。


 サーリスは、懐にしまっていた宝箱を取り出す。

 

 その中には、サーリスの母親の遺品であるアクセサリーがしまわれていた。サーリスが選んだのは、銀と真珠の首飾りだ。


 銀細工で植物の蔦を描き、小粒の真珠が散らばっている首飾りだった。ユシャいわく、そこまで年齢を選ぶようなデザインではないらしい。


 ユシャに言われると、途端にどのような女性にも似合うような首飾りに見えてくるから不思議である。アリアに宝石を見る目が全くないというのが、一番の理由なのであろうが。


 本当ならば初めて送るアクセサリーは、相手の髪や瞳と同色の宝石が望ましいらしい。ユシャは、最初こそはそのように力説していた。


 しかし、ティアの目は茶色で髪は亜麻色。


 宝石には、あまりない色合いだ。石を探してきたとしても地味な色なので、若い女性には敬遠されるようなデザインしかないであろう。若い女性には、華やかなアクセサリーが好まれるのだ。


 そのため、ユシャの助言で銀と真珠のアクセサリーを選んだのである。華やかには少し欠けるかもしれないが、銀と真珠の白の色合いは男から見ても品の良さを感じさせた。


「真珠は、貞節や純情の象徴でもあります。女性へのプレゼントにはうってつけです」


 力強くユシャが進めてくれたので、貴族の女性に贈るものとしては間違いではないだろう。それでも悩んでいる主の姿に、アリアは少しばかり感心してしまう。


 歳に見合わない落ち着きと立ちふるまいを見せるサーリスだが、女性への贈り物に迷う一面があったのだ。普通の若者らしい行動が、アリアには微笑ましくも思えた。


 それに、贈り物一つに思い悩んでしまうなんて誠実さの表れのようだ。アリアが贈り物を選ぶときは、一瞬で決めるだろう。それこそ、値段を見て決めるはずだ。


 客がカグラに貢いでいる金額で張りあうのは馬鹿らしくなるだけであるし、そもそも勝つのは無理な話だからだ。カグラの部屋に無造作に置かれている貴金属の総額だけは、アリアは絶対に聞きたくなかった。


「自分への贈り物に、そこまで悩んでもらえるなんて。ティア様は幸せですわ」


 ユシャは、どこか微笑ましそうだった。従者二人の視線に気がついたサーリスは、居心地悪そうに咳払いをする。


「二人共、あまりからかわないでくれ。こういうことは初めてなんだ」


 照れ隠しをしていたサーリスの表情をアリアはじっくりと見ていることが出来なくなった。煙の臭いが、わずかに流れてきたからである。


「この臭いは……火事でしょうか」


 焦げ臭さを感じて、ユシャも声を上げる。


 アリアは馬車から身を乗り出して、周囲を確認した。匂いの割には、人々の動きが妙だ。臭いの元の方に走っている。普通ならば、一刻も早く火から遠ざかるはずだ。


「火事ではなくて、何かしらの事件かも知れません。俺は確認してくるんで、先に桜妓楼に向かってください」


 アリアは馬車から飛び降りようとすれば、サーリスはそれを引き止めた。


「私も様子を見に行こう。怪我人がいれば、馬車が入り用になるかもしれない」


 護衛としてはサーリスの提案は拒否するべきだが、人としての行いとしては立派だ。アリアは様々なものを天秤にかけて、サーリスと共に馬車で現場に向かうことにした。


「ユシャとサーリス様は、俺が言うまで馬車から降りないでください。万が一にでも降りるようなことになったら、俺の側に常にいてください」


 アリアの言葉に、サーリスは神妙な顔をして頷いた。


「ユシャ、申し訳ない。私の我儘のせいで、君まで危険にさらしてしまって」


 使用人に扮しているユシャに詫びるサーリスだったが、彼女は勢いよく頭を横にふった。


「私のことなんて気にしないでください。それに、少しぐらいならば私だって手当とかはできます。実家ではお医者様を呼ぶような余裕はありませんでしたし……」


 同行したのが度胸のあるユシャで良かったかもしれない。気弱な令嬢と相乗りしていたとしたら、きっと今頃は悲鳴をあげているに違いないからだ。


「あなたの勇気に感謝します」


 アリアと同じことを考えていたらしいサーリスは、紳士らしく淑女のユシャに礼を言う。ユシャは今だけは淑女の顔をして「お褒めに預かり光栄です」と言葉を発した。


 御者に命じて、アリアは人が集まっていく方向に馬車を走らせた。途中からさらに人の数が増えてしまったために、馬車での通行は危険であるとアリアは判断する。


「ここから先は、俺一人で行きます。お二人は、ここでお待ちください」



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