第20話女が一人で生きていく覚悟



「異国で女が一人で生きていけるなんて……本当に可能だと思っているの?」


 桜妓楼の主人の部屋で、ティアは心もとなげに尋ねる。書類に目を通していたカグラは、顔をあげて預かっている女を見た。


 カグラは、しばし考える。ティアは賢い人間である。だからこそ、真実を言っても受け入れることが出来るだろう。


「ここにいる女達は、異国で一人きりで生きている女だ。どんなに汚れても生き抜くと誓えば、どこでだって生きては行ける。ただ……それが出来ない人間もいる」


 カグラは、ティアを見つめる。


 良家の令嬢らしくあれと育てられた彼女に、夜の仕事が務まるとはカグラは考えていない。それ以外の仕事が見つかったところで、家事手伝いすらしてこなかったティアが働き続けることが出来るだろうか。


 きっと無理であろう。


 貴族らしく生きてきたことは罪ではないし、それは務めでもある。しかし、環境が変わった時に生き残れるかどうかと言えば違ってくるだろう。


「今のところは、サーリスという男の求婚を飲むのが最適解だ。アリアが命懸けで仕える主人ならば、悪い人間ではないだろう」


 ベリツナ歓楽街ではサーリスの名前を聞かないが、裏を返せば女遊びに興味がないともいえる。伯爵家ならば財産もあるだろうから、ティアからしてみたらこれ以上の縁談もない。卑しい女であるならば、きっと飛びつく話であろう。


「幼い頃のサーリスを知っているわ。一緒にダンスを踊ったの。基本的なものだけしか踊れなかったけど、とても楽しかった。彼は、足を踏んでも笑って許してくれて……優しい彼を巻き込みたくはないの」


 悲壮感を募らせるティアを見かねたカグラは立ち上がり、彼女との距離を詰めた。


 美しいかんばせの持ち主であったても、カグラは男である。結婚するまで純潔を求められる身だったティアにとっては、異性の顔が近づく事は初めての経験だ。


 それでも嫌悪や恐怖を感じないのは、カグラの容姿のおかげだろう。


 長い黒髪に彩られたミルクティーを連想させる肌は、女性的な滑らかさ。少しばかり剣がある瞳は男性的なのに、けぶるまつ毛がそれを覆い隠す。


 夜の闇の中で男性と女性の美貌が溶け合って生まれたと言われても信じられる。カグラは、それぐらいの美しさを持っていた。


「僕たちの仕事を見てみるか?」


 カグラからの提案は予想外のものだった。


 子供ではないのだから、ティアだって娼婦の仕事内容ぐらいは知っている。だが、その仕事風景を想像することは出来なかった。


 金で繋がった男女が、一つのベッドで睦み合う。愛なき行為が、どれだけわびしいのかもアリアは知らない。


「ちょうど僕の客が来る予定があった。お前は身長があるし、服を着込んで口をきかないでいれば男に見えるからな」


 カグラは衣装棚から地味な服を引っ張り出して、ぽいっとティアに放り投げた。ここ数日で桜妓楼の特殊な衣装にも慣れたので、ティア一人であっても着付けの問題はない。


 しかし、こんなことは無駄ではないかと考えてしまう。ティアは所詮は女で、男に完璧になりきることなど出来ない。男物の服を着るだけの変装なんて、すぐに見破られてしまう。


 なにせ、ここは娼館だ。


 やってくるのは、女の裸体も味も知っている男たちばかりである。彼らを騙す自信などアリアには微塵もなかった。


 戸惑うティアを見かねて、カグラが着付けを手伝い始めた。


「東洋の服は、基本的に体格を隠すものだからな。胸と腹の間の段差に布を巻き付けて埋めて、肩幅も縫い付けた布で調整する。髪は、流石に鬘を使わないとだけどな。……いくらなんでも髪を切るのは嫌だろう。髪は女の命だなんて言いたくないが、大抵の女は大事にしている」


 カグラは、女の気持ちを不思議なほどに理解している。産まれた時からベリツナ歓楽街にいたというので、女性のなかで育った男性というのは彼のようになるのだろうか。それとも、男娼という特別な仕事がカグラをこのようにしたのか。


「こんなものだろう」


 一部の隙もない男装は、ティアから女性的なものを全て奪っていた。少なからずあったはずの胸の凹凸は平らになり、喉ぼとけのない場所は自然に隠されている。肩幅にすらも男性のたくましさがあった。


 ティアが鏡に写る自分をから目を外せば、自分の背後ではカグラが見たこともないような鮮やかな衣類を羽織っていた。


 打掛あるいは着物とも呼ばれている異国情緒あふれる衣類は、友人の屋敷に飾られていた絵画でティアも見たことがあった。その夢のような豪華絢爛な美しさが目の前にある。


 カグラがまとう真紅の着物は、金の糸で鳥の刺繍が施されている。痩身を飾るための透明感のない赤い瑪瑙で作られたアクセサリーは、着物と共に設えたのだろうか。


 これら全てが客からの贈り物だとしたら、かなり高額なプレゼントだったことだろう。ティアがパーティーに着ていくドレスよりも高額になるかもしれない。これほどの金を使わせるほどに、カグラという人物の身体には価値があるのだ。


 そんなことを考えてしまって、ティアは赤くなった。カグラは、今まで性を匂わせたことはない。けれども、彼の肉体が他者を欲情させるのだと意識すれば恥ずかしくてたまらなくなる。


 そんな様子を見かねて、カグラはティアの頬を引っ張る。伯爵令嬢として生きていた頃には、こんなことをする人間はいなかった。


「お前は半人前の男娼で、見学させていると言っておくから。もしも、吐きたくなったら静かに退出しろ。声は絶対にあげるな。……何かがあれば守るから、そこは安心しろ。桜妓楼には、荒事に長けた用心棒だっている。普段は下働きをさせているが、騒ぎがあれば駆けつける」


 桜妓楼の主人の側にいるせいで、ティアは過ごした日数こそは少ないが娼館というものに詳しくなった。客には隠すが、娼館には腕っぷしの良い用心棒が常駐している。


 彼らが、娼婦を暴力から守っている。それでいて、用心棒は娼婦たちを敬っていた。自分たちの給料が、誰が稼いでいるのかを用心棒たちは知っているのである。


 カグラは最後の仕上げとばかりに、ベールでティアの顔を隠した。東洋の民族衣装では見かけないものだが、これを被っていれば顔見知りでもティアとは気が付かないだろう。


「これで準備は整った。では、いくぞ」


 ティアは夜の世界を盗み見るために、カグラの背中を追った。


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