第19話伯父が愛の覚悟を教えてくれた


「なるほど……ティアの実家のアセニシア伯爵家が彼女を襲ったのか」


 アリアから報告を自室で聞いたサーリスは難しい顔をする。ティアが無事に保護されていることや彼女を襲った犯人のこともアリアからすでに聞いていた。


 ベリツナ歓楽街については一度しかサーリスは足を運んではいないので、娼館については詳しくはない。それでも貴族の相手もするという桜妓楼ならば、ティアの秘密と安全は守れるだろうと考えた。


 ティアの安全は確保されたわけだが、ソリシナ伯爵家と同格のアセニシア伯爵家が暗躍しているとなるとサーリスとて慎重にならざるを得ない。ましてや、実の娘を使っての大掛かりな企みのようである。


 ここで手を引くと言ったとしても、誰もサーリスを責めないだろう。ティアが巻き込まれた陰謀は、なかなかに複雑だ。


「さすがに、ユリハス伯父さんに改めて報告をするべきか……」


 サーリスの気持ちは揺らがないようだが、彼にも貴族としての責務があった。代々続いている家を守らなくてはならない。そのためには、不審な動きをしている家と縁続きになるわけにはいかなかった。


「サーリス様……。ティア嬢とのご結婚はあきらめるのですか?」


 アリアの問いかけに、サーリスは困ったように笑う。


 あきらめたくはないのだとアリアは察した。ティアへの情熱は冷めることはなく、むしろ燃え上がっているようである。だからこそ、あきらめることは難しいのであろう。


 だが、貴族の務めも果たさなければならない。


 アリアは、サーリスの事が不憫に思えてならなかった。サーリスほどの情熱があれば、今すぐにティアを抱きしめにいくだろうに。貴族という身分が、サーリスの動きを封じていた。


「サーリス、一度決めたなら愛を取れ」


 部屋のドアが、急に開いた。


 部屋に入ってきたのは、ユリハスとメイドに扮したユシャである。


「お前に渡すべきものがあったから持ってきたが、タイミングが悪く立ち聞きをしてしまった。すまない。だが、男が――私の甥が愛をあきらめることだけは許せない。ユシャ、例のものを出してくれ」


 ソリシナ伯爵家のメイドが板の付いたらしいユシャは、小さな宝箱を取り出した。そこに入れられていたのは、ルビーとダイヤモンドで作られた首飾りだ。


 ルビーは赤が濃いほどに価値が高いが、首飾りの石は赤というよりピンクと言えるほど色が薄かった。ダイヤモンドも小振りで、若い女性が日常使い出来るデザインである。パーティーなどでは浮いてしまうだろうが、男の目から見ても可愛らしい首飾りだった。


「これは、私が恋人に贈ったものだ。律儀な人だったから、他の人との結婚が決まったと言って返されてしまった。……これからは、お前がこれを持つんだ」


 ユリハスの言葉に、サーリスは驚いた。ユリハスの最愛の恋人が残した思い出の品は少ない。その一つをサーリスに譲るというのだ。


 しかも、この首飾りは一番最初に恋人に送ったものかもしれない。首飾りのデザインは、婚期を逃す恐れがある女性には可憐すぎた。


 若い頃のユリハスは、常に身につけられるアクセサリーを選んだ。自分の愛を常に感じて欲しいと思ったのであろう。ユリハスの恋人は、薄いルビーの赤色が似合う人だったのかもしれない。


「サーリス、愛は失えば二度と手には入らない。どんなに強く想っていても、行動しなければ始まらない。お前も男だから二度は言わないが、忘れそうになったらソレを見て思い出だせ」


