第10話 憎まれ

「ギンガナム?」

 俺はそのものの名前を口ずさむ。

 ギンガナムの腹に突き刺さる俺の剣。

 マナを纏っていたことで、一撃で致命傷になりえる凶器。それがギンガナムの鍛えられた腹に深々と突き刺さったのだ。

 血を吹き出し、鉄のさびた匂いとマナの生臭い匂いが一緒くたになる。

 白熱した頭がすーっと冷静になると、自分の手でギンガナムを殺した事実を肌で感じ取る。

「アーサー……」

 何かを言おうとするギンガナムに駆け寄る。

 剣を抜いてはいけない。抜いた瞬間に栓を抜いてしまうのと同義だ。血が噴き出すのを止めている。

 冷静な頭でそう判断したが、目の前の事実は受け止めきれないでいた。

「生きろ……」

 それだけを言うと立ったままで、意識を失うギンガナム。

「エアハート!! 治療を!」

 俺が慌ててエアハートを見やる。

 ララから離れてこちらに駆け寄ってくる。

「貴様ぁあ!」

 目の前にいたグレンが血走った目をこちらに向けると、魔法詠唱をし火球を生み出す。

「テメーがギンガナムを殺した!」

 グレンが俺を敵ととらえた瞬間だ。

 俺に否定するだけの言葉はなかった。

 熱血漢で、優しく、気さくな彼を、俺が殺した。

 俺がコロした。俺がコロシタ。

 なんの意味もなく消えていった命。

「アーサーさん!」

 駆け寄ってくる青い髪をなびかせる少女が俺を突き飛ばし、雪解け水で激流と化した川に落ちる。

 グレンの火球が擦過し、輻射熱が肌をチリチリとあぶる。

 青い少女とともに、俺は川を流れていく。

「ちっ。逃したか! 追いかけるぞ、ララ」

 グレンの声を遠巻きに聞き届けると、俺は水の音でかき消えていく。

 冷たい雪解け水に覆われて、身体中の熱が冷めていくのを感じる。

 五感が闇に溶け込み閉ざされていく。感覚を失った身体から血が噴き出していく。

 細胞の一つ一つが寒さで震え、振動し、熱を生みだそうと必死で足掻いている。

 まだ生きようとしている身体に、脳が追い付かない。

 ギンガナムを殺した、咎人がまだこびへつらい生きようと足掻いている。

 どんなに経っても消えない傷を心に残して。

「ヒール。ヒール。ヒール!」

 必死な声がもう一つ。

 純粋で柔和な声を上げる少女が、俺に何かをしている。

 ちぎれた細胞が、時間を巻き戻したように回復していく。

 剥がれ落ちていた肌がひりつく痛みを訴えながらも元に戻っていく。

 溶岩のように流れ出ていた血はもう止まった。皮膚を突き破る痛みは引いていき、それと同時に川の流れが激しくなっていく。

 血を流しすぎたせいか、意識が遠のいていく。


 これはとある少年が少女とともに世界を渡り歩き、戦争を止めた――勇者の物語である。


 目をしばたくと、目の前には木目調の天井が映る。

 首を巡らせると、机や椅子、本棚、それに自分が寝ているベッドがある。

「ここ、は……?」

 俺は出血の収まった身体を見て、ため息が漏れる。

 自分は生きているらしい。

 生きている価値もない。

 人殺しの姿がそこにはあった。

 俺は人を殺した。

 ギンガナムを。盗賊を。

 それを許せない。

 神にも悔いを求めるべきじゃない。

 その後に何が起きたのか、思い出すと、身震いする。

 凍り付くほどの冷たい川に飛び込んだ。

 細胞が震え、熱を生み出す。

 まだ生きていたいと身体が震えている。

 蠕動運動により、胃が空腹を訴える。

 俺にはない何かが生きようとしている。

「あら。起きたんだね」

 柔からな、独特の声。

 見た目は腰の曲がったお婆さん。ぼろきれを羽織り、にこやかな笑みを浮かべている。

 目はすっと細められ、白髪交じりの髪の毛は頭の上でお団子を作っている。

「わしはアンナ。お前さんは?」

「俺はフィル=アーサー。おばあさ、アンナさんが助けてくれたのですか?」

 こんな俺を助けるなんてどうかしている。

 でも、アンナさんにとっては俺の過去など知らないのだろう。

 これから先、過去を知らない人と出会わなくちゃいけない。

