第19話 クレア
クレアの家で一晩泊まった。
自分の身の回りしか綺麗にしていなかったのか、埃をかぶってはいたが、外で寝るよりはマシだった。
「おはよう。ばあちゃん」
「おはようございます。クレアさん」
そう呼びかけるが、クレアは反応しない。
「クレアさん?」
俺がクリスをはねのけて脈を測る。
「……死んでいる」
「そ、そんな……!」
腹の上で座っている黒ネコが俯いているように見えた。
俺とクリスは話し合って家の裏庭に遺体を埋葬することにした。
クレアにゆかりのありそうなぬいぐるみを一緒に、それからお花を埋める。
名残惜しそうにクロが見つめている。
「あなたはこっち」
クリスがクロを抱えて離す。
俺は祈りを終えたあと、土をかぶせていく。
悲しみはそれほどない。
寝床を貸してくれた恩義はあるが、それだけだ。
老婆を知らない。
それだけで、こんなにも無情になれるのだ。
人間とはそういうものだ。
そう言われている気がした。
知らない者なら亡くなってもいい。
そんな雰囲気がある。
こんなにも無情になれる自分が悲しい。
悼む時間も、祈る時間も、クロには必要なのかもしれない。
クリスのアース教団の形式に則った埋葬を行ったが、クロはどう思っているのだろう。
分からないが俺にできる最大限の弔いを行った。
トボトボと歩くクロのお尻を押しながら、このバーニア高原を抜けていく。
と紫紺の森に一つの陰が落ちる。
「待っていたぜ! お前はこのオレ様が殺す!」
森から躍り出たグレンが俺の前に立ちはだかる。
「やめろ。俺は戦いたくない!」
「は、そんな獲物を持っておいてよく言う!」
剣をぶつけてくるグレン。
受け止めた剣がぐらりと揺らめく。
俺は力を抜くと同時に後方にジャンプする。
「てめーは、オレ様が認めたライバルだかんな!」
「ライ、バル……?」
どう考えてもそんな気はしない。
因縁のある相手ではあるが、争うことを求めてはいない。
「このままでは埒があかない」
クリスを見やると、ララと対峙していた。
剣を錫杖で受け止めて、風魔法を回避している。
「ギンガナムの仇!」
火炎魔法が火球を生み出し、俺へと憎しみが向けられる。
放った火球はすぐそばに着弾し、輻射熱が暴風とともにもたらされる。
「オレ様と向き合え! アーサー!」
「くっ。俺は戦わない!」
「逃げてんじゃねーよ!」
グレンは苛立ちを露わにする。
「貴様はその程度か!」
グレンは森を焼き、紫紺の樹木が赤く燃え上がる。
周囲に飛び火し、森は少しずつ焼けていく。
このまま森に潜むわけにもいかなくなった。
俺は表に出る。
グレンが剣を握り、ふり下ろしてくる。
剣でいなし、半歩下がる。
「くっ。やるしかないのか!」
「ひゃは。テメーの本気を見せやがれ!」
「ならば!」
俺は剣を振るう。
殺すしかないのか。
手加減できる相手じゃない。
剣技は俺の方が上だ。ただし魔法は使えない。
グレンの放つ魔法は最上級の火炎魔法。
その力は強力で三百馬力はある。
ただし、近接戦闘においては自爆する危険性がある。
着弾した範囲から五メートルは危険域になる。
ならばグレンに接近すればいい。
「第六秘剣〝
放った剣技は誰よりも早く剣先を繰り出す。
「っ!」
かわしきれないグレンは身体を滑らせる。
腕を切り裂くと、血が噴き出す。
「こいつ!」
蹴りを腹部に向けてくるグレン。
衝撃で弾かれたように飛ぶ俺。
クリスとララが激戦を繰り広げる中、俺も負けまいと、地面に剣を突き刺し勢いを殺す。
キッとグレンを睨み、地を蹴る。
駆け抜けていく。
このマナ枯渇地帯では魔法の扱いは難しくなる。
そしてこの戦いに勝てないのも分かっている。
やれるか?
