第14話婚約者なんて愛することが出来なかった
レイハードは、自分が王になることを疑っていなかった。
父の世代は国の貧しさ故に王族のなかでも混乱があったようだが、今の世は大平だ。父の政治のおかげで国庫もそれなりに潤っており、ぴりぴりとした敵意を放っている国も周囲にもない。ここまで国の運営が順調ならば、政治は平穏な世代交代を望む。
歴史のなかで多くの長男が、父の跡を継いできた。
兄弟が権力争いをすることを今の世では誰も望んでいない。ということは、このまま順当にいけば間違いなくレイハードが王位を継ぐ。
だからこそ、レイハードは自分をより良く見せるために全力を注いだ。
国の赤字を黒字にした父と違って、自分は凡庸であるとレイハードは知っていた。だからこそ、派手にふるまって民衆や貴族の注目を集めるしかないと思ったのだ。レイハードは自分が派手に振舞えば振舞う程に、豊かな時代の象徴になると考えていたのだ。
父や弟は、質素で地味な生活を良しとしていた。だが、それでは国の豊かさを表すことができない。国民や外国に対して、自国のすばらしさをアピールすることが出来ないとレイハードは思っていた。
国は今が絶頂期であるとレイハードが歌えば民衆は安心し、外国は自国を侮ることはしなくなる。そのようにレイハードは考えて、自らの信念の元に行動していた。
父の若い頃からの努力も相まって、王族や貴族の生活は昔と比べて格段に豊になった。レイハードの考え方は、彼と同世代の貴族の若者たちにすんなりと受け入れられていく。
貴族の若者たちは、レイハードが企画する享楽を楽しんだ。派手なパーティーや異国から取り寄せた珍しい品々は、若者たちを喜ばせるのには十分だった。
その一方で、レイハードの生き方を拒絶したのが父と弟である。
清貧を心掛けていた父にとって、レイハードはただの放蕩息子でしかなかった。いくら、レイハードが国のためを思って行動しても評価されることはない。
そして、レイハードにとって目の上のたんこぶとなる存在はまだあった。それは、幼い時に決められたアセニシア伯爵家のティアという婚約者だ。
アセニシア伯爵家は、昔からレイハードに目をかけてくれていた一族だ。そこの娘と婚約するという事は、王位につくための足場づくりを強固にするという意味が含まれていた。だが、このティアという娘が面白くない。
ティアは酷くまじめで、王や弟たちと似ていた。
「レイハード様。その派手な生活を改めて、少しでもいいから民衆に尽くすべきです。市井に出て、市民のためになることを考えましょう。市民は、今でも生活に不満を持っているようです」
レイハードの派手な生活を嗜めて、国民への奉仕活動に力を入れるようにとティアは説いたのだ。若い貴族と享楽に浸るレイハードの印象は、その美貌に酔う女性たち以外からは悪い。だからこそ、民衆に手を差し伸べてレイハードの印象を良いものにしなければならないとティアは説いたのだ。
「この国は確かに豊かになりましたが、その豊かさを享受しているのは貴族ぐらいです。だからこそ、市民に奉仕して王位につく前からレイハード様の印象を良くしましょう。レイハード様の派手なパーティーを良く思っていない人間だって多いのです」
歯に絹を着せぬティアの言葉は、レイハードの周囲の人間は言わないことだった。貴族の子弟たちはレイハードが開催するパーティーを楽しんでいたし、レイハードは庶民たちの生活など見たこもなかった。だからこそ、レイハードは民衆の不満や自分の行動に振り回されている臣下の声も聞こえなかったのだ。
「大商人などの豊かな市民は出てきていますが、まだ貧しい人々も多いです。国のために出来ることを一緒に考えていきましょう」
自分の考えを語るときのティアの顔は、とても輝いていた。彼女の頭には、きっと自分とレイハードの輝かしい未来が見えていたのだろう。
国民への奉仕をするという考えは、ティア個人のものだ。
少なくともアセニシア伯爵家からは、そのように言われたことはなかった。ティアという小娘一人の考えが、王子の自分の行動を乱そうとしていることがレイハードには鬱陶しくて仕方なく思えていたのだ。
レイハードだって、国のことを思ってパーティーを繰り返しているのだ。そのことをティアに責められるのは我慢ならなかった。
レイハードが、ティアを無視しはじめたのに長い時間はかからなかった。婚約者の心が自分に向いていないことを泣けば可愛げがあったというのに、レイハードの思惑をよそにティアは涙を見せることはなかった。
ティアは、レイハードの婚約者として完璧な振舞いをする。いくら口で反対しようともレイハードが主催するパーティーには全て参加して、隣ではいつも微笑むのだ。
レイハードは、ティアから向けられるものを一切を無視した。微笑みを向けられても笑わずに、手を繋ぎたいという可愛らしい願いさえも叶えることなかった。