 そのたびに俺の過去を教え、期待を裏切り、レッテルを貼られていく。

 人殺しという名の――。

「俺、は……」

 かさかさの喉から出てくる声は上ずっていた。

「いい。今はやすみなされ」

 アンナさんはそう言って、額に浮いた脂汗をタオルで拭き取る。

 心が拒絶反応を示し、未熟さを痛感した身体が吹き出す汗。

 自分は何もできない。むなしいだけ。

 俺は何もできない。

 それどころか、未来ある人々を殺した。

 生き延びてしまった。

 自分への拒絶反応からか、酩酊気分になる。

 視界が明滅し、身体中が痙攣を起こす。

 何かの病気かもしれないし、何かの拒絶反応かもしれない。

 乾いた口ぶるを震わせる。

「俺は、生きていたくない」

「それは相方に言うんじゃな」

 アンナさんはそう言うと扉を閉めて、駆け出していく。

 相方。そう言われて思いつくのはエアハートのことだ。

 彼女が助けてくれたらしい。

 胸中に渦巻く悪感情も、彼女のためならもう少し生きている意味がある。

 そう思えた。

「ほれ。ご飯もってきたぞ」

 美味しそうな匂いとともにドアを開ける音がした。

 ハーブとスパイスのきいた香り。

 胃が収縮運動をして、きゅぅううと腹の虫をならす。

 それはアンナさんにも聞こえていたようで、にこりを笑みを浮かべる。

「ほれ。あんたも腹が空いている内に食べなされ」

 お盆の上には見たこともない穀物がやや汁気の多いスープに浸してあった。

 上には黒い粒と、香りのもととなっている香草がちりばめられている。

 正直、見た目は美味しくなさそうだが、空腹には勝てなかった。

 木製のスプーンを手にすると穀物のスープを口にかきこむ。

「そんなに慌てるでない」

 アンナさんはクスリと笑みを浮かべる。

 その言葉は正しかった。

 気管に入った穀物を吐き出そうと、ケホケホとむせかえる。

「だから言ったのに」

 それでも腹を満たすのは本能らしい。

 美味しくもない穀物を腹一杯に満たすと、俺は枕に伏せる。

「わしはもう行くぞ」

「ああ」

 アンナさんは暖かい。

 なんでもないことなのに、涙が溢れてくる。

 俺はなんで生きているのだろう。

 惰眠を貪り、欲望のままに空腹を満たし、友と呼べる相手を殺し……。

 でもそれでもエアハートは俺を助けようと必死だった。

 グレンが俺に向けた目は忘れない。

 あの怒りを、俺は受け止めなくてはならない。

 死ぬことで俺は報われるのかもしれない。

 俺は死にたいのかもしれない。

 もう何もかも止めて、死んでしまえばいい。

 そうすればもう何も見ずに、聞かずにすむ。

 死ぬ? 俺が?

 あの盗賊やギンガナムのように?

 いやだ。

 もう考えたくない。

 気持ちの整理がつかずに、俺は再び襲ってきた睡魔に身を委ねる。

 アンナさんが泣いている気がした。

 エアハートが苦しんでいる気がした。

 俺はまた無責任に死のうとしているのか?

 不実な偽善者として?

 何も守れていない。

 俺はただ逃げているだけ。

 でもそれでもいいのかもしれない。

 もう死んでしまっても。

 どうせ誰も悲しまない。

 そんなのはわかりきっている。

「アーサー。起きろ」

 揺さぶれ、重くなった瞼をゆっくりと開ける。

 そこには老人が一人。

「アンナさん……。俺」

「うなされておったな。お前さんは、あの子をどうしたい?」

 すぐにエアハートのことだと分かった。

 でもどうするも何も、俺には何もできない。

 何もしたくない。

 応えを投げることも、この身を動かすことも否定した男が今更なにを。

 俺は逃げている。

 逃げていいのだと思った。

 言葉を濁し、アンナさんの顔を真っ直ぐに見つめることもできない。

 ただ沈黙がこの場を支配した。

 もう何にも関わりたくない。

 もう終わりにしたい。


 俺にはもう分からない……。

 何が正しくて、何が間違えているなんて。

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