第4話 彼女の想い―9日目

 泣き疲れて眠るまで優茉の隣にいた、部屋に帰ってきた時間はAM4時。


 私はもらってきた部屋着に袖を通してベッドにうつ伏せになった。

 できればあのまま、隣で優茉にくっついて眠りたかった。

 部屋着は優茉ゆまの香りをまとっていて、あたかも優茉ゆまがそこにいるかのように錯覚を感じた。

 眠りにつこうと目を閉じてみたが脳裏に浮かぶのは泣き続ける優茉ゆまの姿。

 しかもそれが絵麻じぶんのせいで起きていることだから、私は途方もない罪悪感に駆られた。


 これは罰なんだ。絶対に優茉ゆまが離れないと思ってその立ち位置に甘え続けて、優茉ゆまに追いかけさせ続けた絵麻じぶんに対しての。


 10年の歳月を経て、優茉ゆまはこんなに近くにいるのに、触れることもできない存在である自分。ただ見ているだけの今の状況は歯がゆく、毎夜、鈍器で殴られたような衝撃とずっと続く心痛、それでも、優茉ゆまがいるだけで―――……それだけで十分。


 **


 次の日、眠い目をこすりながらレジ打ち、品出し、納品チェック…等々、次々に訪れる作業を淡々とこなし続けた。時々、商品のコーヒーを購入し、眠気覚ましに飲む。


 そうだ、優茉ゆまも疲れてるだろうから何か買っておこう。

 私は優茉ゆまの好きな苺のお菓子と飲み物と本日、3本目のコーヒーを合わせて購入した。


 優茉ゆまはコンビニで飲み物といえば、キュウイのヨーグルトドリンクと決まっている。ご飯を食べる時は水でそれ以外は絶対にこれを譲らない。もしなければ何軒かコンビニをはしごする勢いで好きな飲み物だった。


 ビニール袋をレジ裏の棚に置いたとき、声をかけられた。

「えみさん…、こんばんは」


 見上げると優茉ゆまだった。

 時刻はまだ21時。いつもより随分、早い。


「昨日、遅かったから心配で…」

 申し訳なさそうに優茉は言った。


 私は先ほど飲んだコーヒーの空き缶をちらつかせて「はい、大丈夫です、なんとか…コーヒーで」と答えた。


 優茉ゆまは少し微笑んだので、私の言葉に安心してくれたようだ。

「それであればちょっとホッとしました…今日はちょっと早く上がれて…」


「そうだ! ちょっと待ってて」

 そう言ってレジ裏の棚からビニール袋を渡す。


「はい、どうぞ。優茉ゆまさんも疲れてるでしょう? 昨日、部屋着ももらったし、よかったら食べてください」


 袋を見て、優茉ゆまは少し戸惑っていたが、「そんな……でも、遠慮なく頂きますね」と受け取ってくれた。


「帰ります?」


 優茉ゆまを見ると、目の下には昨日の睡眠不足のクマができていて、元気がなさそうに見えた。きっと疲れているだろうと私は聞いた。


「あ…恋人のことで相談したいことあって……昨日は言えなかったから。聞いてもらえます?」


 一体、なんだろう?

