②
「――その日も私は、東京へオーディションを受けに行っていました。でも、審査員の人たちの反応はあんまり良くなさそうで、きっとまた、落とされちゃうんだろうなって思っていました。
確か、渋谷駅だったと思います。いつもそこから大宮まで行って北上するんですけど、家方面に行く電車は本数がそこまでなくて。中途半端に時間が余ったので近くをぶらついていたんです。角川太輔と出会ったのはその時でした。突然、声をかけられたんです。『君、女優になる気はない?』って。――新手のナンパか、と今なら思うでしょうね。でもその時の私は、オーディションに落ち続け、藁にでも縋りたい私、でした。だから、後先も考えず、近くのカフェへと促す彼の後をついていきました。
正直、焦ってました。ママとも雰囲気悪くて、来月からは高校三年生で、時間だけがあっという間に過ぎていくんです。自分がこの先何者になるのかの検討が全く付いていないんです、あまり頭が回っていなかったと思います。彼の話は、今考えればところどころにおかしな点がありました。入会金やマネジメント費用は無料、いかに他事務所より安いかを強調し、俳優業界の素晴らしさや楽しさだけを口にする。何度もオーディションに落ちている私の事を『一目見ただけでわかる潜在能力の持ち主』だなんて言うし、挙句の果てにはその場で事務所への入会を即決させようとしてきたんです。信用できるのはスターエッグという、何度か耳にしたことのある事務所名だけ。『私でも入会すればすぐに仕事を頂けるんですか』と聞いたとき、彼がそれに快諾するまでの一瞬の沈黙を疑うべきでした。けれど結局のところ私は、彼の口車に乗せられてしまいました。電話番号や住所といった個人情報を提示し、誓約書にもサインし、たった数十分で私の首輪は角川太輔に繋がれました。
そのまま、事務所へと向かう運びとなりました。帰りの電車のことは、もうどうでもよくなっていました。駅前から十分近く歩いたところにある、何の変哲もない雑居ビル。そこの三階にスターエッグはありました。普通、芸能事務所を謳っているのなら、新人俳優募集中、だとかの看板や広告が出ていると思うんです。それがどこにも見当たらなかった時点で少し嫌な予感はしていました。ただの雑居ビルに事務所があるっていうのも聞いたことがなかったし。
結局その悪い予感は当たります――まあ、当たってしまったから私は今ここで話をしているんですけどね。外見とは打って変わって事務所の中はとても騒がしい様子でした。というか、事務所と聞いて想像されるような内装とは、百八十度違っていました。言ってしまうとキャバクラみたいな感じで。大部屋にボックスソファがいくつか置かれていて、それぞれの席で『客』と御付きの『店員』がお酒を呷ったり会話をしたりしている、といった状況です。驚いたのは、その『店員』に見覚えのある人がいたことです。有名ではないけど、いくつかのマイナー作品で結果を残している俳優さんが殆どでしたけど。後でわかったことですが、その人たちは全員、スターエッグに所属している方々でした。
これがスターエッグの経営手法だと彼は言っていました。一定以上の実力を持ち、けれどそれを中々発揮できない俳優をスカウトし、裏技を――彼はこの下品なやり方をそう脚色して言っていました――使って表舞台に上げる。役者側はこれまでの経験で、正式な手段で仕事を捕まえることが不可能なことを理解している、だから、この手法に難儀を示すことはない。『客』は殆どが映像・芸能関係のプロデューサーや監督で、彼らにとっては最近の役者事情や役にピッタリの人材を発見できるいわゆる『掘り出し物市場』としても作用していて、また単純に若い男や女との会話、それ以上の関係を堪能できる。――ということで、相互にメリットのある場を作り出していたようです。そして角川が、『紹介料』として『客』からそれなりのお金を頂く。こんな表に出せないような経営だけど、彼のその『眼』だけは本物だったようで、これまで『客』側からも『店員』側からも、この経営方針を告発するような出来事は起こっていないようでした。
『清濁併せ吞む』という言葉が頭をよぎりました。この身をここで捧げなければ、自分の夢を叶えることは出来ない。結局私もそっち側の人間だったみたいで、数分と経たないうちに私はこの接待に手を染めることを決意していました。
その後、すぐに私も『店員』として営業に繰り出すことになりました。最初のうち、私の相手は殆ど角川が務めていました。『これに関しては半分趣味』と、彼は言っていました。漫画でしか見たことがないような布面積の少ないドレスを着せられて、本心とは正反対の笑顔を取り繕って精一杯奉仕しました。酒が入ると彼はいつも饒舌になりました。自分一代でこの仕事を軌道に乗せたとか、自分には妻と高校生の息子がいるとか、最近飲みすぎ食いすぎが生じて糖尿病に罹ってしまった、とか。――未成年飲酒?悪いですけど、そんな些細なこと構っていられませんよ。私は何をしても叶えられない夢を掴むためにスターエッグにいるんです。法の一つや二つ――すいません、あなたの前でこう言うのは良くないですね。