レイハードは、そんなふうにティアを手酷く扱った。だが、その仕打ちに関してもティアは泣き言を言わなかった。
それはレイハードの顔を立てる健気な少女の姿であり、周囲の人々はティアを大事にするように自分に説き伏せる。それすらもレイハードには腹立たしい。
なのに、誰もがティアを誉めそやす。
「レイハード兄さんには、ティア様のような完璧な花嫁が来てくれるからうらやましいよ」
弟のハーデルまでもが、兄嫁となるティアに憧れていた。
「今から、ティアの花嫁衣裳が楽しみだわ。レイハードほどの美男と美女の二人だもの。きっと素晴らしい式になるはずよ」
母は、二人の結婚式をいつだって夢想していた。
「レオナードに足りない部分をティア嬢は補ってくれるだろう」
父でさえも、ティアを評価している。家族がティアの話をしているときは、レオナードはいつだって家族から孤立しているように感じていた。
ティアがレイハードの妻になることは決定事項で、きっと彼女は結婚してもなお自分に意見を続けるであろう。そんな未来がくることは、レイハードにとっては悪夢だった。
王妃など、所詮は王の添え物だ。黙って側で笑っているだけでいいのだ。レイハードに意見するべきではない。
「レイハード様、孤児院に慰問に行ってみませんか?孤児の子供たちが置かれた環境を見れば、レイハード様の考えも変わると思うんです」
ティアは、相変わらずレイハードに国民に奉仕せよと言っていた。国民の印象を良くして、レイハードの王位をより盤石にするべきだと何度も言うのだ。
レイハードは、ティアには一切の愛情は持っていなかった。このまま結婚したところで、周囲の期待通りに子供を儲けることが出来るのかも分からない。いっそのことティアが酷い病にでも侵されて、この結婚話が消えてなくなればいいのにと願った。
そんなときに出会ったのが、リシエという可憐な少女だった。
リシエとは、レイハードが主催したパーティーで出会った。パーティーでは、レイハードの知らない人間が来ることは珍しくはない。リシエも知り合いの伝手をたよった参加者であるのは間違いなかった。
「初めまして、レイハード様。ハーレン男爵家のリシエと申します。本日は、我が家が扱っている布をテーブルクロスとして扱っていただきありがとうございます」
貴族の令嬢らしくない挨拶は、レオハードの好奇心を刺激した。貴族というのは領地を持っており、そこからの税で金を得ている。商売に手を付けるような貴族などいないし、高位な身分になればなるほどに労働を恥と考えていることすらあった。
話を聞けばリシエの親は、元は商人であったらしい。今は婿養子となって男爵家に収まっており、その連れ子のリシエは元平民の令嬢であった。リシアが他の令嬢とは違う雰囲気を持っているのは、レイハードの知らない市民の暮らしを知っているからだからなのだろうか。
「王家の御活躍のおかげで、平民の暮らしはとても豊かになりましたわ。このドレスも男爵家に入る前に、父に作っていただいたものなんです」
リシエの身に着けているドレスは、レースとリボンを多く使った可愛らしいものだった。貴族にも負けない財力で作られたドレスを見て、レイハードは自分の考えが正しかったことを確信した。
貴族同様に市民の生活は向上している。
ティアが言っていたような不満や貧しさなどはないのだ。そうでなければ、リシエのような娘が豪華なドレスを着られるはずもない。
リシエは、誰よりも天真爛漫な笑顔を見せる。その笑顔は、豊かで自由な庶民の生活で培われたものなのだろう。
「とても……素敵だ」
レイハードは、そう呟いていた。
その言葉は、リシエの存在そのもの褒めるためのものだった。リシエの育ちや豊かさは、レイハードに喜びを与えたのだ。
「レイハード様……。あの、ありがとうございます」
気が付けば、目の前のリシエが頬を赤く染めていた。その少女らしい仕草と愛らしい姿に、レイハードの心がときめいた。その胸の高鳴りは、ティアには感じたことのないものだ。
「このドレスは、父が誕生日に作ってくれたものなんです。私には幼すぎるかもと思ったのですが、着ると父が喜んでくれるからついつい選んでしまうんですよ」
リシエのはにかむ笑顔は可憐で、父に愛されて成長してきたことが分かった。期待通りに成長しない故に父に落胆されている自分とは大きく違う。
「レイハード王子、次は私が一番好きなドレスを着てきます。また褒めてくださいね」
ドレスの裾を摘まんで、リシエは礼をする。名残惜しい別れであったが、初対面の令嬢を引き留めるのは紳士として失格だとレイハードは自重した。それに、リシエにだって婚約者や恋人がいるのかもしれない。
「ああ、そうだ。アクセサリーが……」
