第23話弟が全てを奪っていく


 リシエとの婚約を破棄しなければならないとレイハードは考えていた。


 自分は、悪い商人と娼婦にすっかり騙されていたのだ。あの二人は、レイハードがのぼせ上がるのを細く笑んで見ていたに違いない。


 悔しさで死んでしまいそうだった。あそこまで燃え上がった恋は初めてのことで、自分とリシエは運命の糸で繋がっているに違いないとレイハードは思っていた。


 だが、それも今日までだ。


「絶対に黒幕を引っ張り出してやる」


 リシエとハウリエルは、頑なに口を割ろうとはしない。ハウリエルにいたっては、息子に譲った商会が潰されてしまうと泣いてすがっていた。


 黒幕は大物で、リシエを操っていたハウリエルは父親役を言い渡された小物に過ぎない。だから、そいつを探しださなければならなかった。


「父上、お話があります!」


 レイハードが王の執務室に入れば、そこには父とハーデルがいた。二人は何事かを話し合っていたのだろうか。父王の手には、分厚い書類が握られていた。


「レイハードか……。ちょうどいい。お前に話がある」


 父は厳しい顔で、レイハードを見つめた。その表情に、レイハードは恐れを感じる。父は憤慨しているが、為政者らしく怒りを面に出さないように抑えていた。それが、レイハードには恐ろしく感じるのだ。


 だが、レイハードは勇気を振り絞って父に進言する。リシエやハウリエルのことは、一刻も早く報告しなければならないと思った。彼らは、レイハードという未来の王を騙そうとしたのである。


 それは、許されざる罪だ。


「それよりも、お耳に入れたいことがあります。リシエは、実は俺をおとしいれるために何者かが仕掛けた間者で……」


 早口で報告するレイハードを父は睨みつけ、泡を飛ばすほどの大声で一括する。


「いいから、座りなさい!!」


 父親のかつてない怒声に、レイハードは体を震わせた。咄嗟にハーデルに助けを求めれば、彼は素知らぬ顔で父王の方を見ている。


 その横顔の冷たさは、普段のハーデルから考えられないほどだった。弟は、もっと穏やかな男のはずだったというのに。


「まずは、リシエ嬢とお前の婚約を正式に発表する。教会にも許可をとっているのだから、速やかに結婚式もあげてやろう。その後のお前とリシエ嬢の処遇については、ハーレン男爵家の判断に任せる。つまり、結婚後にお前は王族ではなくなる。書類上は、男爵家に婿入りしたことになるからな」


 父の言葉に、レイハードは言葉を失った。


 王族が、男爵家に婿入りなどありえない。王族の人間が、他国や自国の貴族と結婚すること自体はよくあることだ。


 だが、その場合は伯爵家などの高位の貴族や教会関係者などの権力者と結婚することが多い。男爵家に婿入りするなど今までになかったことでる。


「父上、俺はリシエたちに騙されていたんですよ。なのに、放逐されるだなんて……」


 レイハードの頭は、真っ白になった。


 ハーレン男爵家には、商会を継いだ兄がいる。ハーレン男爵家は、嫡男である彼が継ぐであろう。そうなれば、レイハードとリシエは男爵家のなかでも邪魔者になるだけだ。


 貴族と結婚した王族がたどるべき道ではない。レイハードには、もっと華々しい未来が待っているはずだと言うのに。


 父は、息子を睨みつける。


 怒りの炎は、父の瞳の中で未だに燃え続けていた。


「そのような輩を寄せ付けないための幼少期からの婚約だ。なのに、お前ときたら勝手に婚約を解消して、王家ひいては国家を危険にさらした!お前の妻になる人間は、王妃としての権力も持つことになるんだ。そんな人間を王の許可なくすげ替えた罪が軽いわけがないだろう!!」


 机を乱暴に叩く王は、深いため息をついた。


 持っていた書類を机に置いて、それに再び目を落とす。


「しかも……お前は個人的なパーティーなどを開く際に、王妃の親戚を頼っているそうじゃないか。パーティーでの支出も一部を肩代わりさせていると聞いたぞ」


 王族は公人であるため、産まれたときから給金が発生する。普通は、その給金のなかで生活をするのだ。


 国庫の資産を利用するのは、結婚式や葬式そして公式な行事のときである。レイハードが開いていたパーティーの支出はあくまで、王子個人の資産から賄うことになる。


 いくら王族であっても、資産は有限である。そのため、レイハードはパーティー会場については母方の親戚を頼っていた。母の父――つまりはレイハードの祖父は、いつだって自宅や別荘、使用人までも自由に使って良いと言っていたのだ。


 それは、母の従兄たちだって同じだった。だから、レイハードは遠慮なく彼らに甘えていたのだ。


 世間でも祖父から小遣いをもらう孫はいるであろう。貴族の子弟たちだって、祖父や祖母からちょっとした小遣いやプレゼントをもらっていた。親しい叔父や叔母から金品をもらう人間だっていた。レイハードだって、それは許されるはずだ。