 ただ断る理由は何もない。


「……私でよければ」


 **

 優茉ゆまは私の仕事終わりまで待っていてくれた。

 私が姿を見せると彼女は笑顔で「えみさん、ありがとうございます!」と口を開いた。そしてすぐそばのサイドテーブルに広げられたお菓子と飲み物たち。

 優茉ゆまが私があげたものを指して感謝を述べたことを理解した。


「もらったもの、あの…私の好きなものばっかりで……ちょっとびっくりというか、どっちかというと感動に近いんですけど、とにかくすごく嬉しかったです」


 それはそうだろう。

 優茉ゆまの好きなものを熟知して選択したわけだから。

 私はその笑顔に少し安心しながら、思った。


「それで……いったいどうしたんですか?」


「昨日、恋人を追い返しちゃって。部屋にえみさんがいたこともあったけど……今、恋人はすごく大事な時期で。多分、今、頑張らないと就職に影響する」


「そう…、なんだ……」


 そうだよ、と言いそうになって、慌てて言葉を付け加えた。

 優茉ゆまの勘は鋭い。その通りだよ。


「私の恋人は美術系の大学でね、毎年、いくつか作品を作り上げて成績が付くの。この時期はいつも制作をしていて。……だから邪魔しないように連絡を控えていたの……昨日、浮気を疑われて、どうせ私のことなんて要らないじゃないのって……多分、本人、今、すごく心配してると思う」


 優茉ゆまの言葉は自分にとって苦々しい記憶の一つだった。

 絵麻わたしは1つのことに集中すると他のことが疎かになる。制作している間は優茉ゆまのことなんか考えないくせに、集中力が途切れると途端に優茉ゆまに甘えて、意欲出す為の言葉や構ってほしいと要求する。


 そんな風に接していたから、連絡が途切れた瞬間、優茉が絵麻じぶんから離れてしまうんじゃないかって……あの時、心配したんだ。


「私、恋人の将来に期待していて……希望のデザイン事務所に就職してほしい」

 そう、優茉ゆまはぽつりと呟いた。


 ハッと優茉ゆまの顔を見た。彼女は落ち着いた穏やかな表情をしていた。

 私の将来に期待していたんだ……。それなのに、私と言えば……。

 話せば話すほど悔やむことばかりだ。


「どうしたらいいのかな、…ごめんなさい、いつの間にかずっとタメ口で話して」


優茉ゆま、いいよ…あっ、呼び捨て」


 優茉ゆまは微笑んで「それでいいよ」と言ってくれた。


 優茉ゆまの『どうしたらいいのか』の答えをここでちゃんと言わないといけないと、私は深呼吸して言う。

「それで…あの…相手が勝手に心配してるんでしょ? そんなの気にしないで、放置でいいんじゃないの?」


「―――え?」


「だってそうでしょ? 苦しむのは自業自得だよ、そんなの」


「……」

 優茉ゆまは無言になってしまった。


 ピピピ♪

 その時、優茉ゆまの携帯が鳴った。


「え…今、来てるの?……うん、いない……そんな‥ちょっと待って、今から帰るから……すぐだよ、駅前のコンビニにいるよ…そう、待って…ねぇ、お願い」

 内容で電話先は絵麻じぶんなのはすぐに分かった。


 そしてすぐに優茉ゆまは電話を切った。

 顔面が蒼白になっている。

「えみさん、恋人が家にきたみたいで…公園にいるっていうから……」


 立ち上がり、荷物をまとめて出ようとする優茉ゆまに私は強めに言った。

「待って! 行ったら相手の思うつぼだよ」


「……うん、わかってる、えみさん。それでも私は―――恋人を苦しませたくない」

 そう言って部屋を飛び出していった。


 目には涙が溜まり、残像として残った優茉ゆまの後ろ姿がぼやけた視界に映る。優茉ゆまがいなくなった部屋で私は落胆した。


 私には何も変えることができないのか。

 もう打つ手はないのか。


 **

 優茉と絵麻じぶんの悪夢の時間の始まりかのように、少ししたら雨が降り始めた。わかってる。この後、どうなるのか、そしてその結果―――。

 そんなことを考えている時、トントンと部屋の扉を叩く音がした。


 こんな時間になんだろうと扉を開くと、雨に濡れた優茉ゆまがいた。


優茉ゆま……」


「あのね、えみさん……私、恋人にもう要らないって、恋人として役割を果たせない人なんて…必要ないって…」

 そのまま、優茉ゆまは私のほうに倒れこんできた。

 触るとひどい汗と熱だ。


 荷物を持って私は優茉ゆまを自宅まで届けた。

 熱でうなされている優茉ゆまの世話をしながら、疲れてベッド横の床でそのまま眠りについた。

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