第6話 信じる力
わたしは歌いながら、スキアに向かって歩み寄る。
人の悪感情によって生まれた
それは悪意に満ちた声を聞くことで生まれる、人の陰。
その結果。
愛が思考の光りとするのであれば、それはその陰として生まれたもの。
アカペラでは威力は低いが、決して負けるわけじゃない。
歌い続ける。
近くにいるジーンを信じて。
くるよね?
不安がよぎり、口ごもる。
その一瞬を見てスキアは距離を置く。
まだだ。
人が傷ついている。
歌わなくちゃ。
スキアの黒いもやに触れた子どもが、その衣服を溶かし、骨を砕き、細胞を破壊していた。
守るんだ。
喩えわたしが人殺しになっても……。
あれはもう人じゃない。
分かっている。分かっているけど。
世界一安全って言ったじゃない。
震える歌声。
鳴り響く悲鳴。
スキアはじっと聞き届けている。
もしかして人の心があるんじゃないのかな。
わたしは一歩、また一歩と近づく。
ときめきポイントは貯まっている。
これもジーンがわたしを信頼し、声をかけてくれたお陰だ。
でも音響機材がなければ、わたしの歌声を聞き届けてはくれない。
それなのに目の前にいるスキアはこちらに耳を傾けている。
そんな気がする。
身じろぎをすることもなくスキアはこちらを静かに見据える。
――やっぱり人の心があるんじゃないか?
一曲歌い終えると、次の曲を歌い出す。
霧がかかりもやが見えづらくなっていく。
逃げ出しそうになるスキア。
待って。わたしの歌を聴いて。
「ひゃっほー! 勘の冴えたイージス様、登場! お嬢ちゃん、あとは任せな」
わたしの前に現れたのはひょろいもやし軟弱男子だった。
でも顔は可愛い。
「あなたは?」
「ボクはイージス。レイ・シンガーだ」
彼もアカペラで歌い始める。
その優しい声音にうっとりしてしまう。
「リア……」
後ろから声がかけられる。
ジーンだ。
「そっか。そうだよな。俺よりも……」
「待って! ジーン!」
イージスは歌い続ける。でもアカペラではやはり倒せない。
わたしは慌ててジーンの後ろ姿に駆け寄る。
「待ってよ! ジーン!!」
小石に躓き、わたしは転倒する。
「大丈夫か!?」
逃げようとしていたジーンは慌てて駆け寄る。
その足を両手でつかむ。
「なっ!」
「わたし、そんなに浮気症じゃないよ?」
「リア……。でもあの爽やかイケメンの方がいいだろ?」
やっぱり勘違いしていたんだ。
「ううん。わたしはずっとジーンのことだけ見つめていたから。他に興味ないよ」
ここで伝えなくちゃいけない。
そんな気がした。
「リア。なら、一曲歌うか?」
「うん。歌う」
そう言って頬に唇を寄せるわたし。
かぁあと赤くなるジーンをよそに、わたしはジーンのポケットにあるマイクをとる。
「ああ……!」
ジーンはリモコンで車を呼び寄せる。
音響機材を載せた車だ。
わたしは息を大きく吸い、歌にときめきをのせる。
Aメロが始まり、スキアはこちらに向かってくる。
より近くで聞きたいのかもしれない。
歌が最高の浄化になるのだから。
きっとその歌詞に、声色に、リズムに、のってくれているのかもしれない。
理解し、感動し、そして浄化されていく――。
それは人間と変わりなく、いちファンのような。
車が到着し、ジーンが機材の調整を始める。
声がさらに遠くに届くようになった。
スキアはわたしの歌を聞き入っている。
本当は元に戻す方法があるのかもしれない。
でも、今のわたしにはこれしかできない。
ごめんなさい。
震える声で歌い続ける。
止めるわけにはいかない。
イージスとか言った青年は仲間を呼び、わたしの歌に合わせてくれる。
オリジナル曲だから、ついてくるだけで精一杯みたい。
ツーッと流れてくる涙。
彼は悪いことをしたわけじゃない。
ただ世間の悪意に弱かっただけ。
批判の声に敏感だっただけ。
それだけなのに……。
