第18話美しい娼婦は王子を地獄に招く
「私は、ベリツナ歓楽街で産まれました。普通ならば娼婦の子供は墮胎されるのですが、産ませないと母親が危ないこともあるんです」
リシエが生まれたのは、ベリツナ歓楽街のなかでは中堅の娼館だった。
リシエの母親は、子供が産まれてすぐに出奔してしまう。出産までの生活費は娼館への借金になっていたが、母はそれすらも踏み倒したのだ。
母にも捨てられたリシエは、すぐに殺されるはずだった。産まれた子を下働きとして育てる娼館もあったが、逃げた娼婦の子は育てられることはない。
しかし、リシエは産まれながらに可愛らしい顔立ちをしていた。娼館の主は、それを見て妙案を思いつく。
桜妓楼という娼館で類稀なる美貌の男子が、少し前に産まれた。母親の娼婦は死んでおり、産まれた子供は男娼とするために育てているのだと娼館の主は聞いたのだ。娼婦は星の数ほどいるが、上流階級を相手に出来る者は稀だ。
容姿の他にも上品な身のこなしや教養が求められるのである。磨かれた特別な女を高い金で買うのが、道楽を極めた貴族たちだった。
類まれなる美貌の男子は、その道楽者たちを相手にするために育てられている。自分も同じことをしようとリシエを抱いた娼館の主は考えたのだ。
娼婦の主は、リシエを最上級の娼婦にしようと心に決めた。そして、彼女が稼いだ金でのし上がるのだと野望を抱いたのだ。
娼館の主は、五人衆の一員になることを夢見ていたのであろう。そのためには、自分の店を大きくする必要があった。五人衆になるということは、ベリツナ歓楽街で権力を持つことでもある。娼館の主は、それが欲しかったのだ。
リシエは、高貴な客と同等に会話が出来るようにと教育された。男を手玉に取る為の仕草や喋り方も教えられた。夜の手管も人よりもずっと早くに教えられ、娼婦たちが持つ知識を借りて生まれながらの美貌をさらに磨いた。
こうして清純に振る舞いながらも男を魅了する娼婦が生まれたのだ。
リシエを初めてを買った男は処女を失う痛みに泣かず、むしろ強請ってみせるリシアに感心した。客を喜ばせる会話や仕草。端々の気遣いまでもが、リシエは完璧だった。
リシエは生まれながらの娼婦だったと初めてを買った客は喜んでくれた。
リシエに避妊の煩わしさがないことも、さらに男を喜ばせる。幼い頃から毒物を飲んでいたリシエは、年頃になっても月の物がこなかった。故に、娼婦たちにとっては邪魔でしかない妊娠もしない。
リシエの初めてを買った男は、ベリツナ歓楽街でも有名の趣味人で金持ちだった。彼に抱かれた処女は数知れず、時には男娼の味見までしていた。
リシエの初めての客は、桜妓楼の美貌の男娼も抱いたのだという。初物を食べることは叶わなかったが、リシエに並ぶほどの美味であったと客は語った。
そんな客が言ったのだ。
「この娘は、桜妓楼で既に頭角を表し始めた男娼と双対をなす存在になる。この歓楽街は、ベリツナで生まれ育った男と女で変わっていくのかもしれない」
すでに娼婦としての自信があったリシエは、男娼と比べられたことに苛立ちを覚えた。客を多くは取れない男娼たちは、娼婦たちから見れば格下の相手だ。客は同業者だと思っているだろうが、そこには明確な線引きがある。
そんな男娼と比べられたのだ。普通の娼婦ならば、間違いなく機嫌を損ねるのであろう。それでも桜妓楼の男娼もベリツナ歓楽街で生まれ育ったと聞けば、リシエの気持ちが変わった。
自分と同じように歓楽街だけしか知らない男娼に、リシエは想いをはせた。顔も見たこともない相手を想うだなんて、普通の小娘のように恋をしているようだ。
リシエは、夢想する。有名になった自分たちを買うために、いそいそと貴族たちが駆けつけるのだ。娼館に列をなす男たちの姿に、リシエは心の底から笑った。
同士のような気がしていた桜妓楼の男娼とは、ついぞ顔を会わせることはなかった。
美貌の男娼は、リシエのことを知っていただろうか。売られて娼館を離れた時に気になったのは、そんな些細なことであった。
娼館の店主いわく、見たことも聞いたこともないような高値がリシエにはついたらしい。自分の養育費が、リシエにとっての娼婦への借金だった。リシエ自身についた高値は、その借金を一瞬にして娼館に返してしまえるほどだったようだ。
貴族の男に連れられて、リシエはベリツナ歓楽街に別れを告げる。生まれ育った場所から離れると言うのに悲しみは全くなかった。
どこに行ったとしても、リシエがやる事は変わることはない。相手と人数が変わるだけで、リシエの人生のように変わりようがないのだ。
リシエを買った貴族の男は、ハウリエルという男の養子になれと命令した。ハウリエルは金持ちの商人で、これから男爵になるのだという。
それを足掛かりにして、第一王子を誘惑しろと命令された。リシエの教養や身体を全て使って、世間知らず男を堕とせと言われたのだ。
「これが、私の知る裏側の全て。私は買われた娼婦として、レイハード様に有限の夢をお見せしていました。如何でしたか?」
リシエは、レイハードに対して悪びれる様子もない。
彼女にとっては、レイハードを騙すことは何てことはないのだ。リシエにとってのレイハードは、娼館での客たちと同じ存在でしかなかった。
男を惑わして、喜ばせることこそがリシエが学んできたことだ。リシエは、そういうものしか知らなかった。
だから、レイハードの純粋な愛にすら心を動かされることはなかった。レイハードがどれだけリシエを愛しても、彼女には理解できなかったのだ。
暖簾に腕押し。
レイハードのリシエへの愛は、そういうふうに無駄になっていた。
「レイハード王子、娘は妊娠で心が不安定になっているんです。これは妄言です、妄言!どうか、お許しください!!」
ハウリエルは、王子に跪いて許しを請うていた。
リシエの話が本当ならば、彼女をけしかけたのはハウリエルともう一人の貴族だ。そして、リシエとの婚約の助言をしたのもハウリエルだった。
「黙れ。親子そろって、王子である俺を謀って!!」
ハウリエルは悲鳴をあげながら、リシエの背後に隠れた。恐れるハウリエルとは反対に、リシエの立ち姿は堂々としたものである。
リシエの姿に、レイハードの怒りは束の間であったが消えていった。嘘を付かれていたとしても、リシエは愛した女だ。彼女の口から、改めて真実を聞きたかった。
「リシエ……。俺は、お前のことを本当に愛していた。二人の愛は永遠に続くと思っていた。俺を騙すことに罪悪感はなかったのか?」
レイハードの問いかけに、リシエは首を横に振った。
やはり、リシエにとってはレイハードなど客の一人の認識だったのだ。馬鹿な客が自分にのぼせ上がっているだけだと思っていたに違いない。
レイハードは座り込んで、強い力で床を叩いた。今は全てのことが虚しかったし、全てのことが憎くてしかたがなかったのだ。
「お前を買った貴族というのは誰なんだ。そいつも殺してやる!」
レイハードの怒気に、初めてリシエの顔色に焦りが浮かんだ。彼女の表情の変化に、レイハードはわずかながらに希望が灯る。リシエが、自分に特別な感情を向けてくれたと思ったのだ。
「……言えません。私は、私を高値で買ってくれた人を裏切りません」
リシエにとって大切なのは、レイハードではない。自分に高値をつけた男だ。
それは、レイハードを地獄に叩き落すには十分な事実であった。
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