第11話 アンナ

「死にたい。だけど、残念ながら生きているみたいだな」

 俺はぐっと上半身を起こそうとするが、痛みで身体が悲鳴を上げる。

「そんなこと言うものではない」

 アンナさんは悲しげに目を伏せる。

「わしの息子は、死にたくないといいながら死んでいった。押しつけがましいかもしれんが、わしは息子のような目には遭って欲しくないんじゃ」

 ふと目を細める。

 その顔は笑顔でいるような、泣いているような、不思議な顔をしていた。

 ずきっと痛む胸が激しく否定の意思を持って、俺の脳を圧迫し刺激する。

 気持ちが沈んだ。

 代わって上げられたら良かったのに。

 死にたい者と、死にたくない者。

 恵まれていた者と、恵まれていなかった者。

 生きることを望まれていない者と、生きることを望んだ者。

 誰もが相反する気持ちを抱いているのかもしれない。

 しかも俺は誰かの役に立てない。

 何もできない。

 この国を守る。

 土台間違っていたんだ。

 俺にはそれだけの力がないとまざまざと見せつけられたのだ。

 なんの資格もない。

 誰かを助けることもできない。

 ベルも、ギンガナムも、行ってしまった。

 置いていかないで。

「もういいじゃろ……」

 アンナさんの声が耳朶を打ち、心臓を、脳を、心を刺激する。

 今まで味わったことのない悲しみに、俺は嗚咽を漏らす。

 泣き疲れると、また少し眠りについた。


 しばらくして、身体が動くようになった。

「ほれ。ただ飯は今日までじゃ。手伝え」

「は、はい」

 俺は慌ててアンナさんに駆け寄る。

 まずは薪割り。

 転がり落ちた樹木を斧で分割する作業だ。

 これは老婆に任せるには重い作業だと思った。

 俺がいなかったら、あの曲がった腰でやっていたのか。

 そう思うと、アンナさんを応援したくなる気持ちで溢れていた。

「薪割りました」

「そうかい」

 俺がようようと告げると、嬉しそうに目を細めるアンナさん。

 アンナさんが見ていたエアハートを見て、俺は寒気を覚えた。

 熱を上げて苦しそうに喘いでいる。

「ここ四日は苦しんでおるのう。お主を川から引き上げるときは元気そうじゃったが」

 俺を助けるために自分を犠牲にする。

 愚かな。

 いやエアハートは喩え敵であっても助けていた。

 俺を助けることに意味なんてないのだろう。

 その場にいた者なら誰でも助けていただろう。

 俺じゃなくても良かったのだ。

 俺じゃなくても……。

 暗く悲しい気持ちになり、エアハートの顔を見やる。

 赤く発熱している様子が覗える。苦悶で表情を歪めている。

 悪夢にうなされているのか、意識はない。

 額にはぬれタオルがのせられている。

 食べかけのお粥と錫杖がそばに置いてある。

「エアハート……」

「ほれ。看病でもしてやれ」

 アンナさんは静かに怒っているように感じた。

「若い男ならともかく、若い娘まで。わしに孫はいらん」

 なぜか不服そうにしているアンナさんだが、しっかりと看病をしてくれていたみたいで、実は優しいんじゃないかと疑う。

 俺は三日三晩、彼女の看病をしながらアンナさんの手伝いをした。


 今日もエアハートは熱でうなされているのだろうか。

 俺はきもそぞろになってドアを開ける。

「あ。フィルさん。ここはどこですか?」

「え」

 驚いた俺は目を丸くする。

「良かった! もう元気なんだな!」

 勢いあまり、俺は抱きついていた。

「もう、フィルさんたら……」

 我が子を見守る親のように微笑むクリスティーナ。

 すっかり元気になったクリスティーナもアンナさんの手伝いを申し出た。

「やっぱり男手があると違うわい」

 カラカラと気持ち良さそうに笑うアンナさん。

 俺はクリスを見守りながら、薪割りをする。

 薪割りが終わったら、川に魚をとりにいく。

 冬場のタンパク質は基本的に家畜のニワトリか、川魚か。

 ニワトリは勝手に育つし、卵も産む。優良な家畜である。生産性が高いのだ。柵で囲いある程度自由にさせている。たまに枯れた野菜や穀物を与える程度でいいのだから、人間にとっては都合の良い存在と言える。

