第22話堕ちる覚悟を問われたら
「ああ、なるほど。若者の見送りなど出来たのは、そういうわけか」
おかしそうに笑うスレトアの目の前には、息を荒くしたカグラの姿があった。胎児のように見を丸くして、濡れた瞳でスレトアを見ている。あまりに弱弱しい姿は、いっそ憐れになるほどだ。それでも、そこには目が離せないほどの色香があった。
「……こんな姿を晒して、お恥ずかしいかぎりです」
恥じるカグラの身体に、ストレアが触れる。カグラの細い身体が震えて、それにストレアの機嫌が益々上向いた。
「熟練の人間を相手にした後なのだから、精魂尽きて当然だな。送り出せる余裕を持たせた若者は、まだまだ青くてお前を満足させられなかったということか」
動けなくなったカグラを見て、ストレアは若者に勝ったと判断したらしい。カグラも潤んだ目で「おかしくなるかと思った……」と呟くものだから、ストレアの男心は十分に満足したようだ。
レストニアは、愛玩動物にするようにカグラの喉元を撫でた。それだけのことなのに「ん……ふぅ」とカグラは鼻にかかった声を出す。あまりに淫らで生々しい声だ。
「見送りはいらない。身体が辛そうだから、休んでいて良いぞ。」
ストレアは、名残惜しいとばかりにカグラの頬を撫でる。カグラは、その手に犬のように甘えた。
「また顔を見せてください。あなたでないと何もかもが満たされなくて……」
カグラに最後の口付けを落とし、ストレアは使用人を連れて部屋を出ていった。その足音が聞こえなくなるほどストレアが遠くに行くと、カグラは勢いよく腹筋の力だけで起き上がる。
その動きに、ティアは目を丸くする。さっきまでし気怠げに横たわっていたくせに、そんな様子はまるで見せない。それどころかストレアより元気そうだった。
「古臭い甘え方ばっかりで、馬鹿になりそうだった。あいつは、人をペットだと思っているんだろうな……。しかも、短時間で二人を相手にさせるなんて」
僕以外だったらへばっていたぞ、とカグラは一通り文句を言う。ティアは呆然とするばかりだったが、父との情交はカグラを満足させるものではないらしい。
「……私に父の醜態を見せたのは、家族に未練を残さないようにするためなの?」
父親本人の口から、娘は道具であったと聞かせたかったのだろうか。そのためだけに自分を見習いに変装させたのかとティアは尋ねた。
「それもある。だが、それ以上に……堕ちるかもしれない仕事を見せたかっただけだ。この店の店主で付き合いの長い僕は、だいぶ客にも大事にされている。最下層に堕ちたとしたら、そこでは暴力を振るわれることなんてザラにある」
異国に渡れば、このようなこともあるのだとカグラは見せたかったようだ。
彼の何が、そこまでさせるのだろうか。当初の約束通りに、すぐにでもティアを異国に送ってしまえばいいのに。好条件が現れた途端に、そちらをしきりに選ばせようとする。
「あなたも異国から来たから地獄を見たの?」
ティアの問いかけに、カグラは首を横に振った。
「僕は、ベリツナ歓楽街で産まれた。ここでの生き方を叩き込まれたし、落ちぶれた時の恐さも教えられた。実際に堕ちていく女達も星の数ほど見た。だからこそ、この仕事以外の道があるなら、そちらを進めたいだけだ」
ティアの身を案じるカグラの姿に、彼女は父から与えられていなかった愛情を感じた。歓楽街で働く者として暗部を知っているからこそ、カグラは見知らぬ女にも愛情を与えるのだろう。
「あなたは、何歳から……そのお客さんの相手をしはじめたの?」
ティアの質問に、カグラは顔をしかめた。聞かれたくないことだったのかもしれない。ティアとしては、カグラが知っている暗部を一部でも共有したいという出来心だった。
「七歳ぐらいだな。女は初潮がきてから客を取るという暗黙の了解があるが、男はないからな。死にたくなったし、一人では死ぬものかとも思った」
予想以上の暗部が出てきてティアは絶句した。七歳といえば貴族にとっては、家庭教師がつけられる頃合いだ。そんな幼い時分からカグラが過酷な仕事をしていたことが、ティアには信じられなかった。
「アリアとは、その頃に知り合った……。その頃のあいつは、ベリツナ歓楽街でタバコを売り歩いていたはずだ」
思いもよらないところで、人の縁とは繋がるものである。アリアがタバコを売り歩いていなかったら、カグラはここにはいなかったかもしれない。
「とりあえず、今日のことは良く考えろ。僕は、汚れを落としてくる」
そう言って、カグラは部屋を出る。
次の客が使う予定でもあるのだろうか。下働きの少女達が現れて、乱れた部屋の中を隅々まで整えていく。見ていることしか出来ないティアは、この歓楽街では自分は異物なのだと実感した。
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