第17話新しい婚約者はドレスと嘘をまとう


 リシエは、王宮の一室に保護されている。教会の許しを受けた王子の婚約者を王家としては無下にはできないというのが理由だった。


 普通の婚約者ならば、ティアの時のように実家で過ごすものだ。王妃教育を受ける時など必要な場合に城にやってきて、そこで将来必要になることを学ぶのである。だから、婚約者が王宮で泊まり込むというのは異例なことだった。 


 リシエがレイハードの婚約者であることは、誕生日パーティーで発表されてしまっている。だが、彼女の実家は男爵家だ。とてもではないが、王子の婚約者の安全を確保できるような資金や屋敷を所有していない。


 王子の婚約者というだけで、その令嬢の身には危険が迫ることがある。今回は特に様々な要因が重なっているために、リシエは王宮に留まることを許された。


 もっとも、それは軟禁とも言える。外であることないことを言いふらされないための拘束の代わりであった。


 だが、レイハードは今の状況はリシエにとっては最善だと考えていた。


 リシエの妊娠の件は、すでに父に伝えている。リシエは、王子の子を宿しているのだ。大切に保護し、出産まで守らなければならない。だから、レイハードとしてはリシエの待遇は願ったり叶ったりだった。


 リシエの妊娠の話は、父から母にも伝わっていただろうと考えていた。なのに、思わぬところに隠れていた蛇の尻尾を踏みつけてしまった。


「母上だって、孫の顔を見れば変わってくれるさ。ハーデルだって、すぐにいつものあいつに戻るはず」


 結婚式は、家族全員が笑顔で参加してもらいたい。婚約までは、たしかにどたばたとしてしまった。しかし、リシエの優しく朗らかな人となりを知れば、父や母それに弟の気だって変わるはずだ。リシエを家族の一員に迎え入れてくれるはずである。


「結婚式のアクセサリーは、どんなものを贈ろうか。ダイヤモンドの豪華な首飾りが王道だけど、色々なカラーが入った首飾りも似合うだろうな。ティアラは伝統的なデザインが優先されるし、首飾りや腕輪なんかのアクセサリーは可愛いのをつけてやりたいな」


 愛しい人に宝飾品を贈るのは、最上級の求愛だ。


 結婚式では、ここぞとばかりに贈られたアクセサリーを女性は身につける。その価値が高ければ高いほどに、嫁ぐ家の財力を示すことができるのだ。


 一方で、結婚式であっても男性側が身につけるアクセサリーは一つだけ。それは、花嫁の一途さを示すためのものである。


「ああ、そうだった。まずは、ドレスだよな。どんなのが似合うかな……」


 いつかくる幸せな結婚式を想像しながら、レイハードはにやけてしまう。レイハードとリシエとの式は、きっと他国でも噂になるほどの豪奢さになるだろう。


 未来の王と王妃の結婚式なのである。


 その素晴らしい式は、貴族や富裕層がこぞって真似するはずだ。ティアと結婚式などしたら、式は面白みのないものになったに違いない。


 ティアは、いつだってレイハードのしたいことを否定していた。結婚式を豪華にしたいと言ったら、大反対したことだろう。人生で一回きりの結婚式は、自分の想像を超えるような豪華なものにしたかった。それは、ティアと一緒にいたら叶わなかったことである。


 やはり、ティアとの婚約は破棄して正解だった。


 レイハードは、それを改めて実感した。


 リシエが使っている部屋の前まで行くと、室内から男性の声が聞こえた。未来の花嫁の部屋から男の声がしてくることに、レイハードは少しばかり不安になる。


 客人に充てがわれる部屋は、会話を把握できるように少しだけ壁が薄くなっている。


 客人の安全守るためにというのは方便で、彼らが良からぬことを考えていないか聞き耳を立てるためだ。城内で不信な会話がされていても、その気になれば全てを把握することができる。無論、これは外部には知られていないことだ。