 飛んで逃げることもないというのだから、これほど家畜に向いている存在はないとさえ言われている。

 でも二人にはうまい料理を食べさせて上げたい。

 その一心で、釣り針にワームを刺す。

 そのまま川に投げ出すと、釣り竿を揺らし、魚の食欲をそそる。

 一時間はこうしている。

 するとクリスがアンナさんの住んでいる小屋から出てきて、駆け寄ってくる。

「フィルさん。お昼の時間ですよ!」

 その微笑みを見てホッとする。

 まだ魚は釣れていない。

 でも俺には帰るべき家がある。

 その安心感がある。

 人を殺した、薄汚れた手でもとってくれる者がいる。

 その暖かさが人には必要なのかもしれない。

 他人を思いやり理解してやれる強い心が、彼女にはある。

 いや前々から薄ぼんやりとは見えていたのだ。

 その上で俺はバカにしていた。

 俺は出来る男を演じていたのだ。

 街一番の剣士として、調子に乗っていたのだ。

 無理なんだよ。

 俺が英雄になるなんてこと。

 この国の役に立つなんてことは。

 苦笑いを浮かべながらも、俺はクリスの後を追う。

 その先にアンナさんが待っている。

 俺の勝手な意見だが、ここに住んでも良いと思っている。

 旅なんて止めて、俺は二人と一緒に暮らしていくのもありじゃないかと思い始めた。

「ここの位置が大体分かりました。明日出発します」

 クリスのその言葉が俺の脳髄を直撃し揺らす。

 脳のしわ一つ一つに染み渡るまでたっぷり時間を有した。

 無言でいたのが不思議だったのか、クリスは俺の顔を見やる。

「フィルさん?」

「え。いや、でも」

 俺はアンナさんを見やる。

 彼女は興味のなさそうな顔でパイプに紫煙をくくらせていた。

「ほら。アンナさんも男手があると嬉しいって」

 必死に言い訳を考えていた。

 ここから離れたくなかった。

「何を言っているのですか。わたしたちは王様の勅命を預かっているのですよ?」

 小首を傾げるクリスをこれほどまでに可愛いと思ったことはなかった。

 これが恋というものかもしれない。

 だが――。

「分かった。明日出発しよう」

 彼女の言葉に耳を傾けていた。

 それはパートナーという意味ではないと知っていて。

 我ながらバカげた恋をしたものだ。

 一生報われない恋と知っていて。

 昼食を食べていると、アンナさんは俺を見やる。

「あんたらがいなくなれば、わしの食い物も増える」

 カラカラと笑うアンナさん。

 どう見ても強がっている。

「アンナさん、ありがとうございました」

 俺が頭を下げる。

「……ふん。わしが気まぐれで助けただけじゃ。死んでも知らん!」

「分かったよ。アンナさん」

 その不器用な優しさを感じ取り、俺はクスッと笑みを浮かべる。

 アンナさんも応援しているとなると、俺とクリスは目を合わせてまたクスッと笑うのだった。


 幸せな時間だったと思う。

 俺が剣を磨き、クリスは野菜を背嚢にしまう。

 何も考えずにいたのはアンナさんの力だと思う。

 懐に入っていた水晶のような六角形の宝石が、熱を発している。

 〝心のかけら〟。

 ギンガナムにもらった大事なもの。

 それが何かに反応しているような気がした。

 失いかけた何かを連想させる。

 腐った空っぽな身体に染み渡っていく。

 俺は一人じゃない。

 そう知っただけで、クリスを想うようになっていた。

 必死で俺を助け、必死に生きている彼女を誰が責められるだろうか。

 俺は彼女に惚れている。

 だからこそ、彼女を大切にしたいと想った。

 ずっと支えていきたい。そう想った。

 俺は何かを出来るのだろうか?

 分からない。

 でもこれからだと思う。

 俺は、まだ死ねない。

 クリスを助けるまで。

 危なっかしい彼女を故郷に帰すまで。

 そういえば、彼女の故郷はどこにあるのだろう?

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