第12話令嬢が失踪しなければならなかった理由


 正体を見破られたティアであったが、桜妓楼の従業員という姿勢は崩さずに立ったままの姿勢でいた。カグラが許して始めて座ったので、自らの身分を捨て置いているらしい。気位の高い貴族においてなかなか出来るようなことではない。


「初めまして。アセニシア伯爵家のティアと申します」


 凛とした姿には、名家の令嬢に相応しい気品があった。


 ティアの姿は遠目でしかアリアは知らなかったが、将来の王妃としての敎育は十二分に受けていたようだ。座っているだけで迫力と賢さを感じさせる人間などはそうはいない。


 こうして見れば、ティアの女性らしからぬ長身は武器になる。小柄なレイハードでは、この迫力は出すことが出来ないだろう。


「俺は、ソリシナ伯爵家に仕えるアリアと申します。主のサーリス様の命を受けて、ティア様の捜索をしていました。先程の無礼をお許しください」


 アリアが丁寧に頭を下げれば、ティアは「楽にしてください」と言った。


「サーリス様と親しくさせて頂いたのは子供のときですが、よく覚えています。そうですか……彼が私の身を案じてくれたのですね」


 スカートを握りしめるティアの手が、わずかに震えていた。その様子を見咎めたカグラが、ぱちんと扇を鳴らす。


「身分うんぬんに縛られた喋り方は止めろ。貴族の好かないところは、会話がまどろっこしいところだ。ここは背負ったものを脱ぎ捨てられる、桜妓楼。堅苦しい態度は、ここの主人として許さない」


 この場の主人はそう言うが、染み付いた身分制度がアリアを戸惑わせる。その様子を見たティアは、くすりと笑った。


「カグラ様が言うならばしょうがないわ。彼は、私の恩人だもの」


 ティアがカグラを見つめる目には、たしかな信頼があった。わずかな間だというのに、カグラはティアを随分と懐かせたらしい。


 これが娼館の主の手腕かとアリアは舌を巻いた。女を扱う仕事だからこそ、女からの信頼を得ることが重要なのだろう。


「それでは、俺も失礼して……。ティア様が姿を消した夜に、いったい何があったんだ?できれば、教えて欲しい」


 アリアの言葉に、ティアは決意を新たにしたように表情を引き締める。


「あの日……私は自分の護衛に殺されかけたの」


 ティアの言葉に、アリアは言葉を失った。


 まがりなくとも王子の婚約者であるティアの周囲には、身元が確かな人間しか配置されない。だからこそ、誰もがティアの身内を疑わなかった。


「最初に動いたのは、御者のリリンダ。私と同年代の男性で、子供の事からアセニシア伯爵家に使えてくれていたらしくて。普段は父の護衛をしていた人だったの。彼の名前とかは、カグラ様に後から教えてもらったのだけれども……」


 ティアの父親の使用人だったということは、アセニシア伯爵家の覚えも良い人材だったはずだ。そんなリリンダは、急に馬車を止めたという。そして、他の護衛達が一斉に剣を抜いて――ティアに斬り掛かったらしい。