リシエは、アクセサリーの類は身に着けていなかった。ということは、彼女には愛する人はいないのだ。その事実を理解し、レイハードは安堵していた。
リシエは、何度だってレイハードが主催するパーティーに参加した。彼女と会話をする時間が、レイハードの楽しみになるのに時間はかからなかった。
レイハードは、リシエ個人に招待状を送るようになる。そして、リシエと会うたびに着用してきたドレスを褒めた。リシエが着てくるドレスは、どれも可憐なものばかりだ。
そして、リシエがアクセサリーの類を付けていないことを確認しては安堵していた。彼女には、まだ恋人はいない。
リシエを褒めるレイハードの言葉には、一切の御世辞はなかった。リシエはいつだって可憐で、婚約者のティアの姿を見るよりも心が和む。リシエとの時間が楽しくなるほどに、ティアといる時間がレイハードにとっては苦痛になっていった。
「本当に、いつも褒めてくださるから……。私は、レイハード様といるとドキドキするようになってしまいました。あなたには、婚約者がいるのに」
夜に開かれたパーティーで、リシエに熱っぽく見つめられた。その桃色の頬が蝋燭の光に照らされて、あまりにも幻想的だ。
この瞬間が永遠に続けばいいのに。
レイハードは胸の高鳴りを抑えながら、神に祈っていた。
その日、レイハードはリシエの手に初めて触れた。柔らかな掌は、レイハードの手を優しく包み込む。そして、彼女に引っ張られてパーティー会場を抜け出した。
リシエは人目を盗んで、レイハードの唇を奪う。
レイハードにとっては、初めての経験ではなかった。王族の男に生まれたら、来るべき初夜のために夜の手解きを受ける。
それは事務的なもので、味気も何もないものだった。あくまで練習なのだ。未来の伴侶との生活のために仕方がないものである。
そう思わなければならないほどにつまらない行為は、少しばかり性に憧れていた少年時代のレイハードをがっかりさせた。
男ならば夢中になるという女性との行為は、とてつもなくつまらないものだとレイハードは実感したのだ。女遊びに夢中になる人間だっているが、レイハードはそこに楽しみを見いだせない人間だった。
いつかは、ティアとも夜の生活を共にしなければならない。それを考えると気ばかりが重くなる。王族の義務だとは理解しているが、ただでさえ苦手なティアが相手である。子を儲けるためとはいえ、苦手な相手と褥を共にすることは拒否感さえもレイハードに感じさせた。
いっそのこと好色であったならば、ティアを味見する程度の興味は持てたかもしれない。だが、色事に興味を失っていたレイハードにとっては将来の夜の生活など重荷以外の何物でもなかった。
しかし、リシエとの口付けは違った。
リシエのふっくらとした唇は、しっとりと柔らかい。そして、どこまでも暖かかった。これほど甘美な経験は初めてのことだ。今までにないほどに心が躍り、リシエのことが心の底から愛しくなった。
そして、同時に彼女の全てが欲しいと思った。
産まれては初めて、興奮で体が火照る。リシエの全てから目が離せなくなって、自分には彼女しかいないのだとレイハードは強く思った。
「リシエ、空き部屋があるんだ。そこに君をつれていきたい」
レイハードに誘われて、リシエは最初こそ戸惑っていた。男性から部屋に誘われたとなれば、どんな箱入り娘であっても意味に気がつくだろう。
リシエは未婚の少女であるので、誘いを断られてもしかたがないとレイハードは考えていた。あまりにも突然の誘いであったのだ。男性以上の心の準備というものが、女性には必要になるであろう。
「レイハード王子の心のままに……」
リシエが臣下としての礼を取ろうとするので、レイハードは辞めさせた。これは、王子としての命令ではない。レイハードという一人の男として、リシエという女性に告白をしているのだ。
「リシエ嬢、どうか哀れな男の愛を受け入れてくれ。君がいなければ、俺の魂に安然の時は訪れないだろう」
レイハードは、恭しくリシエの手を取った。身分など捨て去ったレイハードの瞳を見つめて、リシエは恥ずかしそうに頷く。レイハードの愛は、リシエに受け入れられたのである。
「リシエ……私のリシエ。君のことを一生離さない。今ここで、それを約束しよう」
レイハードは、感情のままにリシエを抱きしめた。リシエの手もレイハードの背中に周り、二人は思いあった恋人同士になったのだ。
「私をレイハード様だけのものにしてください。私を……私だけを」
瞳を潤ませるリシエを連れて、レイハードはパーティー会場にと借りた屋敷に入る。そして、部屋を一室借りた。
この後に密室で経験したことは、レイハードの一生の思い出となった。
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