 サーリスとアリアの気持ちは、奇しくも同じだった。当主のユリハスがティアをあきらめるなと言ってくれたことや恋人との思い出の品を譲ってくれるというのはありがたい。


 だが、この首飾りは少しばかり縁起が悪いのではないだろうか。なにせ結ばれなかった恋人に送って、さらには送り返されたという品である。


 サーリスとアリアは、そろってユシャのことを見る。ユシャも苦笑いしていたので、女性側からしてみても縁起が悪い品らしい。


 恋人との思い出の品を譲るほどの気持ちで、甥の恋を応援するのはありがたい。しかし、首飾りは個人で保管していて欲しいとアリアは思った。


「それに、アセニシア伯爵家は娘を切り捨てた。ならば、もはやティア嬢と家とに関係はない。兄はティア嬢を気にかけて欲しいと言っていたが……昔からアセニシア伯爵家は、ティア嬢を大事にしていなかったのかもしれないな」


 親しく付き合っていたアセニシア伯爵家と急に縁が切れたのは、サーリスの父が何かに気がついたからなのかもしれない。だからこそ、ティアの身を案じたのだ。


「親の罪を子に被らせる訳にはいかないと考えたならば……実に兄らしい。兄は、弱い人を守れる人だった。貴族の高貴な義務を守れる人であった。サーリス、憂いなくティア嬢と会って来なさい。そして、しっかりと彼女の手を取って連れてくるんだ」


 ユリハスの言葉に、サーリスは力強く頷いた。


 サーリスの瞳には、もう迷いはない。愛するティアを迎えにいくために、決心を固めていた。


「ユシャ、すまないが宝石箱を戻しておいてくれ。あと、母の形見からティア嬢に贈るのに相応しいものを選びたい。亡き母上もティア嬢のことを可愛がっていたから、彼女に贈るとなればきっと喜んでくれるはずだ」


 手際よくしまわれる思い出の首飾りを見て、ユリハスは固まっていた。


 その様子を見ていたアリアは思った。ユリハスは、サーリスがティアに首飾りをプレゼントすると考えていたのだろう。


 だが、この首飾りは若い二人には縁起が悪すぎる品なのだ。恋人との思い出は、是非ともユリハスが大切に持っていて欲しい。


「ユシャがいてくれて助かった。宝飾品の見立てというのは苦手でね」


 母が死んでからは、サーリスの身内は男ばかりだ。そんなせいもあって、屋敷内は華やかさに欠けていた。女主人のいない時間が長すぎたのだとサーリスは改めて感じる。


「任せてください。ティア様に似合うような品を選びましょう」


 ユシャは、得意げに胸を叩いた。


「男爵家で所有していた宝石を買い叩かれないように勉強したので、宝飾品を見る目には自信があります。最初の贈り物なら、ブローチや首飾りをおススメします。指輪などはサイズが分からないと贈れませんから。あと、石の色は相手の髪や瞳に合わせるのも良いですね。自分の物に合わせてしまうとちょっと重く感じてしまう女性もいます」


 男爵家婦人のユシャのアドバイスを聞きながら、サーリスは愛する人に相応しい品を探しに行く。残されたユリハスは


「あの首飾りは、流行遅れだったのかな……」


 と寂しそうに呟いた。


 現当主のハウリエルを無下に扱うことなど、使用人のアリアにはとてもではないが出来ない。しかし、生半可な言葉ではハウリエルを慰めることはできないであろう。


 アリアは、ユリハスのために紅茶を用意する。それぐらいしか、アリアには出来なかった。カグラだったら気が利く言葉をかけられただろうかと考えて、アリアはすぐに首を振る。


 あれは、失礼な言葉しか吐かないだろう。客商売をやっているはずなのに、カグラの態度は太々しくなるばかりだ。



 アリアは、ハウリエルにお茶請けとしてクッキーを出した。ソリシナ伯爵家では、定番のお茶請けである。料理人が二日に一回の頻度で焼いてくれるもので、サーリスとハウリエル好みに甘さは控えめだ。


 ユリハスは「いつもよりもほろ苦いココアクッキーだね」とセサミ入りのクッキーを噛って微笑んだ。悲しみのあまり、クッキーの食べなれた味すら分からなくなっているらしい。


 今度は、うんと甘いチョコクッキーを料理人に頼んでおくべきかもしれない。どこかの御夫人が、甘いものは悲しみを癒すと言っていた。恋人との思い出が無下に扱われたユリハスの悲しみは、砂糖とチョコレートぐらいでは溶けないのかもしれないが。


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