第9話アクセサリーは愛の証明
ベリツナ歓楽街は夜の街だが、日中の人通りが途絶えるわけではない。
歓楽街にはいくつもの娼館が立ち並び、そこで娼婦たちは住み込みで仕事をする。そんな娼婦たちに商品を売りつけるために、ロバに荷台を引かせて商人たちがやってくるのだ。
商人が馬を使わないのは、ベリツナ歓楽街の道が狭いからだ。表通りには馬車が通れるほどの道があるが、裏通りともなればそうはいかない。
商人たちは裏通りを近道に使って、広い歓楽街で商品を売り歩く。ベリツナ歓楽街に来る商人は、そのために馬よりも小回りが効くロバを使っているのだ。
ロバを使ってまで、わざわざベリツナ歓楽街に商人が来るには理由がある。
娼婦というのは、思いのほか体力仕事だ。昼間は出来るだけ寝ていたいというのが本音である。だから、ベリツナ歓楽街を出る事が億劫になる娼婦が多いのだ。そんな彼女らのために、歓楽街の内部で商人は物を売っているのである。
ロバに引かれてやってくる商品は、娼婦の仕事道具として必須である化粧品や艶やかな衣装。避妊薬に墮胎薬。さらに、店で扱う食料に茶や酒にと様々だ。
商品を買い求めに来るのは、娼婦になるには若すぎる子供たちだ。月のものが来れば彼女らも娼婦として稼ぐことが出来るが、それまでは下働きをしながらベリツナ歓楽街の独特のルールを学んでいく。
娼婦が避妊で失敗した娘たちの多くは、このように育つことが多い。娼婦の子は、娼婦になるのである。産まれた子が男の場合は、子供の時のように下働きを続ける場合もある。しかし、多くがベリツナ歓楽街を出ていくという。彼らが、どのような生活を送っていくのかまではアリアは知らない。
店の御使いを終えた少女たちが去っていけば、眠そうな顔をした娼婦たちがのそのそと商品を眺め始める。夜の華と呼ばれる彼女らも昼間はくたっとしていて、萎れた花という風情である。
「ありゃ、アリア。昼間から何をやっているのよ。タバコ屋は止めて、アクセサリーでも売りに来たの?」
アリアは、顔なじみの娼婦に声をかけられた。娼婦を買ったことはないアリアだが、知り合いを頼りにベリツナ歓楽街に顔を出すことは多い。そういう生活を子供の時から続けていたせいもあって、アリアは普通の人間よりも娼婦の知り合いが多かった。知り合いが、ベリツナ歓楽街では有名人であることも大きな理由の一つではあろうが。
「こっちは、昼間が仕事なんだよ。あと、タバコ屋は子供の時に辞めた」とアリアは返事を返した。なお、ベリツナ歓楽街の娼婦たちは、アクセサリーは客から貰ったものしか身に着けない。
娼婦は貰った宝飾品が多いほど自分の人気を見せつけることが出来るし、指名してくれた客が過去に自分に贈ったアクセサリーだけを着けて一途さを演出したりする。
だから、ベリツナ歓楽街では商人たちはアクセサリーを売らない。顔見知りの娼婦は、それを知っているからこそ冗談で商売を鞍替えしたのかと訪ねたのだ。
「今日は仕事だ。最近、若くて育ちが良い女が連れてこられなかった。あと、ハウリエルっていう男が営んでいる商会についての噂話を探しているんだ」
ハウリエルの名を聞いた娼婦は、なんだかバツの悪そうな顔をした。
「その男は、ここらではちょっと有名なんだよ。金持ちなんだけどさ……。大抵の場合は、目的は一つだから」
大抵の男なら目的は一つだろうとアリアは眉をひそめる。娼婦と遊ぶ以外の目的の客などいない。
アリアの様子を見た娼婦は声を潜めて「あっちの趣味……つまりは男娼相手に遊んでいたんだよ。しかも、かなりの頻度でやってきていたらしいよ。金遣いがとにかく派手な男だったから、有名だったのさ。その上、五人衆の娼館にだって顔を出していたからね」と囁いた。
ハウリエルの子供は、王子を篭絡したリシエと彼女の兄の二人である。かつてはハウリエルが立ち上げた商会は、今はリシエの兄が継いでいるようだ。時間と金に余裕があるハウリエルは、ベリツナ歓楽街で楽しく遊ぶ生活を過ごしているようである。
「ご存知の通り、男娼は桜妓楼にしかいないからね。そこが、ハウリエルから一番搾り取っていたんじゃないかな」
ベリツナ歓楽街には、娼婦だけではなく男娼もいる。ただし、その数はかなり少ない。買い手が少ないし、女以上に容貌が求められる。そのせいもあって、男娼を扱うのは桜妓楼という名の娼館だけだ。
アリアはわけあって桜妓楼には詳しいが、そこでも男娼は十人もいなかったと記憶している。しかも、ほとんどが下働きを兼任していた。つまり、それほど春を売るような仕事は少ないのだ。
「今回も桜妓楼に行くしかないわけか……。しかし、よりにもよって趣味がそっちとは」
今回は会う用事はなかったはずなのにとアリアはため息をつく。知り合いの娼婦は大口を開いて「せっかく店主に好かれてるのに嫌われちゃうよ」と笑っていた。
笑う彼女の顔を睨もうとしたアリアは、彼女がくすんだ金髪であったことに気が付いた。
三十代前半の彼女は娼婦としては年季が入っていて、白い肌が好まれる昨今の時流に逆らって浅黒い肌をしていた。しかし、長い娼婦人生で売れっ子だった時期が少なかったせいなのか男にちやほやされる金髪女のなかでは、圧倒的に気立てが良い。このような女こそ酒屋に必要なのではないだろうか。
アリアはそう考えて、酒場の名前と住所を書いた紙を彼女に握らせた。
「知り合いが新しい商売を始めたいって言っていてな。一回でもいいから訪ねてやってくれないか。あいつは、金髪が好きだから酒ぐらいは奢ってくれるだろうよ」
アリアの言葉に、娼婦は一瞬だけ難しい顔をした。
「……まぁ、この歳になれば若い子たちには敵わないからね」
しぶしぶとメモを受け取った娼婦は、深いため息をつく。
「しっかし……私に務まるかね。酒屋のウェイトレスなんて」
若干の行き違いはありそうだが、どのような業務体系になるかは雇用主と相談してもらうことにしよう。アリアは、あくまで紹介しただけだ。
「これから桜妓楼の方に行ってくる。酒場の主に会うときは、その金髪を思いっきりアピールしてくれ」
娼婦に念を押せば、彼女は「好みが金髪女ってわけかい」と豪快に笑う。男相手の商売が長いだけあって、店主のしょうもない趣味を瞬時に理解してくれるのは助かった。
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