第14話 コーヒー
寝ぼけ眼をくしくしと擦り、簡易ベッドから這い上がる。
テントの下に寝かせられている人々はだいたい応急処置は終わった。
「あんたらそうとう暇なんだね」
そう言ってジェシカと一緒に夕食を食べていた。
ガツガツと食べている様子を見ると、ジェシカは良い育ちではないのかもしれない。
「しかし、まあ。救援してくれる人がいるなんて、助かるな~」
「ジェシカさんはいつも楽しそうで、素敵ですね」
クリスが微笑むとジェシカは食べていた手を止める。
「いや、だって悲しんでいたって前に進めないでしょ? あたしは前に進みたいのだ!」
前に進む?
俺は前に進めているのだろうか。
立ち止まり、それでもなお周囲を見て熟考してきたと思う。
でもそれだけだ。
それだけで前に進めたとはとても思えない。
俺は彼らに報いるだけの力が果たしてあったのだろうか。
「ま、生きていれば悲しいことも、嫌なこともあるし。でもそれで腐っていたら、誰も見向きしないっしょ」
「誰も見向き?」
「そうそう。だってどんな天才でも、他人がいなければ自分の意思や論理を伝えることができないじゃない。伝え広めるのはいつの世も、他人じゃない。民衆じゃない」
伝え広める。
広めれば、この戦争も終わりを迎えるのだろうか。
みんなが平和を望めば、みんな幸せになれるのだろうか。
本当に?
メスや注射器といった医療器具が並ぶ中、テントの中はむあっとした湿気を感じる。
ノイズ混じりの鉱石ラジオが情報を発する。
今回の事件もそのうち報道されるのかもしれない。
埒外にそんなことを思っていると、香ばしい香りが鼻をつく。
黒く苦味と酸味のあるコーヒーだ。この地域では高級品ではないらしい。
「さ。のみなよ」
ジェシカが薦めるまま、俺も口をつける。
噂通りの味に俺は顔をしかめる。
こんなにマズいものをどうして好んで飲むのだろう。
出されたものを残すのは家訓に反する。
ぐいっと飲み干すと、ため息が漏れる。
美味しそうに飲んでいるクリスを見てぎょっとする。
そんなに美味しいか? これ。
よく見るとスティックシュガーとミルクが横に置いてある。
「フィルさん、ブラックで飲むなんて大人ですね!」
悪意のない声で驚いてみせるクリス。
「ま、まあ、な……」
砂糖とミルクを混ぜたコーヒーはうまいのか。子どもなのか……。
困惑していると、ジェシカがクスッと笑う。
「あんたら本当面白いね」
「そうですか?」
不思議そうにぽかーんとしているクリス。
大人でない俺で申し訳ない。
「ふふーん。おかわりもあるのよ?」
「え」
俺は冷や汗を掻く。
またあの味を味わうのか。
「はい。どうぞ」
ジェシカはにこにこと笑みを絶やすことなく、コーヒーを差し出してくる。
この黒い液体は俺を侵食してくる。
気分が悪い。
「さ、飲んで」
俺は出されたものは飲み干す。
苦悶の表情を浮かべながらコーヒーを頂く。
苦味と酸味が強く、俺は気分が悪くなる。
そのあともジェシカはブラックコーヒーを飲ませてきた。
夜になり、まったく眠れない。
何かの成分が作用しているのか、それとも今日あったことが刺激的すぎたのかは分からない。
ボランティアに設けられた小さなテントから抜け出し、裏手にある井戸水で水を飲む。
星空を見るために外のベンチに向かう。
そこで椅子に腰掛けているジェシカがいた。
話しかけようとしたそのとき、彼女の頬を伝う雫が落ちる。
悲しんでいるのかと思いきや顔は自然な顔をしている。
その顔がこちらに向く。
「かっこ悪いところ、見られちゃったね」
乾いた笑いを浮かべるジェシカ。
「いや、そんなことない。泣いたことがない奴は信用できないからな」
「そう。ありがと……」
からっとした、楽観主義のジェシカでも泣くのだ。
隣に腰をかけると、同じように空を見上げる。
