第6話 前日談ータイムスリップ前の私

優茉ゆま、こっちにきて」

 少し横に寝ていた優茉ゆまを抱き寄せてゆっくりと抱きしめる。

 肩から腕にかけて撫でる、優茉は急に触られたからか、少しビクっと反応した。優茉の肌はさらさらしてひんやりとする。

「くすぐったいよ、絵麻えま、起きてたの?」

「うん、今起きたとこ」


 ベッドの中での優茉は恐ろしいほど無防備で毎日、何かしたくなる。

 そうはいいつつ、来週には自宅に帰らなくては…さすがに大学の制作に影響するなと思いながら、身体をゆっくりと起こし始める。


 ――― そこでぷっつりと映像は途切れる。


 毎日、やけにリアルな夢からの目覚め。

 見せるなら、せめてもうずっと夢の中に留めてくれればいいのに…。

 目から涙が零れて、しばらくベッドから動けないでいる。


 今日も一日が始まった。


 ***


 つけっぱなしのテレビから「今日は七夕です、今日の天気は良く晴れて織姫と彦星は会うことができるでしょう。朝、7時です。おはようございます!」と音が漏れてきた。


 重い身体を起こして、会社に行く準備を始める。

 大学を卒業して就職した会社は底辺のデザイン会社、大手会社の仕事を受注した別の会社が、そのまた下の下の会社に依頼しているような弱小のいわゆるブラック企業。


 朝から夜中まで働かさせられる。

 周りも疲れ切っており、人間関係は希薄で人と話すのは最低限の仕事の話で、働いても働いても終わりは見えない。職場はひと月に一人は辞めて、またその次の月に一人入社を繰り返してる。それもこれも大学3年次の成績があまりにひどく、紹介もなく、就職活動に敗れた。結果、4年の終わりまでいつまでも募集をかけていた、面接も1次しかなく、面接官も同じくらいの若い人だったこの会社になんとか就職した。給与も一人暮らしできるギリギリの、アルバイトのほうがよっほど良いのではないかというような待遇のこの会社に居続けるのはただただ意思もなく、惰性で働いて次の日を迎えられるから、という理由から。


 何もやる気もないし、この世に自分が必要な理由はない。10年前の事故から。


 10年前の梅雨に入るか入らないかぐらいのぐずついた天候のある日、私は愛する恋人ゆまを事故で失った。


 あの日、私に急に呼び出され、恐らく、慌てて指定の場所に向かった彼女。

 待ち合わせ場所は事故現場からすぐそこで、私はそこで待っていた。

 時間が迫って、私は時計を見た瞬間、大きなブレーキ音が角から聞こえた。

 目を向けると車が歩道に乗り上げているのが見えた。


 まさか、彼女がその事故に巻き込まれて亡くなるなんて。

 私が呼び出さなければこんなことには…。

 …彼女を殺したのは私、なのかもしれない、いや、殺したんだ。


 ***


 あれから10年、ずっとほとんど人と関わらず、会社で淡々と仕事を片づけて家で寝るだけの日々。そうしなければ、私は自分がやったことに対する呵責に耐え切れず、発狂してベランダから飛び降りてしまうだろう。そんなギリギリの精神で毎日を過ごしている。


 家に帰るとあの事故の瞬間のフラッシュバックと、もう会えない恋人を思い返して、あの日を…それまでの自分の生きてきた道のりを、彼女との出会いまで悔いている。

 

 あの日、優茉ゆまが亡くなってから彼女を頻繁に思い出す、夢にも出てきて、半強制的に自分の言動をトレースすることにより、自覚せざる負えなかった。


 優茉ゆまを呼び出さなければよかった、という結論だけではなく、そもそもなぜ呼び出したのか、思い起こせば、優茉ゆまに何も問題なかったはずなのに、自分はなぜ優茉ゆまを信じられなかったのか。彼女に告白されてから、ずっと自分が優位であると意識して、彼女の全てを私に捧げとばかりの所有物のような扱いをしていた自分を呪っている。彼女は私と恋愛としたばかりに、私に命まで奪われたのだ。そういう考えに至った。いつも最後はあの事故の画像が浮かぶ。血だらけで横たわる優茉ゆまの姿…。そう思っても、最後の執着が私の中にずっとある。もし、あの場に彼女が来なければ…私たちはどうなっていたのだろうか、あの時、私は優茉ゆまから必要されていないと感じ、それであるなら私も優茉ゆまを必要としないと意地を張った。もう会わなかったら関係は終わりだったのではないか。


 この10年間、ただただ生きているということを繰り返してその考えは変化を遂げてきた。そもそもこの世に自分が必要ではないという結論だ。そう思うと不思議に優茉ゆまとの関係の終わりに対する恐怖心も薄れた。


 ―もしあのまま彼女と別れたとしても、彼女には死なないでほしい。


 今の願いはただそれだけ。


 ***


 7月7日、晴れた七夕の夜、私はいつも通り、深夜に帰宅した。

 真っ暗な部屋の床に横たわった。カーテンを開きっぱなしの窓から月の光が私を照らした。


 今日は七夕で、そういや朝のテレビで近年稀にみる、雲がない夜で天の川がよく見えますと流れてた。こんなにいい天気だから、織姫と彦星は会えたのだろうか。


 今日の朝の夢は幸せだった記憶で、鮮明に優茉ゆまを思い出してしまう。


 …もう一回だけでいい、一目でいいから彼女に会いたい。

 いや、もう自分の命と引き換えに彼女を…優茉ゆまを生き返らせてほしい。

 私は両目から涙が流れ、微かに見える月がぼやけてゆらゆらと揺れている。

 そのまま私は目を閉じて、暗闇の中、考える。


 10年後の彼女の姿を、彼女の未来を、見たい。


 そう強く願った時、窓の方向から強い光が指して、目の中の暗闇を照らした。

 

 この光は何だろう?

 そして私が目を開こうとした時、すっと意識が飛んだ。

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