第5話 霧の街・ロンダン
『貴国へ接近中の船舶へ警告をする。こちら第十八部隊――対スキア連合所属のトガサ。繰り返す――』
ロンダンの領海に入るなり、新型の無線機が音を発する。
「貴船は我が国の防衛ラインを突破した。ただちに停船せよ」
ジーンは船を止めて、周囲を見渡す。
すでにロンダンの戦艦がこちらを睨んでいる。
レールガンの砲塔を突き出した砲門が三つ、甲板上に鎮座している。
その砲門がこちらに狙いを定めて、冷たい意思を見せる。
「こちらレイ・シンガー。ロンダン、応答せよ」
ジーンがゆっくりとした口調で述べる。
わたしは慌てて市民番号の入ったマイナンバーカードを見せる。
「こちらジーン=ライトとリア=セイラー。市民番号1020203040。市民番号1020203042」
『ちょっと待て、確認をとる』
揺らめく砲塔が暴力の象徴であるように、こちらを威嚇してくる。
『了解した。すまない。貴船を迎え入れる。ゆっくりしていってくれ』
頑なな声質が耳朶を打つ。
戦艦の砲塔が正面に向き直り、横付けするように戦艦が寄せてくる。
その港につけると、車ごと降りる。
「助かった」
税関職員に言い、機材を運び入れる。
入国審査を終えて、街を車で走る。
霧に包まれた街なみには様々なお店が並んでいる。
「ちょっとショッピングでもしようか?」
「え」
ジーンの言葉に驚き、顔を見合わせる。
でも気を遣ってくれているのだろう。
「うん……」
小さく頷くと、ジーンは洋服店に止める。
「さ。行くぞ」
「うん。ありがと」
車から降り、わたしはジーンと一緒に女性向けの洋服店に入っていく。
ジーンは居心地が悪いだろうに。
洋服をいくつか試着すると、ジーンに見せつける。
顔を赤らめるのを見ていると少し嬉しい。
可愛いな。もう。
ショッピングを終えて保養所の宿泊施設へ向かう。
「え? 一部屋?」
ジーンは困ったように受け付のお姉さんに尋ねる。
「はい。お二人一組では一部屋になります」
「そ、そっか。俺は外の車でもいいぞ?」
こちらに向き直るジーン。
「いいよ。一緒で。ジーンも休まないと」
「……だが」
言いよどむ。
「昔から一緒の部屋にいたじゃない」
わたしは助け船を出したつもりで言う。
「だが、リアも大きくなった。一緒というのは……」
「いいって。わたし気にしないから」
嘘である。
わたしが女の子であることをこの機会にアピールするつもりだよ。
「そうか……。ベッドは別か?」
「はい。それは大丈夫です」
受付をすませると、わたしたちは部屋に向かう。
モダンな雰囲気の建物の中を歩いていく。
木目調の床板を歩き、漆喰の壁に時々あるドアの室番号を見やる。
「ここだ」
ジーンと一緒に部屋に入るとトイレと風呂が別にあり、ベッドと椅子が置かれた簡素な内装である。
「俺は疲れた、眠る」
そう言ってベッドに寝そべるジーン。
あ。わたしが窓際が良かったのに。
でも、気を遣っていたのね。それで疲れたのでしょう。
もう、仕方のない人ね。
苦笑を浮かべてわたしも空いたベッドに寝そべる。
何ごともなく、眠りについていると、目が覚める。
わたしは隣のベッドで寝ているジーンを見やる。
「ホント、可愛いなぁ」
わたしはそっとジーンのおでこに自分のおでこをあてる。
「好きっていいなさいよ、まったく」
そっと頬に口をつける。
「ん……」
身じろぎし、重い瞼を開けるジーン。
わたしは慌てて距離をとる。
「リア。俺はどれくらい寝ていた?」
寝ぼけ眼を擦りながら上体を起こすジーン。
「ん。十二時間くらい」
「そんなに、か……」
無理もない。
ジーンだってスキアの正体にショックを受けているのだから。
「すまん。食事にしよう」
「うん」
素直に頷くとジーンは食堂へと向かう。
食堂の一角にわたしたちの部屋番号がある。