「ここはこんなに綺麗なんだな」
俺は夜空に浮かぶ燦々と輝く星々を見つめすっと目を細める。
俺の故郷では綺麗な星空など見られなかった。
「そう。綺麗なのよ」
わずかに滲む苦悶を浮かべるジェシカに顔を向ける。
「どうした?」
「今日は両親の命日なの……」
死んだ日か。確かに悲しいな。
辛い思いをしてきたのかもしれない。
「悔しいよ。一番必要なときにそばにいられなかったんだ」
ぎりっと歯ぎしりを鳴らすジェシカ。
その紫紺の瞳の奥には何が見えているのだろう。深く闇に染まった瞳。ここが暗く寂しい場所だったから、そう見えたのかもしれない。
瞳の奥にある復讐心が彼女を生かしているように思えた。
「殺されたんだ。あたしはそれを許せない」
憎しみのこもった声が闇夜に溶けて、霧散する。
それほどの修羅を彼女は抱えているのだ。
仇討ちを願う者も少なくはない。
スターミアンに対して怒りを発露するジェシカ。
「スターミアンなんて馬鹿げた考えがなければ、両親は死なずにすんだんだ」
自分の腕をかきむしる。
苛立ち、憎む。
それが明日を生かす理由になるのかもしれない。
神などいないのかもしれない。
誰かを恨むことで生きる意味を見いだすものもいるのだ。
神の言う通り、他人を許すなんてできるのだろうか。
俺には無理そうな話だ。
両親の死を見てから、そう日が経っていないようにすら感じる。
忘れもしない。
あの切断された父の姿を。火に巻かれる母の姿を。
ぐっと握られた拳を静かに開いていく。
「あんたも同類かい?」
ジェシカが悲しげに眉根を寄せている。
「……ああ」
「それは悪いことをしたね」
「悪いこと?」
「思い出させてしまった」
そこまで気が回らずにいたが、彼女の気遣いが俺には響いた。
こんなに優しいのに、なぜ復讐など考えるのか。
それは決まっている。人間の本能だからだ。
恨むというのは本能なのだ。
誰であれ、それを消すことなんてできない。
なかったことにするなんてできない。
どんな人間でも大切な人を奪われては悲しみと憎しみで溢れる。
もう誰も信じられなくなる。
それでもなお、優しくできるのは人柄だろう。
その強さは俺にはまぶしすぎた。
強すぎた。
自分の信念が揺らぐほどに。俺が間違えていると錯覚させるほどに。
なおも復讐をしたいと望むのも含めて。
「グレンという奴は何故殺したがっている?」
心臓を鷲掴みされる気分だ。
苦々しいものを感じ、顔をしかめる。
「ああ。俺があいつの――」
兄弟を殺した。
そう言いかけてぐっと言葉に詰まる。
ふとグレンと出会った時のことを思い出す。
王都からこっち、俺とグレンは不可思議な因縁で結ばれている。
名も知らぬスターミアンの少女は正しいかどうか考えている暇もなかった。
そのことを思うと怒りがこみ上げてくるが、彼にとっては
それに俺はまた同じ過ちを繰り返そうとしていた。
あの血に染まった視界の中、見えるグレンは
あれはなんだったのだろう。
自分の中に眠るマナが解放されたような――。
聞いたこともないマナの流れにドクドクと心臓がうなるのを感じた。
「グレンとのことは話せない?」
ふと我に返る。
兄弟を殺したことを告げれば幻滅するだろう。
いやそれ以上に忌避するかもしれない。
人でなしと言われるかもしれない。
話すら拒むかもしれない。
「ああ。話せない」
そう小さく呟くと、ジェシカは残念そうにうつむき、ボソッとしゃべる。
「そっか……」
感情の機微が激しく、彼女は見ていて面白い。
クリスはいつも笑顔を絶やさない素敵な子だが、それ故の危うさ、表情の見えないところがある。
ジェシカに少し惹かれている自分がいると知覚し、ふるふると頭から振り落とす。
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