「うちはパパとママ、そして私の三人家族でした。パパは東京に本社のある大手企業に勤めていて、ママは専業主婦。生まれも育ちも栃木のこのあたりで──確かに田舎で不便なところもあるけど、それでも私はこの町が大好きでした。ありふれた幸せな日々を過ごしていたと思います。


俳優になりたい、と思い始めたのは、ちょうど小学校に上がる前くらいだったと思います。その頃家の近くでドラマの撮影があったんです。田舎を舞台にした青春ドラマみたいな。幼稚園児なんて暇がいっぱいあるから何度か撮影を見学しに行っていたんですけど、そこでヒロインを務めていた方に私、一目惚れしちゃったんです。


 彼女と初めて出会った日の事を今でも覚えています。その日はお世辞にも良いとは言えない天気で、幸い雨は降っていませんでしたが、空一面がくすんだ雲で覆われていました。


 そんな中、彼女が現れました。セーラー服に身を包み、はじけるような笑顔で、主役の男の子のもとへ駆けていきました。幼心ながら胸に溢れたのは『美しい』という感情でした。確かに可愛い、可愛らしい方だったんです。でも、それを搔き消してしまうほどの圧倒的な美。まるで天使が舞い降りたような、彼女の周囲だけ厚い雲が消え去ってしまったかのような、そんな記憶があります。


 彼女はこれまで別の場所で撮影していたようで、だから家の近くにやってきたのはその日が初めてでした。でも当時の私には、どうしても、彼女とは初対面だと思えなかったんです。いつか、どこかで会ったことがある気がしていました。


 後になって、その原因が彼女の『演技』にあると知りました。誰もが胸に秘めているヒロイン像を、彼女は演じていたんです。それは当時生まれてから六年しか経っていない私でさえもイメージできたものでした。逆に言えば、未熟な子供が持つヒロインへの微かなイメージさえもカバーしてしまう、彼女の演技の普遍性。昔の記憶だから知らず知らずのうちに脚色されている部分もあるかもしれないけど、私はそんな『俳優』という存在に、どうしようもなく魅せられてしまったんです。その時から、彼女の演技、そして俳優という存在が、私が生きる上での大きな目標になりました。


 両親は私の夢を応援してくれました。演技のレッスンを受けさせてもらったり、子役募集がされてないか一緒に調べてくれたり。パパは仕事柄しばしば本社への出張があるんですけど、オーディションの会場が東京だった時は出張先に泊まらせてもらったこともありました。 


オーディションに受かって、作品に出させてもらったことは何度かありました。でも、全部脇役止まりで。セリフもせいぜい二言三言あれば良い方でした。こんな役は、私の目標とは程遠い。だから、もっと演技が上手くなるようにこれまで以上に頑張りました。ドラマを沢山見て演技の勉強をして、レッスンの回数も増やして……。中学生くらいにもなると、もう『子役だから』とチヤホヤされる時期は終わり、完全な実力主義、技術が伴わなければ振り落とされる世界になります。だから、五、六年くらい前からはより精力的に芸能活動に専念するようになりました。


 今思い返せば、私の夢への挑戦には相当なお金がかかっていたと思います。養成所は入会金で十数万、授業料も月に数万円取られます。オーディションは、そもそも受けるだけでお金がかかるし、会場は東京で行われるのが殆どですから、家からの交通費もかかります。栃木の外れから東京の都心まで電車で行くとなると、往復で一万円弱くらいはします。それにオーディションの開始時刻が早い日なんかは前日にホテルに泊まることもあったからその宿泊費用もかかって。パパが生きてた頃は、さっき話した通りある程度融通が利いたんです。けど、亡くなってからは本当に、お金がかさむだけで。


 ――そうです、もう知ってると思いますけど、パパ、死んじゃったんです。私が高校入学して少しした頃に。出張先で車に撥ねられて、そのまま……。悲しかったです。大好きなパパともう二度と会えないんです。夢を追うことを諦めようと思ったことは何回もありました。でも、私がパパのために出来ることって、そんなことじゃないなって思ったんです。ここで踏ん張って、夢をかなえることが、私の夢を応援してくれたパパに出来るせめてもの恩返しかなって。ママも同じように考えてくれていたみたいで、それからも私は、俳優になるために精一杯努力を続けました。


 ママはパートを掛け持ちして、私のために一生懸命お金を稼いでくれました。ママの負担を少しでも減らすために、私も高校辞めて仕事を探そうとした時もありました。でもママ、『今後のためにも高校くらいは卒業しなさい』って一人で頑張ってくれて。すごい、うれしかったんです。私のためにここまで尽くしてくれるんです。ママもパパを亡くして辛いはずなのに、それでも私の事を思ってくれて。


 死んじゃったパパのためにも、私に尽くしてくれるママのためにも、私は必死で夢を追い続けました。でも、結局現実は残酷なんです。親を亡くしたからといって、夢が必ず叶う保証なんてどこにもあるはずないんです。私には才能が無かった。それから受けたオーディションはどれもこれも、まるで最初から結果が決まっているみたいに落ちました。一次選考に残らなかったものも少なくないです。


 金銭面はママが全部管理していたから詳しいことはよくわかんないけど――、パパの遺産や死亡保険が入って、貯金はそれなりにあったみたいです。でも、家のローンや生活費、何より私のレッスン費用やオーディション会場への交通費なんかで、この二年で半分以上は消えちゃったみたいです。……何でそれを知ってるかって言うと、そのことをママと話す機会があったからです。三月の終わり、くらいだったかな。突然私の部屋にママがやってきて、大事な話があるって。それで、こう言ったんです。『そろそろ現実と向き合った方が良い』って。そのあと、さっきのお金の話をされました。『来月で高校三年生にもなるし、就職をするなり進学するなり、現実的な将来の方向性について考えてみたら』って、諭してきたんです。


 私、ショックでした。これまで私の夢を応援してきてくれたママから――ママからそんな言葉を聞くことになるだなんて。今思い返してみれば、あれはママなりの優しさだったんだと思います。叶いもしない夢に執着するあまり人生を台無しにしないように、っていう。でも、その時の私は『裏切られた』って思ったんです。今夢を諦めてしまえば、私のこれまでの時間と、お金が全て無駄になってしまう――そんな思いもありました。だから、言っちゃったんです。『大嫌い』って、生まれて初めて。その日からママとは一言も口を聞いていません。顔を見たくなくて、オーディションの時以外は自分の部屋に引きこもってました。――そんな態度を取っても、ママは毎日ご飯を作って部屋の前に置いてくれて。日々後悔は積もるばかりでした。


 ――タイミングを、失ってしまったんです。ママと会話をする、ママと仲直りするタイミングを、私は完全に逃してしまいました。私、考えて――一度、もう一度でいいからオーディションに受かって、俳優として舞台に出られれば、私、自分の夢を諦められると思ったんです。あの日見た彼女と同じようにはなれなくても、もう一度だけでいい、彼女と同じ舞台に上がることができれば、今の私には大満足だったんです。そのタイミングなら、ママとも腹を割って話せると思いました。


 私は、文字通り死に物狂いでオーディションを受け続けました。そんなときでした――あの人と出会ったのは」

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