そこに腰をかけると、机に料理が並べられる。
「ここでは裏の農園でとれた産地直送の料理がならぶんだ」
「ふーん」
普段、合成タンパク質とかばかり食べていたせいか、見慣れない食べ物が用意されている。
恐る恐る見慣れない食べ物を口に運ぶと、口の中で甘みが広がる。
カボチャというらしい。他にも聞いたことのない食べ物を食べていく。
これで栄養は足りるのかしら。
疑問はあったけど、お腹いっぱい食べ終えると、ジーンはゆっくり話し始める。
「今度ベンが実験をするらしい」
その断片的な言葉だけで何をしようとしているのか、想像がつく。
「スキアを人間に戻す、ということ?」
「いや、その前の段階だ」
「そっか……」
悲しみが胸に広がっていく。
わたしと同じ人がスキアになる。それも批判の声に敏感な人が。
「そうだ。少し街中を歩かないか?」
「え。うん、いいけど……」
まあ、ここにいても退屈なだけだし。
ここなら安心して外を出歩けるし。
わたしたちはロンダンの街を練り歩く。
クレープ屋に目をつけて立ち止まると察したジーンが訊ねてくる。
「どれがいい?」
「じゃあ。苺とベリーのクレープで」
チーズのクレープと一緒に頼むジーン。
レイ・シンガーの許可証を見せるとただで支給されるクレープ。
国家公務員など目ではないほどの優待を受けられる。そうは聞いていたけど。
今まで実感する機会もなかったな。
この数ヶ月を思い起こす。
イチホンから始まり、フロイダ州、モントロクメリー、オリエンタル、ソルト、リヒティア……いろんなことがあった。
わたし、どうしたらいいの。
時計塔の下に来て、わたしはクレープを頬張る。
「甘いね」
「ああ」
短く返してくるジーン。
こんな穏やかな日々がいつまでも続けばいいのに。
ツーッと流れてくる涙。
「あれ。どうしたんだろ。わたし……」
すっと肩にわたしの頭を寄せてくるジーン。
「無理はするな。俺はお前を信じている。どこに行ってもその素敵な笑顔を見せてくれ」
「ジーン……」
「ほら。ほっぺにクリームがついているぞ」
指で頬のクリームを拭って口に運ぶジーン。
まるでキスをするかのようでドキドキした。
「う、うん。ありがと……」
ぎこちない笑みを浮かべてジーンから離れる。
通信機にノイズが混じる。
「すまん。少し外す」
ジーンはそう言って時計塔の裏側へと向かう。
わたしのこと、ジーンはどう思っているのだろう。
幼馴染み。それとも仕事仲間。
もちろん、恋人同士がいいけど、彼から確証のある言葉をもらってはいない。
でも信じているって。
その言葉がどれほど嬉しいのか。
どれほど支えになっているのか。
クレープを食べ終えて、時計塔の裏を見やる。
「あ……」
そこには男性が一人。
ジーンじゃない。
「おれさまを、おれさまを裏切ったな!」
怒りで携帯端末を握りつぶす男の姿があった。
その身体はぶくぶくと膨らみ、黒いもやに包まれていく。
そのもやが全身を包むと、赤い双眸を光らせる――。
スキアだ。
初めて目にしたスキアの出現に、わたしは顔色をさーっと青くする。
声を上げずに時計塔の表にひっそりと隠れる。
「スキアだ!」
そう誰かが叫ぶ。
それからすぐに悲鳴が聞こえる。
「痛い。痛いよ!」
悲痛な叫びが耳朶を打つ。
うそ。なんで。
なんでみんな。
逃げるの?
違う。わたしは戦える。
戦わなくちゃみんな……死ぬ。
アカペラで歌い始めるわたし。
もう逃げない。
信頼されているのだもの。
逃げたらきっと後悔する。
あの男の人には申し訳ないけど、でも他の犠牲を出すわけにはいかない。
わたしは時計塔の裏に向かって叫ぶように歌った。
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