第18話 マナ枯渇地帯

 ギリリ山脈を越えると、春は終わった。

 バーニア高原に出ていく。

 季節は変わり、魔境に突入する。

 紫紺の草木を揺らし、灰色の岩を砕いた道がどこまでも続いている。

 この道は敵国まで続いているのか。

 それにしても。

 手つかずの家屋が退廃し、動物の骨がそこかしこに落ちている。

 マナの枯渇によるマナ貧血症。

 それが動物を枯らす龍脈病の一種の病名だ。

 俺たちは吸われるマナを抑え込む必要がある。

 トボトボと歩いているだけでも体内にあるマナを吸われる。

 気持ちがざわつくのも、この紫紺の世界のせいだろう。

 生暖かく湿った風が頬を撫でて、葉を揺らす。

 青髪を揺らし、こちらを見上げてくるクリス。

「本当にこっちであっているのですか?」

「ああ。コンパスと地図が間違えていなければ、だが」

「でも、不気味な場所です。早く抜けましょう」

 そう言って前を歩くクリス。眉間にしわが寄っている。

 よほどこの場所が気に食わないらしい。

 まあ、禍々しい雰囲気だものな。

 そりゃクリスも嫌な気持ちになるか。

 目の前を黒ネコがよぎる。

「ネコちゃんです!」

 驚きの声を上げるクリス。

 無理もない。

 ネコは三つの魂を持つとわれている。それは体内にマナ貯蔵を行う臓器が三つあるからだ。

 故に魂が三つと言われている。

 しかし、いくらマナの貯蔵量が多いからと言って、このマナ枯渇地帯では生きていけない。植物や人間のように体内でマナを生成する能力がないのだから。

 それにマナを吸い取られる感覚は不愉快なものだ。

 そんなことを考えている間にクリスはネコに干し肉をプレゼントしている。

 もらったネコはすぐに走り出す。

 それを追いかけ始めるクリス。

「どうするつもりだ?」

 まさか取って食うとか言い出さないよな。

「ネコちゃんを追いかければこのマナ枯渇帯から抜け出せるかもしれません。ネコちゃんにとっても不愉快だと思いますし」

 ああ。そういうことか。

 洞窟の入り口近くにコウモリがいるように、マナ枯渇地帯の入り口近くにネコがいるかもしれない。

 まあ、当てのない道を歩くよりはいいか。

 それにネコの行き先の方向性はだいぶ合っているみたいだし。

 この地図が安物だったのが不安にさせるが。

 俺とクリスは黒ネコを追いかけて一つの家にたどりつく。

 煙突のある白い漆喰の壁。それに木組みで作られた簡素な家屋。

 窓枠には蜘蛛の巣がはっているが、中から灯りが漏れている。

 もくもくと吐き出す煙りが煙突から見える。

 人が住んでいる。

 こんなところに?