「いいか、リシエ。これからが肝心だ」


 レイハードが部屋の前で聞き耳を立ててみれば、声の持ち主はリシエの父であるハウリエルだった。妊娠中の女性はなにかと不便が多いので、家族との面会は自由にさせている。


 本当は母親に付いていてもらうのが良いだろうが、リシエの義母はとても若い。そして、出産の経験もないらしい。リシエの付き添いを頼むには、心もとない存在である。


 リシエには兄もいるらしいが、そちらは父から受け継いだ商売に忙しいと聞いていた。必然的に、身重のリシエを気にかけられるのは父親だけだ。


「妊娠したふりを続けて、王子の気を引き続けるんだ。本来ならば妊娠は心を可怪しくさせることもあるが、お前にとってはなんてこともないだろう。なにせ、妊娠できないんだからな」


 ハウリエルの言葉の言葉に、レイハードの呼吸が止まった。彼がなんと言ったのか理解できないし、理解したくもない。それは、リシエが自分に嘘を付いていたということだからだ。


「お前を育てた娼館の主は、幼い頃からずっとお前に毒を飲ませ続けていた。だから、妊娠なんて面倒なことは起こらない。それは、喜ばしいことだな」


 リシエは父に「その通りです。ハウリエル様」と答えた。


 感情のない声は、レイハードが知っているリシエのものではなかった。人形がリシエの真似をしているようだ。


「今回のためだけに、お前は買われたんだ。高い買い物だったそうだぞ。お前が飲んでいた薬が、そもそも高価なものだったらしいからな」


 身分の高い人間や裕福な商人が愛人の子を引き取って養育するというのは、ままある話だ。しかし、リシエはハウリエルの愛人の子供ですらないようである。


 彼女は、娼館で生まれた誰のものかも分からない子供だったのだ。しかも、娼館の主によって妊まない女として作り変えられたのだという。


 その話がすべて本当だというのならば、リシエの子供の話は嘘だったことになる。レイハードは、眼の前が真っ暗になった。


 子供だけがリシエと結婚を決意した理由ではない。


 リシエ本人を愛していたから、結婚を決めたのだ。


 しかし、子供が出来たことは素直に嬉しかった。彼女と共に育てるのだと心に決めていた。父親になる決心をして、子供の良い手本になる事を誓ったのだ。


 なのに、リシエは嘘をついた。


「娼館の主は気がきかないから、非処女を売り込みやがって。まぁ、世間知らずの王子様には処女の味なんて分からないか。むしろ、手練手管がある娼婦を送り込まれて感謝しているぐらいかもな」


 レイハードの脳裏で、ベッドに寝そべって羞恥に頬を染めるリシエの姿が浮かんだ。


 二人での甘美な時間や交わした言葉も全てが嘘だった。王子であるレイハードに取り入るための手段でしかないのだ。


「ハウリエル様……。私は、あなたたちの所有物です。どうか、お気の済むようにお使いください」


 リシエの抑揚のない声が聞こえた。それが、レイハードにとっての限界だった。


 我を失ったレイハードは、乱暴に部屋のドアを開ける。そして、脇見もせずにリシエに詰め寄った。視界の端に驚いたハウリエルの姿が見えていたが、彼の存在はレイハードの脳裏から消えていた。


「リシエ!今の話は、本当なのか!!」


 レイハードの足にしがみつき、ハウリエルが何事かを叫んでいた。だが、その言葉は耳に入らない。


 レイハードの目に映っていたのは、リシエだけであった。レイハードは全ての器官を使用して、愛する女の姿を捉えていたのだ。


「レイハード様、ありがとうございます」


 リシエはドレスの裾を摘んで、優雅に一礼する。


 レイハードが買い与えた薄紫のドレスは、まるでラベンダーの花ような愛らしさだった。このドレスを贈ったときの幸福な気持ちすら、今のレイハードには思い出せない。


「私に堕ちてくださって」


 娼婦冥利につきます、とリシエは言った。


 その顔は、見たことがないくらいに穏やかなものだった。


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