「――こーくんに好意はあるか、ですか?いや、そんな、ある訳ないじゃないですか。あの人があんなことしたせいで、私の人生めちゃくちゃですよ。角川太輔が亡くなって、ただでさえ事務所の今後の運営に暗雲が立ち込めていたんです。そんな中、彼の息子が精神障害を負ったと来た。しかもその原因は、先日のあの事件。外傷こそなかったけど、事務所の枕営業が第三者に発覚したことで、関係者の身内が被害を追いました。――きっと、あの場で関係を持った他の人たちにも大切な家族や恋人がいたんでしょうね。結局事務所のビジネスは完全に破綻し、私の経歴も白紙に戻っちゃいました。せっかく、せっかく俳優としての仕事も軌道に乗り始めてきたのに。それに、あんな悲惨な事件が起きたおかげで、世間は大注目ですよ。これでもし、マスコミなんかが彼の犯行動機なんかに興味を持ちだしたらどうなるんでしょうね。きっと私の事も、私がしていたことも全て明るみに出ますよ。私には、『仕事のためになら誰にでも股を開くビッチ』っていう汚名が着せられて――まあ事実そうだったんですけど――家の住所も特定されたりして、私だけじゃなくて、ママにまで罵詈雑言の嵐がやってくるかもしれない。ママ、今の職場続けられなくなっちゃうかな。私の事を見る目も、変わっちゃうのかな。これまで――どんなに自分の夢を追いかけても、ずっと部屋に引きこもっていても、私を心配してくれてたママに、軽蔑されちゃうんだろうな。


 刑事さん、もしかして私がこーくんのこと唆したんじゃないかって考えてるんじゃないですか。彼の好意に付けこんで、私がこーくんに犯行を示唆したんじゃないかって。……だったらさっきの言葉はダメだったかな。私もこーくんのことが好き、って言っていれば、好きな人にそんな酷い事させるわけないって私の容疑は晴れたかも。


 でも結局、私、嘘でも彼の事好きなんて言えなかった。だって、こーくんがあんなことしたせいで、私、こんな不幸になっちゃった。何もなければ、私はきっと順調に仕事を得て、ママとも仲直り出来て、全部うまくいっていたはずなのに。綺麗事だけじゃ、生きていけないじゃないですか。それを私を救うためだとか、角川太輔への復讐だとかで全部台無しにして。私はこーくんに、そんな事してなんて、一言も言ってない!甘いですよ、お子様ですよ。こーくんは、社会がどれほど残酷なのか、夢を追いかけることがどれほど苦しいものか知らないんだ!


 ――あの時、もしこうしていたらって思うことが、何度もあります。もし、こーくんに私が枕営業の事を話さなかったら。もし、あの日スカウトに来た角川太輔を少しでも怪しく感じていたら。もし、ママの話を素直に受け止めていたら。もし、自分の無能さを、認めることが出来ていたら。私、ママの隣で、高校の同級生の隣で、今でも幸せに暮らしていたのかな。


刑事さん、私、これからどうしよう。私、どうすれば、いいのかな――」

 




 ピ、という電子音が鳴り、音声が停止する。


 逢野秀秋は耳からイヤホンを外すと、目の前のノートパソコンに映し出された画面を見つめる。


 表示されているのは、四つの音声ファイル。今回の事件で、関係者の一人とされた椿木紗英との事情聴取を録音したものだ。


 パソコンを閉じ、デスクから離れる。同期の刑事が不審そうに視線を送ってくるが気にしない。


 喉が渇いていた。


 会議室から出て、近くの自販機へと向かう。


 何を飲もうか一瞬迷った後、いつも通り缶コーヒーのボタンを押す。小気味良い音を立てて飲み物が吐き出される。


 熱い缶を両手で取っ替え引っ替えしながら、近くのベンチに腰掛ける。脳裏には、今回起きた事件の顛末が引っ切り無しによぎっていた。


 東北本線の電車内で起きた殺人事件。


 犯人は木村康生きむらこうせい、十八歳。近くの県立高校の三年生。


 被害者は二十代の男女二名。いずれも凶器のサバイバルナイフによって大動脈が損傷し、失血死していたのが確認された。


 被害者と犯人の間に面識がないことから、捜査会議側はつい先日まで今回の事件を突発的な無差別殺人事件と判断していた。


 しかし、その後逢野らによって行われた事情聴取によって驚くべき事実が判明する。


 木村康生の殺人には、計画性があったことだ。


 彼曰く、その日彼は自身の高校の同級生でもあった角川祥太つのかわしょうたの殺害を計画していた。この事実は彼のスマートフォンから、彼と角川祥太が電車内で待ち合わせをする旨の連絡が発見されたことからも裏付けが取れている。


 しかし、――これも彼曰く――些細なミスと、人をこれから殺すという強い精神ストレスから、誤って見ず知らずの男性を差してしまったらしい。二人目の犠牲者である二十代の女性については、電車が急停止した際に体勢を崩し、これも誤って手にしていたナイフが刺さってしまったとのこと。