「なっ。御者だけじゃなくて、護衛全員にだって。そんな事があり得るのか……」


 護衛全員が襲いかかったということは、目的はかなり大きいはずだ。そして、黒幕の存在は考えたくもないがティアの実家であるアセニシア伯爵家の可能性が高い。


「私は馬車の中から引きずりだされて、リリンダに剣を向けられた。でも、次の瞬間に倒れていたのは他の護衛たちだったの」


 リリンダは、血の海を作りながらもティアの手を引いた。そして、隠れていたカグラにティアを引き渡したのだ。


「リリンダは、アセニシア伯爵家が私を殺そうとしているから逃げるようにと言ったのよ。外国まで逃げれば助かるかもしれないって……」 


 ティアは、カグラの方をちらりと見た。


 桜妓楼は東洋人ばかり集まった娼館だけあって、国外への渡航の伝手は持っている。旅行船や貨物船などを所有している会社よりも足もつきにくいはずだ。


「アセニシア伯爵家が、どうしてティア様の命を狙ったんだ?王子の婚約者で次期王妃だなんて、一族に利益しか生み出さないだろうに」


 アリアの問いかけに、ティアは苦しげに答える。その瞳には、涙が浮かべられていた。


「分からないわよ。……家を出るときだっていつもと変わったことなんてなかったわ。お母様と一緒にドレスも選んだのよ」


 何気ない日常だったというのに、パーティーでレイハード王子に婚約破棄を告げられた。そんな馬鹿な話があるかと憤っていたときに、ティアは家族の裏切りにあったのだ。


「レイハード様の心変わりよりも、家族に殺されかけた事が今は悲しいの。私は、レイハード様をそれほど慕っていなかったのね。だから、こんな天罰を受けて……」


 大粒の涙を流すティアを横目で見ていたカグラは立ち上がり、女の白い頤に指先で触れる。ティアに顔を上げさせて、閉じた扇で彼女の額をペちりと叩いた。


「何やってるんだ!!」


 何が起こったのか分からないティアは目を白黒していたが、王子の婚約者を叩くという暴挙を目の前にしたアリアは悲鳴をあげた。この場での無礼講が許されていたとはいえ、未来の王妃に対して非礼が過ぎる。ギロチン台に立たされても文句は言えない。


「愛がどうこうと悩むのはいいが、今はそのときではない。幸いにも、お前の選択肢は二つに増えた」


 カグラは、ティアの眼の前に二本の指を立てて見せる。


「一つは、僕たちの手引きで東洋に行くという選択。だが、僕たちが出来るのは送り届けるまでだ。仕事の斡旋や住処の融通などは出来ない。そして、異国での女の仕事など高が知れているのは分かるな」


 逃げたところで異国の地では生きるために娼婦になるしかないとカグラは言っているのだ。


 教養のあるテイアならば別の仕事もあるかもしれないとアリアの脳裏に過ったが、すぐに口を閉ざした。何人もの女の面倒を見てきたカグラの言葉には重みがある。アリアのそれは、所詮は希望的観測過ぎない。


「もう一つは、サーリスという男を利用して自分が巻き込まれた事件を解明すること。その後に、憂いなくサーリスの妻の座に収まれば生活の心配はないだろう」


 カグラの提案に、ティアが否と唱える。


「そんなことをすれば、無関係なサーリス様にご迷惑をかけてしまうわ。それに、愛のない結婚で、また裏切られたら……」


 レイハードの婚約破棄は、家族の裏切りほどではないがティアに傷を残したらしい。途方にくれているティアをカグラはあざ笑う。


 無礼を無礼とも思わないカグラの態度に関しては、アリアはもう矯正をあきらめた。死ぬときは共にと誓ったので、腹を決めるしかない。


「貴族の結婚に愛はないのが普通だ。それに、サーリスという男は事件が起きてから首を突っ込んできている。面倒ごとに巻き込まれることが分かっているのにな。だから、お前に惚れていることに間違いはない。妻にしたいという申し出は、かなりの覚悟を持っての言葉だろう」


 カグラの指摘で、ティアの頬に薄っすらと朱がさした。


 アリアがティアに頷いて見せれば、彼女は耳まで赤くなったのでサーリスの想いは一方通行ではなさそうだ。


「男を転がすのも女の技量の内だ。そして、この選択肢ならば異国に行かなくとも済む」


 サーリスの求婚を受け入れるという選択肢は、ティアにとっては渡りに船と言って良い。たとえ、単身で事件を解決してもティアは実家を頼れないだろう。若い貴族の女が後ろ盾を手に入れるためには、結婚しか方法はなかった。


「少し……時間をちょうだい。私は、家族が自分を殺そうとした理由を知るのが恐ろしいの」


 アリアは、ティアの意見を尊重することにした。カグラが目を光らせる桜妓楼ならば、ティアの安全が確保されるはずだという信頼もあったからだ。


「アリア、サーリスという男に桜妓楼に来いと伝えろ。妻にしたい女には、自ら求婚するものだ。その時まで、ティアは自分の道を選んでおけ」


 サーリスの妻になるか。


 異国で、一人で生きるか。


 テイアは、それを決めなければならない。


「さて、アリアは用事もすんだろう。出口まで送って行こう」


 妙な申し出だとアリアは思った。いつもは送り迎えなどはせずに、勝手に帰れとばかりにアリアを部屋から追い出すというのに。


 アリアはカグラの行動を不審に思っていたが、彼はというとテイアの茶器の片付けを命じている。王子の婚約者を顎で使うことをすっかり覚えてしまったらしい。


 ティアの片付けを見守ることなく、カグラは部屋の外にアリアを連れ出した。主の部屋の周囲には人はおらず、逆に出口の方からは人の声が聞こえる。


 夕暮れが近くなったので、気の早い客たちが桜妓楼に訪れ始めたのだろう。カグラの仕事は、これからが忙しくなる。



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