第21話父は麗しい男娼を抱いていた
カグラと共に入った部屋には、不思議な絨毯が敷かれていた。枯れた草で編まれた絨毯に上がる前には草履すら脱ぐらしい。カグラはそうしたので、ティアもそれに従った。
ティアは東洋の文化には詳しくないし、桜妓楼も東洋にある三国の文化を混ぜた作りをしている。桜妓楼という場所は、この国の人々が想像する東洋の再現なのだ。
だから、知識は役に立たない。
ここは男に夢を見せる屋敷で、知識など無駄なのである。
ティアは、カグラの髪が一本の簪でまとめられていることに気がついた。他のアクセサリーは瑪瑙だったのに、それに使われているのは透明感がある赤色だ。
ティアの見間違いでなければ、それはルビーだろう。血よりも赤が濃いルビーなので、かなり高価なもので間違いない。
カグラにルビーなどを渡した客は、一体どのような人物なのだろうか。ティアがそんなことを考えていれば、音もなく襖が開かれた。現れた人物の姿に、ティアは呼吸が止まりそうになった。
現れたのは、ティアの父親だった。
その後ろには、若い使用人が緊張した面持ちで控えている。ティアにも見覚えのあるアセニシア伯爵家の使用人だったが、名前までは覚えてはいない。
「久しぶりだな。もっとも、そっちは若い顧客に入れあげていたから、寂しくはなかったのだろうが」
不機嫌を隠そうとしない父は、まるで子供のようだ。家では誰も近づけさせず孤高を気取っていたのに、カグラの前では彼の気を惹けずに拗ねている。
「なにも持っていない子供だからこそ、出口まで遅れるんですよ。スレトニア様のような身分ある人には、気持ちがあっても恐れ多くて出来ません」
カグラにスレトアという本名を呼ばれたせいなのか、ティアの父の機嫌が上向く。
屋敷では、父の名を呼ぶ者はほとんどいない。使用人と母は父を旦那様と呼び、ティアもお父様と呼んでいた。
母が父の事を名前で呼ぼうとしたこともあったが「人の親になったのだから弁えろ」と厳しく叱咤された。上流階級では当たり前のことだったが、家族にさえも呼ばせない本名を桜妓楼で呼ばれて喜ぶ父親にティアは嫌悪感を抱いた。
家で見せていた顔が裏の顔で、カグラに見せているものが本性だとすれば吐き気がする。
「それに、スレトア様は僕を想って同じ物を身に着けてくださる。そのような気遣いは、若者には出来ません」
カグラの指先が、スレトアのループタイに触れる。
赤い瑪瑙で造られた留具はフクロウの形をしており、ありふれたデザインだった。森の賢者と呼ばれるフクロウの飾りは貴族男性に好まれており、今までのティアはなんの気無しに父のタイを見ていた。
もはや、そんなことは出来ない。
父はカグヤと同じ物を身に着けたかったから、赤い瑪瑙などを選んだのだ。そうしてみれば贈り物としては安い瑪瑙をカグヤに贈ったことさえ、自分と同じ物を身に着けさせたいからという下心が伺えてしまう。
男性の普段使いの小物には、よく瑪瑙が使われる。
「今日も瑪瑙をつけてくてくれたんですね」
カグヤは瑪瑙の指輪が付けられた手で、スレトニアのループタイを外す。するりと抜けたタイは、側に控えていた使用人に渡された。
去ってしまいそうになったカグヤの手を力強く引いて、レストアはうっとりと指輪を見つめる。
「この指輪と留具は、同じ石から造られている。これを身に着けている限りは、身体は離れたとしても想いは一つというわけだ。近々、新しいものを造らせよう。今度こそ、ルビーだ。カグラには赤が似合うし、私も王宮に行く機会が増えるだろう。ルビーを身に着けても、誰も何も思わない」
カグラの指輪に、レストアは口付けを落とす。
機嫌が悪かった時のことなど忘れてしまっているようで、その仕草は歳下の愛人に溺れる滑稽な男そのものだった。
「出世をなさるのですか?」
カグラは無邪気を装って首を傾げると「違うよ」とレストアは笑う。薄い肩を抱き寄せたレストアは、カグラの髪を留めていた簪を引き抜く。豊かな黒髪がぱさりと落ちて、それと同時にカグラの細い身体がレストアの腕の中に収まった。