接客していると、時々他の『客』と『店員』が何の断りもなく事務所から出ていくのを見ました。言ってしまえば、枕営業です。ドラマ監督と寝て役をゲットする。昔から度々言われてきているやり方です。――はい、そうですよ。私もやりました。自分の意志で。結局、これが一番効率良いんです。下手な芝居売って『客』からの愛を勝ち取るよりも、思い切っておじさんに股開く方が。
驚いたことに、私の初めての相手は件の角川でした。芸能事務所を経営していると少なからずそっちの業界に伝手があるそうで、私にハマりそうな主役級の枠を一つ空けてもらっていたみたいです。『息子と同じ年頃の女が一番興奮する』と、以前彼は酔った勢いでこぼしていました。――きっと、そういうことなんでしょうね。なんにせよ、自分のハマり役をみすみす逃すという選択肢は、あの時の私にはありませんでした。
角川に連れられて、事務所近くのラブホテルに入りました。部屋に着くなり、彼は後ろから抱き着いてきました。回された両腕が私の胸を弄り、唇が私の首に吸い付きました。背中に、彼の大きく膨らんだアレの感触が、布越しでもわかるほどに伝わってきました。
彼に求められ唇を重ねました。初めてのキスでした。――これまで芸能活動に専念してきたから、恋人なんていたこともありません。だから、何もかもが初めての体験でした――キスも、セックスも。
私からするとただのおじさんにしか見えなかったけど、こればかりは『年の功』って言うんでしょうか――彼の愛撫はとても手慣れていて、気づけば私は服を脱がされていました。彼の舌が、指が、私の穴という穴を埋めました。耳を舐められ、股に指を入れられ、好きでもない男の手で、私のあそこが濡れていくのを感じました。
体が充分に蕩け切ったところで、彼がペニスを私の中に入れてきました。正直、彼の前戯は気持ち良くなかったと言ったら嘘になります。でも、私の体の中に異物が入ってくるあの感覚だけは、好きになれませんでした。文字通り『突き刺す』ような感じ。考えてもみてください、今まで何物も受け入れたことのない窮屈な穴を規格外の肉棒で無理やりこじ開けるんです。癒着した肉がメリメリと剥がれるようで内側がズキンズキンと痛みました。血も、出ていたと思います。処女膜って本当にあるんですね。
こちらの気を知ってか知らずか、角川は何を考えるでもなく、ただただ腰を振り続けていました。私の裸を見つめる彼の瞳はどこまでも真っ黒で、私を見ているようで見ていない――きっと、彼が見ていたのは目の前にいるただの『女』だったんでしょうね。理性とかを放り出した本能のみの世界に彼はいるようでした。唯一、彼が私の中で射精した時、彼のモノが細かに脈打った感触だけは、なんだか彼の『人間味』を感じて気持ち悪かったですけど。――あ、もちろんゴムはしてもらいましたよ。あくまでビジネスの関係ですから。本当の子作りは当分先の話です。
その後、驚くほど簡単に私はそのハマり役のポストを手に入れました。これまで何度もしてきた面接もオーディションも一切なく、先方からの一通のメールだけで私の役は決まりました。正直、嬉しかったですよ。昔からの夢だったから。確かに正規の方法じゃないかもしれない、でも当時の私にとっては『諦めない限り誰にでも希望はある』って言われてるみたいで本当に嬉しかったんです。
もともとはこれでさっぱり辞めるつもりでした。でも、もう少し続けてみようと思いました。頑張ってもっとお仕事を頂いて、夢を叶えた自分の姿をママに見せたかった。――ごめんなさい、今のは言い訳です。本当はもっと俗な理由です。だってこんな、いとも簡単に自分の望みが叶う方法、手放せる訳ないじゃないですか。確かに好きでもない男とするセックスは苦痛でしかないですよ。でも、その一瞬の不快感を我慢すれば、自分の夢を、私はまだ追いかけることができる。ほんと、何度もオーディションを受けては落ちていたあの頃が馬鹿みたい。結局は、自分本位の理由なんです。今ある問題を後回しにして、目先の利益ばかりを私は優先しました。で、その結果がこれ。
――なんで、こんな流暢に、あの時の話を出来ているんでしょうね。私にとってあの経験は、少なくとも辛い出来事として記憶されているはずなのに。誰かに聞いてもらいたかった、のかな。……うん、そうなんだと、思います。考えてみればこの四か月間、ママとは口も聞かず、事務所では行く度にこんな接待ばっかりして、その秘密をずっと抱え込んできました。他人事みたいだけど、私はきっと、人に話して、少しでも自分の心を楽にしたかったんです。――まあ、まさかその相手が、刑事さんになるとは思いもしませんでしたけど」
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