 しかし、父に言わせれば、それすらも支出の肩代わりになるらしい。


「単なる娯楽のために外戚に貸しを作ってどうする。それでは、王になったときに親戚に大きな顔をされることになる。とてもではないが、お前を王にはできない」


 今更になって母の親戚との関係を指摘されるとは思わず、レイハードは呆気にとられる。ハーデルが忍び笑ったのが、レイハードにも見えた。


 母の親戚たちは、レイハードが王になって時のためにも恩を売りたかったはずである。だからこそ、今までレイハードに沢山のものを与え続けてきたのだ。


 レイハードは、それは親戚から貰える無償の愛情だと思っていた。だから、遠慮することなく貰い続けていたのだ。父や母に報告することなどなかった 


 だからこそ、王はレイハードがしていることを把握していなかった。今になって王の耳に入ったということは、ハーデルが調べて報告をしたのだろう。


 これが、ハーデルが言っていた正攻法ではない方法というものなのだろうか。


 ハーデルは、兄の失態を最初から知っていたに違いない。今まで黙っていたのは、レイハードを庇うためだ。


 しかし、その秘密をハーデルは兄を追い詰めるために使うことにしたのだ。失態を重ねたあげく、親類に弱みを作ってしまったレイハードを許す理由など父には一つもない。


 リシエと結婚させるという名目で、王族からも王宮からも追い払ってしまうことにしたのだ。それは、もはや家族としては認めないということでもあった。


「お前は、リシエ嬢にたぶらかされたと言ったな。ちょうどいい。その企みと一緒にハーレン男爵家に行ってしまえ。それと……今回の件で王妃が錯乱した。しばらくは公務を果たせないということから、別荘地に静養に出てもらう。王妃は、お前が王になることだけを楽しみにしていたからな。……唯一の味方に親不孝なことをしたものだな」


 王は、レイハードに一枚の書類を渡す。


 そこに書かれていたのは、レイハードとリシエの結婚式の予定表や予算である。王族のものとは考えられないほど速さで決定された結婚式の予算は、第一王位継承者ものとは思えないほど少額だった。


 これでは、レイハードが思い描いていたような結婚式はとてもではないが出来ない。それどころか、王族の体面すら保てないかもしれない。


「これからは、ハーデルの婚約者を探す必要があるな」


 王は、ハーデルの方を見た。


 比較的穏やかな顔をして、父はハーデルに語り掛ける。そこには、レイハードが失った父からの愛情が見て取れた。


「今までは、兄のサポートに徹したいというお前の意見に甘えてしまってすまないことをした。さっそくだが、隣国のナダ王女との縁談がきている。この国に訪れたときにお前を見かけて、実直な態度が気に入ったらしい。婚約前に顔合わせはするが、聡明さと美貌で有名な姫だ。きっとすぐに縁談はまとまるだろう」


 ナダ王女は、隣国まで轟くほどの美貌の持ち主だ。本来ならば、次男のハーデルには勿体ない相手である。それでも縁談が持ち上がったということは、ナダ王女側が結婚に乗り気だということだ。


 レイハードは耳を疑う。真面目だけが取り柄だったハーデルを美貌のナダ王女が気に入ったなど信じられない。


「ナダ王女は、今まで沢山の人間に告白を受けてきたからな。ハーデルの真面目な姿が気に入ったのだろう。なにより、お前は民のために様々なことをしてきた。ナダ王女は孤児院の待遇改善や学校建設に関わってきたことを特に評価しているらしい。彼女は子供こそが国の宝だと考えて、それに賛同してくれる伴侶を探していたのだろう」


 ハーデルは、レイハードの知らないところで着々と王族としての仕事を果たしていたらしい。着実な仕事ぶりは、今まで噂にもならなかった。しかし、レイハードという派手な存在がいなくなれば、誰もがハーデルの仕事に注目するだろう。


 さらに、ハーデルとナダ王女の結婚が決まれば、二国は交易をしやすくなる。そうなれば、国はさらに栄えていくだろう。ナダ王女の心を射止めたハーデルの功績は、かなり大きなものになる。父の功績すらも超えることが出来るかもしれない。


「式は盛大なものにしないといけないな。相手は異国の姫君だ。その自慢の美貌を生かさなければ、国家の恥。百年の間は言い伝えられるような式にするぞ」


 レイハードの手の中で、書類がぐしゃりと潰れた。リシエとハウリエルの共謀でレイハードが嵌められたのだと訴えても、もはや無駄だろう。


 父はレイハードを王家から追放することを決めて、お気に入りのハーデルを第一王位継承に据えることを決めている。しかも、婚約者には美貌と名高い異国の王女だ。これだけお膳立てされたら、レイハードが返り咲くのは難しいだろう。


 追い払われるように執務室を出たレイハードだったが、希望は残されていないかと必死に考えを巡らせていた。ここで何も思いつかなければ、レイハードの破滅はくつがえせない。


「そうだ、ティアだ。あいつを利用することができれば」


 元婚約者のティアは、未だに行方不明だ。四方八方を探しても見つからない彼女は、死んだのではないかと噂されていた。けれども、もしも生きていればレイハードの人生にも光が見えてくる。


 ティアを探し出し、再び婚約をする。


 さすがに王族に返り咲くのは無理かもしれないが、ハーレン男爵家とアセニシア伯爵家とでは財産も地位も大きく違う。双方ともに跡取りの兄がいるので家督は継げないが、それでも財産が多い方にすり寄った方が良いのは自明の理だ。


「リシエは、ベリツナ歓楽街から売られてきたと言っていたな。なら、店の人間がリシエを買った黒幕の貴族を知っているかもしれない」


 形振りかまってはいられない。失ったものを取り戻すことは、もはや不可能だ。それならば、少しでも良い生活を手に入れるために立ち回らなければならない。


 レイハードは、唇を噛んだ。


 自分の人生は、間違いなく今が踏ん張りどきだ。これからの働きで、自分の人生が大きく変わってしまう。


「絶対に探し出してやるからな、ティア」


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