ルビーがあしらわれた簪は用がないとばかりに放り投げられたので、使用人が泡を食って拾い上げた。それほどに高価な品だというのに、レストニアは簪には見向きもしない。それよりもカグラの方が大切なのだ。
「私が目をかけていた第一王子が大馬鹿者でね。第二王子に乗り換えるつもりなんだよ。本来ならば政治的に難しいことだし、後から来た人間っていうのは冷遇されがちだ。でも、私の場合は王家に大きな借り作った」
カグラの髪を梳いていたと思えば、レストアは悪戯に彼の唇を奪う。カグラの記憶から見送った若い男との情事を塗り替えたかったのだろう。レストニアは、ゆっくりと時間をかけてカグラの唇を味わっていた。
「第一王子の婚約者だった愛娘が、王子のせいで行方不明になったんだ。第一王子を見捨てる理由には十分だし、王家としては私を無下には出来ない」
ティアは、無言で拳を握った。
見捨てられただろうとは思っていたが、父の口から真実を聞くことが辛かった。親子としての愛情があると信じていた。なのに、父にとっては自分など道具同然だったのだ。しかも、いつでも切り捨ててかまわないという道具。
「あのまま娘と王子が結婚していたら、馬鹿な王子の転落人生に巻き込まれていたかもしれない。王子の婚約者に娘を押したのは早慶だったかと悔やんだが、嫁ぐ前に家のために役にたってくれたよ。死体は見つかってないが、盗人が身体ごと持っていったのかもしれないな。若者の髪は鬘になるし、金歯を抜いて売り払う貧乏人もいるらしい」
娘の死体の行方さえも父は気にしていなかった。ティアが生きていると知ったとしても、父は喜んではくれないだろう。
それどころか生きている事を知られたら、今度こそ父に殺されるに違いない。父にとっては、ティアよりも家や自分の立場の方が大事なのだから。
豪華な赤い打ち掛けが畳の上に落ちて、いつの間にかカグラは薄着一枚となっていた。レストニアはカグラと指を絡ませたり、腰に腕をまわしたりとカグラの痩身を楽しんでいた。やがて満足したらしい彼は、控えていた若い使用人を呼んだ。
「こっちに来て、カグラを抱け。先に話した通り、私に見せるようにやるんだぞ。初めてだっていうなら、カグラに教えてもらえばいい。この子は、初物に教えるのも上手いからな」
スレトアは、ティアの方をちらりと見た。
正体を見破られたかもしれないとティアは躰を固くしたが、スレトアは見たこともないような下品な顔で笑っただけだった。
娘のことすら分からない父親に怒りが湧いたが、それも一瞬だった。むしろ、正体が見破られなかった事に安堵する。
「ほら、さっさとしろ。今日は生徒役がいるのに、お前だけが良い思いができるんだぞ。カグラを抱くのに、どれだけの大金が必要になるかも分かっていないだろ」
戸惑う使用人に対して、ストレアは苛立ちを隠さない。彼にとっては、これは前戯に過ぎないのだ。だからこそ、使用人の躊躇もまどろっこしく感じてしまうのだろう。
「まったく……。これなら、リリンダを使い捨てるのは惜しかったか。ティアの始末に志願したから使ってしまったが、あれはお前を抱くのが上手かったからな」
カグラに笑いかけるスレトアは、彼に同意を求めているようだった。それについてカグラは何も答えずに、使用人の胸元を掴んで共に倒れる。畳の上に転がるカグラの黒髪は、満開の花を思わせるように広がった。
「まったく、それでは背中を痛めてしまうだろう。そこまでは急いでいないから、布団に行っていいぞ」
「私を喜ばせておくれよ」と言って、レストアはペットを愛でるように目を細める。高価な贈り物を貢いでいるカグラにさえ、父が与える愛情はペットへのものと変わりがなかった。
父には人間に見えている者などいるのだろうかとティアは考えていた。カグラを褒めるときの目は、幼い頃のティアも見たことがあるものだったからだ。
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