第6話男爵家の奥様はメイドに扮する



「酒場にハーデル男爵家の奥方がいたっていうのは、本当なのかい?」


 レイハード王子の誕生会から帰ってきたサーシェスの着替えを手伝いながら、アリアは「はい」と返事をする。男性の正装は女性のドレスほどややこしい作りではないために、鏡の前に立つサーシェスの世話をするのはアリア一人だった。


「話を聞いてみたら、ハーデル男爵家は借金で首が回らない状態だったようです。そこで巡ってきたのが裕福な商家との縁談らしくて、ハーデル男爵家は娘を商人と結婚させて婿養子にするしかなかったと言っていました。酒場にいた奥方様は、金のために商人と結婚したという女性です」


 ハーデル男爵家には娘しかおらず、家の存続には婿養子を取ることが必須条件だった。


 けれども没落一歩手前の男爵家に婿に来てくれる男はおらず、随分と難儀していたらしい。そんなときに持ち上がった縁談は、ハーデル男爵家にとっては家を存続させられる唯一の手段だったのだ。


 商人の婿を迎えた娘こそ、アリアが酒場で保護したユシャという女性だった。


 ユシャは結婚した当時は十六歳で、夫となった商人のハウリエルは四十四歳。政略結婚が主な貴族では珍しい年齢差ではないが、金持ちとは言えど商人と結婚しなければならなかったユシャがアリアには不憫でならない。


 貴族というのは、誇りを重んじる生き物である。自分たちは特別だと思い込んでおり、結婚相手にも当然のごとく特別を求める。故に、貴族が貴族以外と結婚することは屈辱以外のなにものでもなかった。


「王子を射止めたリシエ嬢は、その商人の連れ子らしいです。だから、ユシャ婦人の義理の娘になりますね」


 現在のユシャは、十九歳。


 リシエは十六歳だという。


 三歳しか歳の差がない義理の親子というのは、政略結婚ばかりの貴族社会のなかでも珍しい。さぞかし居づらい家庭が完成したことだろう。


「ユシャ婦人によるとリシエ嬢が王子を射止めたと知ると夫が「これでリシエの役割が終わったな」と呟いたそうです。金儲けに関しては黒いこともやってきた人だったらしくて、ユシャ婦人からしてみればただ事ではないように思われて……。レイハード王子が婚約破棄を言い出したことで、さらに怖くなったそうです」


 夫から逃げたいと思ったそうだが、ユシャには頼れるような親戚も友人もいなかった。商人の夫を迎えた時点で、知人たちは次々とユシャと縁と切っていったという。頼れる人はいないユシャは、夫の息がかかっていない用心棒を雇おうと考えた。


 没落気味だったとはいえ、箱入り娘の突拍子のない発想を聞いたサーリスは唖然としてしまった。夫の息のかかっていない用心棒を探そうと考える気持ちは分かるが、その人物を居酒屋で探そうとするのは摩訶不思議な思考回路だ。


 正攻法だと夫のハウリエルに勘付かれるとユシャは思ったそうだが、それにしたって大胆すぎる。安い居酒屋に上品な紳士など集まらないというのに。


 しかし、ユシャは荒くれ男の方が護衛としては役に立つと考えたらしい。やはり、信じられないような考え方である。


「その……豪胆な御夫人はどうしているんだい?放り出すわけにもいかなかっただろう」


 サーシェスは、紳士らしく困窮したユシャのことを心配した。


 それは、アリアも同じであった。そして、彼女の安全を確保できるような場所など一つしか思い当たらなかった。


 それは間違っても馴染みの店主がいる酒屋ではない。ユシャは、美しい金髪の持ち主だったからだ。店主に預けたりしたら、間違いなく面倒なことが起きるであろう。


「ユリハス様に相談して、屋敷のメイドとして雇っていただくことになりました。ユシャ婦人はご苦労された方ですから、身の回りのことはもちろん屋敷のことは大方はやっていたそうです。掃除や洗濯といったことも問題がないと言っていましたし、身分を隠さずに屋敷に滞在すれば夫が迎えに来るかもしれないと脅えていましたから」


 あくまで使用人として働いて身を隠したいとユシャは言ったのだ。


 ソリシナ伯爵家の屋敷には他の使用人も大勢いるが、さすがに彼らも男爵家の奥様がメイドに扮しているとは思わないだろう。一番信頼が厚いメイド長には、念の為に事情を話してある。経験豊富は彼女ならば、ユシャの仕事もそれとなく助けてくれるはずだ。


「それにしても、リシエ嬢は元平民だったということか……。ユシャ婦人は、娘がどこで王子を射止めたかは知っていたのかい?」


 サーシェスの着替えの手伝いを終えたアリアは、服を大切にクローゼットにしまいながら答えた。


「残念ながら知らないそうです。それどころかリシエ嬢とは、ほとんど喋ることもなかったと言っていました。日常生活では、堅苦しい挨拶を返されるだけだったとか」


 三歳違いの義理の母娘である。双方共に複雑な思いはあったであろう。そのような関係になってしまうのも納得だった。


「ですが……リシエ嬢の食事などのマナーは完璧であったと言っていました。裕福な商人の娘だから厳しく躾られているのだろうと思ったそうですが、リシエ嬢の父親はマナーを知っている方ではなかったようです」


 娘が良い縁談を得られるように父親心で躾けたのだろうか。しかし、リシエ嬢が王子を射止めた後となっては、あらゆることが不審に思えてしまう。


「俺は、もう少しリシエ嬢のことを調べてみます。昨日のパーティーの方は、いかがでしたか?」


 アリアの質問に、サーシェスが苦笑いを浮かべる様子が鏡越しに見えた。平穏ではないパーティーだったようだ。


「……あれは、歴史に残りそうな前代未聞のパーティーだったよ」


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