二
「おはよう」
僕は、隣の席に座る祥太に声をかける。
「おはー。自己採点した?」
「したけど」
リュックを机横のフックに引っ掛け席に着く。
定期考査が終わった一週間後に学内模試を受けるというこの世の終わりのようなスケジュールをこなした僕たちは、ようやくいつもの席に戻っていた。
進級後一発目の席替え、隣同士のクジを引き当てたのは運が良かったのか悪かったのか。
「どうだった?」
自信満々な様子の祥太が顔を突き出してくる。
「まあ、大体八割、かな。考査ともそんな変わんない感じ」
「詳細」
「……国語百六十二、数学1Aが七十七、2Bが八十三、英語九十四、世界史七十一……」
「ああーもうやめやめ!俺が悪かった!」
突然祥太が僕の前で両手を振り始める。
「やめ、って……。祥太が聞き始めたんじゃ」
「俺の負けだ。どの教科も微妙にお前のほうが点が高い……、勝ってるのも世界史だけだし二点差だし」
漢文のケアレスミスが痛かったな、などと祥太が勝手に解説し始めたのを片耳に、僕は教室の隅の席――黒板の目の前、出入りする扉の真横に置かれた机に目を向けていた。
紗英、今日も来ていないな。
彼女の名前を久しぶりに聞いた先週から、妙に気になっていた。
恋心、とかいう可能性は否定しておく。
ただこう、漫然とした不安というか。
ふと気づくと、いつも定位置に置かれていたテレビのリモコンが無くなっていて。
今まさにテレビを見ようとしていたとかそういう訳でもないから、不便が身に迫っているわけでもないのだけれど、何となくもやもやするような。
幼いころから見慣れていた彼女が突然視界から消えてしまったのは、僕にとってはそんな感じだった。
ガラガラと、建付けの悪い扉を開けて担任が教室に入ってきた。
僕らは半ば無意識に起立し、気だるげな朝の挨拶を担任と交わす。
高校では授業前に、担任が自分の受け持つクラスで提出物や特記事項などを連絡する時間がある。受験生である僕らの学年に楽しいイベントがある訳はなく、というかそもそも半分以上の生徒は連絡事項など殆ど聞かず単語帳に目を通しているので最早形骸化した時間ではあるのだが、その空気感は、否応にも僕らに一日の始まりを予感させるものとなっていた。
「――というわけで、本日の連絡は以上になりますが」
諸連絡も終わったようだ。例によって僕も単語帳に目を通している生徒の一人だったりするので、担任が何を話していたかはあまり頭に残っていない。模試がどうたら、とか言っていた気がするのでおそらく自己採点の類の話だろうが、それについてはもう終わらせているから問題ないだろう。
単語帳を閉じ机の中に手を入れる。一限は確か――古典だったか。
「最後に一つ皆さんのうちの誰かにお願いがありまして――」
あれ、古典の教科書、昨日家に持ち帰ったままだったような。
……まずいかもしれない。あの先生、毎度教科書使うからな。忘れたらどうせ「受験生としての自覚が――」とか言われるのだろう。少し面倒くさいことになった。
「――先月から学校をお休みしている椿木さんについてなんですが」
目先の悩みは、全て吹っ飛んでいた。
僕は思わず、机の中に向けていた顔をあげる。
「今回の模試は自宅受験も可能な類のものなので、せっかくだから椿木さんにも受けてもらおうと先程お家に連絡を入れたんですが、どうやら保護者の方が大変お忙しいようで」
先生は淡々と言葉を続ける。
「もし皆さんの中で椿木さんの近所に住んでいるという人がいれば、模試とこれまでに溜まったお手紙を届けてきてほしいのですが」
束の間の沈黙。
皆が黙りこくるのも無理もないだろう。この教室の中で去年紗英と同じクラスだった人間は僕を含めて片手で収まるほどしかいない。
その他の大多数にとって、彼女はただの「得体のしれない不登校生」なのだ。
そんな沈黙の中、僕は必死に頭を巡らせていた。
これは完全に、僕の事だよな。
同じバス通学。最寄りの停留所も同じ。家もお互いに歩いていける距離。
正直紗英が最近どうしているかも気になるし、手紙を彼女の家まで届けるのはやぶさかではない、が。
こう、何か、変なプライドのようなものが邪魔してくる。
うん、ここで手を挙げでもしたら、祥太のように何か変な勘繰りをする奴が現れるかもしれない。そんなことになってしまえば紗英にも迷惑が掛かろう。
よし、後で先生に言いに行こう。そうすれば丸く収まるはずだ。
「先生」
そんなことを考えていると、隣から彼の声が聞こえる。
「祥太?」
小声で彼の名前を呼ぶ。
祥太の家は確か、最寄りの駅から電車で四駅ほど乗ったところにあるはずだ。つまり、全然方角が違う。
彼は僕の声に気づくと、まるで任せておけ、と言うかのように僕に向かってウインクしてきた。
どうした、と先生が祥太に声をかける。
そして彼は、僕を指さして、言い放った。
「康生、椿木ちゃんの幼馴染ですよ」
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