第7話 後日談ー消えた彼女、残ったもの

 絵麻えまに会いに行かずに、絵麻えまによく似たえみと名乗ったあの人が消えた次の日、私を苦しめた熱は引いた。


 私が『体調が悪いからいけない』と連絡してから、一言、『絵麻えま、秋の学祭楽しみにしてる』と送った。絵麻えまからの連絡は一切ない。『別れたくなければここにきて』の答えがこのメッセージだと絵麻えまが受け取れば、別れの決意と取られてもおかしくないから、恐らく絵麻えまは自分から私に連絡することはないと思う。


 ――― それでも私に悔いはない。


 なぜあの人が私の前に現れてずっと話を聞いてくれたのか。私は熱が下がった後、会話を思い出しながら振り返った。


 あの人が絵麻えまであるのであれば、あの人の願いは”自分を大事にして”だった。あと、あの人は絵麻えまを信じてと言った。そう、信じた上でもう私の想いが伝わらないようであれば、私たちの関係はその程度だったということだ。


 そしてあの人と話して気が付いたことがある。

 毎度、絵麻えまが私に突きつける不安や愛情の確認に対して、私は自分のことを差し置いて絵麻えまの思い通りに行動し、彼女の話を聞き、絵麻えまへの想いを伝えてきたつもり。でも私が絵麻えまを苦しめたくないという想いはその場しのぎの一瞬の安心しか返していなくて、絵麻えまが感じていた根本的な不安の解消には至っていなかったのかもしれない、と。


 消えかけたあの人を抱きしめる前のあの人は最後に泣きながら笑っていた。

 私はあの人を絵麻えまだと信じてる。

 あの人が絵麻えまであるならば、私は―――絵麻いまのえまを信じて待つ。


 **


 梅雨はあっという間に去り、暑い夏が終わり、秋になった。

 仕事の繁忙期が終わり、帰宅時間が早まった。それでも毎日、コンビニに立ち寄ってしまう。もうレジにはあの人はいないし、話を聞いてくれる相手はいないけれども、あの人と過ごした数日間の想い出は色濃く残っている。そして家に帰って、部屋にかけている、あの人が置いていった私のあげた部屋着を見上げる。そうして私は話しかけたところで返ってくることはないとわかっているのに、絵麻えまにSNSで話しかけたくなる衝動を抑えてる。


 そしてついに私がずっと楽しみにしていた絵麻えまの大学の学園祭は明日から開幕する。


 **


 絵麻えまの大学の学園祭は、美術大学なので在学生の作品の展示/パフォーマンス/模擬店があり、それぞれの個性が光る舞台といった感じ。


 初日の学祭にきた私はまっすぐに絵麻えまの作品を見に行った。

 大学での評価はわからないけれども、作者コメントが書かれていた。



 タイトル:渾沌こんとん

 作者のコメント

 自分自身が一番わからない。

 思ったことを全て書き出して、私は何のために今を生きるのか、何を求めているのか、偽りのない感情を、自分の要素の一つ一つを露わにした。わかったことは何一つなかった。そうして得た結果、私と言う存在を構成する要素は日々、増えていってこれからも作りあげられていく、ということを示しているのではないか。



 この数か月の絵麻えまの内面が見えるような作品だった。きっと随分、悩んだんだろうなと思う。そしてやり遂げた。周囲の人に気付かれないように、そっと心の中でやったね、絵麻えまと声をかけた。


 3日間ある学祭の最終日は一般人向けの学祭で発表された各作品の評価を発表するような一大イベントが存在する。ここでの評価がこれから始まる就職活動にも有利となるため、特に3年の在学生はこのために夏から制作に力を入れている。私は絵麻えまの作品が良い評価をもらうようにと、祈りながら帰宅した。


 **


 学祭の最終日、イベントの結果は大学のWEBにも掲載される。その時間は学祭も終わった21時。居ても経ってもいられなくなった私はコンビニに向かって、キウイのヨーグルトドリンクを購入しに行った。帰りに近道しようと公園を突っ切ろうとする。


 少し先のブランコ横の椅子に横たわっている人がいる。デジャブが私を襲う。

 コンビニと同じくついつい見てしまうその場所にいる人物を凝視したが、ここからはよく見えない。


 ……まさかあの人なの?


 ゆっくりと椅子に近づいて、私が覗き込むとそれは驚くことに……絵麻えまらしき恰好をした人だった。顔はハンドタオルで覆われているのではっきりとはわからなかった。


 そんな、まさか?


 ここに絵麻えまが来るとは全く思っていなかった。それとも絵麻えまの恰好をしたあの人?と思うほど似ているその人に、私はあの日と同じように恐る恐る声をかけた。


「あの…?大丈夫ですか?」


 うっすらと月明りに照らされて、その人物は私の声に反応し、ゆっくりと動く。

 覆っていたハンドタオルを取ったその人物は……思った通り、絵麻えまだった。


「はい……だいじょうぶ、です」


 何と声をかけていいのか、わからない私は無言になってしまった。

「……」


 絵麻えまは起き上がって、ベンチに座り、私の顔も見ないで言う。

「一言、お礼が言いたくて。メッセージありがとう」


「…うん……」

 学祭に行ったよ、という言葉が出てこなかった。その言葉を言ってしまったら、あの日から絵麻えまに思っていたことが全て溢れて出てきてしまいそうだったから。


「何で声をかけたの?」

 絵麻えまが口を開いた。


 私は絵麻えまに正直に言う。

「それは…私の知っている人によく似ているから」


 絵麻えまはきっと『絵麻えまだからだよ』という答えを期待していたんだと思うけど、私からの思わぬ答えを聞いて顔を上げて、不思議そうに見つめ返した。


「うん……そう絵麻えまによく似た、いやそっくりの? でも違う人? その人だと思ったから声をかけたの」

 私は言いながら、懐かしいあの人のことを思い出して顔が綻んでしまう。


 絵麻えまは私の言葉に表情が固く暗くなっていく。

「その人はどんな人?」


「……ここで話すのも何だから、部屋に行こうか。少し長い話になるけど、いい?」


 絵麻えまが聞いたらどんな顔をするだろうか。絵麻えまにあの人に渡した部屋着を渡して、あの人が託してくれた未来の話をしよう。

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過去の自分に嫉妬しながら彼女と過ごす10日間 MERO @heroheromero

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