 俺はクリスと見つめ合うと、こくりと頷く。

 コンコンとノックをし、ドアが開くのを待つ。

「どちらさんだい?」

「旅のものです」

「一晩だけでも泊めてもらえないでしょうか?」

 俺のあとにクリスが続いた。

 この地帯で野宿するのは心地が悪いだろう。

 そう思って出てきた言葉だろう。

「帰りな。わしはもう世間と関わりたくない」

 ぴしゃりと言い放つ老婆の声。

「なんだ? クロ」

 どうやら誰かと話しているらしい。

「……分かった。一晩だけじゃぞ」

 そう言ってキィッと音を立てて開かれる魔女の家。

 開いたドアの向こうには誰もいない。

 恐る恐る入ってみると、声が聞こえてくる。

「こっちだ。こっち」

 俺とクリスが声のする部屋を開ける。

 そこにはベッドの上で横たわった老婆が一人。

 その腹の上には先ほどの黒ネコが一匹。

「わしは身体が悪くてな。すまんな。こんな格好で」

「い、いえ。しかし、どうして」

 様々な疑問が一気に吹き出す。

 老婆が何故こんなところで一人生きているのか。

 黒ネコは何故生きているのか。

 老婆が何故生きながらえているのか。

 先ほどのドアの開けた仕組み。

 身体を動かせない老婆がどうやって生活しているのか。

「驚いたじゃろう? こんな姿で」

「ああ」

「わたしの回復魔法をかけましょうか?」

「そりゃ無理じゃな。わしのはいじゃ。細胞の活性化を行う魔法では効かん」

 魔法の理屈を知っている風な口をきく老婆。

「わしの名はクレア=アンダレスティナ。魔女じゃ」

「ま、マゾ!」

「魔女じゃ!」

 おおう。そうか。

「して、魔女を知らぬな?」

「魔法使いではないですか?」

 頷いて見せるクレア。

「わしは魔術を使う魔術師。その中でも百の魔術を扱う者を〝魔女〟と呼ぶ」

「魔術? 魔法とは違うのですか?」

 真剣な眼差しを送るクリス。

「お主はクリスティーナ、そっちはフィルじゃな」

「どうして俺たちの名前を?」

「魔術を使った。お主らを鑑定魔術でちょいと覗いてみたんじゃ」

 魔術。そんなことまでできるのか。

「魔法が使えるようじゃな」

「はい。この力は星から授かったギフトと聞いております」

「それは間違いじゃ。魔法は本来遺伝するもの」

「いでん?」

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべるクリス。

「親から子、子から孫へと伝え広めることで魔法は学んでいく」

 クリスは親を早くになくしており、学べたことは回復魔法のみ。その中でも六つの種類しか教わっていないと聞く。

 俺も同じようなもので、習った「土煙」だけしか使えない。

 誰かに教わるということもしてこなかった。

 魔法は家系とは言われている。

 それが魔法らしい。

「じゃが、魔法にも元をたどれば一つに行き着く。それを解明したのがじゃ」

「なんで、そんなことを話してくれるんだ?」

 俺はキッと睨むように訊ねる。

「お主らはこのクロに干し肉を与えてくれた。それにクロが気に入ったらしい」

「クロってその子ですか?」

 クリスは黒ネコを見て訊ねる。

「そうじゃ。クロと会話をして――」

「ちょっと待て。ネコと会話? 本気か?」

 しょぼしょぼしている灰色の瞳を揺らすクレア。

「それが魔術じゃ」

 ぐっと押し黙る。

 確かにそのネコしか知らないはずのことを知っていた。

 干し肉を渡したのが俺たちだと。

 そんなことを理解できているのはやはりネコと会話したからか?

 いや、疑うならもっと色々とある。

「魔術って何でもできるのですか?」

 クリスが不安半分期待半分といった様子で訊ねる。

「そういうわけでもない。じゃが、初めて魔術を生み出した者は〝クリエーター〟と呼ばれておる。全ての魔術の原点にして頂点」

 老婆がくしゃりと笑みを浮かべる。

 手のひらほどの小さい杖を振るうと、ベッドの隣に置いてあるコップがふわりと浮き、不自然な動きで老婆の口に運ばれる。

「す、すごい……!」

「ふふ。これも魔術じゃ」

 驚きと感嘆の声を漏らすクリス。

「魔術。そんなものがこの世あるなんて!」

 クリスは興奮した様子で俺を見やる。

「これはすごい発見ですよ! フィル!」

「あ、ああ。そうだな」

「じゃが、この国では異端児扱いされてきたのじゃ。我々は魔法を乱す悪、とな」

 悪。

 便利すぎる上に人の身では余りある力。

 それが実在するのだから〝悪〟とされて迫害を受けてきたのだろう。

「それじゃあ、クレアさんは……」

 そっと悲しむクリス。

「わしのことはいい。夫の残した家で死ねるのが本望じゃ」

「この、家のことか」

 クレアの事を理解し、言葉を紡ぐ。

「そうじゃ。わしももうそろそろ終わりじゃ」

 なんとも言えない気持ちになり、俺とクリスは俯く。

「この家には新星魔術がある。マナを吸われることはない。ゆっくり休みたまえ」

「クレアさんは……」

 何かを言いかけて止めるクリス。

「ほほほ。わしの事はいい。そちらに部屋がある。好きに使っておくれ」

 きぃっとドアが開かれる。

「魔術を、残す気はないか?」

 俺はクレアに尋ねてみる。

「お主らが? ほほほ。それは無駄骨じゃ。教えるつもりはないのう」

 かすれた声を上げるクレア。

 魔術が優れているのに、何故発展してこなかったのか、ついぞ応えは見つからなかった。

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