 以上の凄惨な「事故」を背景に、本来殺害されるはずだった角川祥太は奇しくも一命を取り留めた。だが、大の親友が――高校で行った事情聴取によると、二人はかなりの仲だったらしい――自分を殺そうと画策していた事実、実際に事件現場に居合わせたストレス、そして直近に父親を亡くしていたことも相まって、精神的に不安定な状況が続いているらしい。その方面に聡い刑事によれば、急性ストレス障害の症状に近いとのことだ。現在は高校を休学し、カウンセラーや近くのクリニックに定期的に通っているとのことだ。


 彼のこの供述が事実であれば、彼の容疑は殺人罪から殺人予備罪及び重過失致死罪へと変わる可能性があり、角川祥太の精神疾患が正式に認められれば傷害罪としての再逮捕もあり得る――が、世間が大きく注目したのはそこではなく、彼の動機だった。


 彼の供述の中で、新たに二人の人物の名前が浮上した。


 それが、椿木紗英つばきさえ角川太輔つのかわたいすけ


 椿木紗英は、これもまた木村康生の高校のクラスメイト。彼曰く、彼女は俳優業を志しており、それは家族や周囲の人間からの話や、ここ数か月彼女が殆ど高校を欠席していることからも証明されている。


 問題は、そんな彼女が所属している事務所――芸能事務所スターエッグにあった。


 スターエッグの事務所長が件の角川太輔であり、彼が木村康生の話していた角川祥太の父親だったのだ。


 無計画と思われていた殺人事件に、一つの関連性が浮上した。捜査本部は規模を拡大し、当該人物への事情聴取を行った。


 その結果、角川太輔率いるスターエッグではビジネスの一環として枕営業が行われていたことや椿木紗英も今年三月に入所して以来それに参加していたこと、角川太輔は先月末に心筋梗塞で命を落としていること、木村康生が椿木紗英と角川太輔をはじめとする周辺人物への調査をある探偵事務所に依頼していたことなどが明らかになった。


 逢野自身聞いたことはなかったが、芸能事務所スターエッグには、映画好きの一定層に周知されているような無名実力派俳優が多数所属しているらしかった。いわゆる、知る人ぞ知る事務所らしい。そんな事務所が大々的に枕営業を行い、役職を得ていたという事実は、映画好きを中心にネットで大きく炎上した。そして、一連の事実関係から、木村康生を「悪徳事務所に囚われた幼馴染を救うヒーロー」とする見方も生じ、彼の行いを擁護する声、それを批判する声、かつて枕営業を強要されたとカミングアウトする声など、色々な方面から話題となった。ついには大手テレビ局までもがこの事件を様々な尾ひれと推測を付けて取り上げ、現在大きな注目を集めている。


 現在捜査本部は、木村康生の精神鑑定に勤しんでいる。というのも、彼に犯行動機を問いただした時、決まって彼は世間や我々の推測する「幼馴染を救うヒーロー説」を真っ向から否定し、「あれは恋だった」、「真っ赤な血潮が綺麗だった」などといった、的を射ない解答を口にするからだ。精神鑑定士の話によれば、何らかの精神疾患が生じている可能性が高い、とのことだが、万が一それを理由に彼が無罪放免となったならば、世間は悪い方向に大きく盛り上がることだろう。


 また、椿木紗英についても懸念事項は残っている。本来売春行為は違法ではあるが、それを裁く懲罰は存在しない。だが、仮に彼女がスターエッグに入所した三月――つまり、まだ未成年だった時期から売春行為を行っていた場合は話が別だ。未成年との売春行為は、買春した側に刑罰が発生する。その部分を明らかにするためにも、彼女とはもう何度か話をする必要がある。無論、彼女自身に罰則が生じることはどっちにしろないが、世間の目はどこまでも厳しい。きっと彼女には法的処罰に勝るとも劣らない、社会的制裁が待っているのだろう。


 プルタブを開け、コーヒーを口に流し込む。薬のようにただただ苦い液体が、体中を温めていく。ここのところ重労働続きであまり眠れていないが、これでもう少しは持つだろう。


「誰も、救われないな」


 逢野は無意識にそう零す。


 結局彼はヒロインを救うヒーローにはなれなかったし、彼女だって悲劇のヒロインを全うしきれなかった。 


 実際に彼らの前に広がるのは、刑法の断罪と、社会の白い目。


 きっと二人は、ただの凡庸な高校生だったはずだ。特別な能力もなければ、特別な事情もない。ただありきたりに夢を見続け、ありきたりに将来に不安を抱える十代の若者だった。


 けれど、気づけば二人はこんな奈落の底まで落ちてきている。


 誰もが底知れぬ闇を抱えている、ということだろうか。それとも、深淵は私達のすぐそばに広がっている――?


 どちらにしても、大それた寓話にはなり切れないだろう、というのが逢野なりの見解だ。


 僅かに残ったコーヒーを一気に呷り、逢野は空き缶を近くのごみ箱に投げ捨てる。


 さあ、まだまだ仕事は残っている。


 二人にとってのこの悲劇はきっと、日々加速する社会の中であっという間に消費されていくのだろう。


 どこかストーリーテラーにでもなった気分で、そんなことを考える。


 けれど、そんな考えもいつの間にか彼の頭の中からは消えていて。


 いつもと変わらない凡庸な時計が、逢野の中でまた、時を刻み出すのだった。

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