歌い終えた頃にはスキアは完全に消滅していた。
「わたし、これで良かったのかな……」
自分のしたことは一人の人間の命を奪ったのに他ならない。
「救えた命がある。リアは間違っていない」
わたしを抱き寄せて頭を撫でてくれるジーン。
その手つきは優しかった。
心地良い暖かさと疲れからか、わたしはコクコクと船をこぐ。
「眠いのか? リア」
「うん。疲れた」
「そうか」
わたしをお姫様抱っこし、宿舎に向かいだすジーン。
「え。ええ!?」
わたしは驚いて目を覚ましてしまった。
「お、重くない?」
わたしはジーンに恐る恐る訊ねる。
「ああ。音響機材より軽い」
「あれって百キロあるじゃん……」
わたしは不満を募らせる。
なんだよ。わたしのときめき返してよ。
「おかしな顔をする」
ふくれっ面のことを言っているのだろう。
わたしだって可愛く見られたいのに。
「もう、ジーンのバカバカ、バカ!」
「すまん」
短く返事を返してくるものだから、言葉に詰まる。
「さ。少し休もう」
部屋につくと、そのままベッドに降ろすジーン。
もう終わりなの。
少し寂しい。
「ほら。何かして欲しいことはあるか?」
ジーンは優しげな目線をくれる。
「ん。マッサージ。ジーンは得意だったよね?」
「ああ。姉たちにやっていたからな」
そう言って横になったわたしをマッサージするジーン。
「え。ちょっと、まだ準備が」
「そんなことを言っていたら、いつまでたってもできないぞ」
「それは、そうだけど……」
そのまま足つぼを押される。
「いったっ!」
「痛いってことはそれだけ疲労が貯まっている証拠だ」
そうなのかな。
あまりマッサージとか知らないけど。
そのあとも何カ所かマッサージしてくれるジーン。
気持ちいいのだけど、素直にはなれない。
「ありがと」
少し低いトーンでお礼を言い、わたしは軽くなった身体を持ち上げる。
「これからどうしたい?」
ジーンは少し寂しそうに微笑む。
その後ろに窓から差し込む陽光が彼を照らしているように見えた。
ハチミツ色の夕暮れ。
どうしたい。
わたし、歌うのが怖い。怖かった。
でも、それだけじゃ、何も救えない。
誰も救えない。
スキアだって生きている。
人のなれの果て。
気持ちが変わったわけじゃない。
踏ん切りがついたわけじゃない。
わたしは人を救うために歌っていたはず。
それが彼らを殺していたなんて。
でも、それでも。
「わたしは救いたい。全ての人を。スキアになった人も」
歌を聴いていたということは心があるってこと。
今すぐには無理だと分かっているけど、でもそれでもスキアが人の心を取り戻してさえ、くれれば。
「大丈夫だ」
ジーンはそっと抱き寄せる。
その無防備な頭を優しく撫でる。
「俺はお前を信じている」
信じているだけじゃ、何もできない。
でも、わたしの気持ちを尊重してくれている。
それが嬉しい。
それが悲しい。
「俺はお前を守ると約束した」
約束、守ってくれたことなんかないクセに。
守ってくれなかったクセに。
「俺はお前の幼馴染みで、仕事仲間で、そして――恋人だ」
じんわりと胸の辺りに広まる熱。
暖かくて優しい熱。
これはきっと恋だ。
愛だ。
彼がくれたものだ。
「うん」
「だから、俺はリアと一緒にいる。いたい。これからもいさせてくれ」
「うん!」
強く頷くと、照れくさそうに頬を掻くジーン。
「俺と一緒に行こう。な?」
「わかった。歌う。わたしは歌い続ける」
「こんなの運命でしかない。数億人いる中でこう出会えたのは」
「そう?」
全ては自分の選んだ道。
だから運命じゃないと思う。
わたしは自分の力で未来を切り開いているのだ。
けっして運命じゃない。
自分で勝ち取った未来だ。
だから、これからも未来を勝ち取るのはわたしたちだ。
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