じっくりとクリスを見やり、グレンに続けざまに剣を振るう。
剣と剣がぶつかり合い、火花を散らし甲高い金属音を鳴らす。
「ちっ!」「くそ!」
お互いに殺し合わなければならない存在。
その果ての未来が幸福、本当に?
それが世界だというのなら、仕方がないのだろうか?
俺にできること、望むこと。
違う。
俺はまだ生きている。
生きているんだ。
〝死〟は人の心に強烈に残る。
だが、生きている者は死んでいない。
彼ら彼女らと同じ過ちを繰り返さない、そのために生きる。生き抜く。
「俺は!」
だって、こんなにも熱にうなされているのだから。
「生きる!」
グレンが放つ火球をかわし続ける。
右へ右へ、右へと。
「は。バカの一つ覚えかよ!」
グレンが食いついた。
俺の行く先々に火球を放つ。
だが、それはこちらも同じだ。
分かりやすいエサに引っかかってくれるとは。
「なっ!」
急に身体をひねり、グレンの頭上に躍り出る。
躍動した身体が自由落下のエネルギーを受けて、加速する。
落下した勢いも相まって剣を突き立てる。
それまで右によけることしか脳のない奴――そう思っていたグレンは回避する術をもたない。
その顔を絶望で歪めて、カチカチと歯ぎしりを鳴らす。
一閃。
貫いた。
確かな手応えを感じ、距離をとる。
グレンの顔は痛みで苦悶の表情を浮かべている。
「てっめー!」
火球を浮かべる。
「落ち着きなさい。グレン」
ララがたしなめるように駆け寄ってくる。
「今回は負けよ」
「……ちっ。わっかったよ」
グレンとララは二人して立ち去っていく。
腹部には血が滲んでいた。
攻撃は成功したらしい。
「フィル!」
クリスが青い髪を揺らし、近寄ってくる。
決着がついたのを見届けると、足から崩れ落ちた。
もう腰に力が入らない。
「つ、疲れた……」
切り傷を癒やすクリス。
「もう無茶しないでください」
「悪い……」
しばらくして立ち上がると、俺はクリスと一緒にまた歩きだす。
「でもあのグレンさんをやっつけるなんて、すごいです!」
意気揚々と声を高らかに上げるクリス。
あの強いグレンに勝てたのは紛れもない実力。
しかし、あの作戦はもう通じないだろう。
次出会った時、俺はグレンを
俺とクリスはそのまま無言で歩き、バーニア高原を越えていく。
開けた大地は山脈に阻まれ、その先に向かうなら、この山を越えなくてはならない。
その先にある盆地で俺は目を見張る思いで周囲を見渡す。
薄紫や翠色といった七色のオーロラが辺り一面を覆い尽くしている。
光りの残滓であり、人体には影響がない。
木々も七色に色づいており、世界にこんなにも美しい場所があるのかと、感嘆のため息が漏れる。
動物の匂いもするし、土が湿ったようなマナの匂いも鼻をくすぐる。
マナで溢れたこの地域はオーロリアン。
すでに国境を越えて、隣の国アルサラスに入った。そこで転移魔法陣を作る。
電撃が流れ込んでくる。
頭の中を何かが駆け巡る。
金髪碧眼のローランド=R=ロード。生成り色の髪と瞳のウォーレス=スペンス。灰色の瞳と、乳配色の髪のガイ=ハーリー。白髪と白い髭を蓄えたニック=イーガン。紫紺の瞳と薄紫の髪のヴァイオレット=リリー。
その五人が取り囲み、槍で突き刺してくる。
槍はそう痛くはないが、何度も突きつけられる。
五人の下卑た笑みが浮かび上がり、俺を見下してくる。
日に日に病んでいく俺を見て嘲笑う。
疲弊した俺はその場に崩れ落ちる。
「なんだ? 今のビジョンは……」
俺は目を見開き、周囲を確認する。
「フィル。フィル!」
「クリスか?」
俺は目を覚まし、オーロリアンの幻想的な雰囲気の中、隣にいるクリスを見つめる。
「どうしたんですか? 急に意識を失ったように見えましたが」
この感じ。
「敵だ! 散開」
俺はクリスに命令すると間一髪、鉄球をかわす。
「誰だ!」
「よぉ。お前さんがローラランドの使者か?」
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