第9話 憎しみ
夜が明ける。
日の光が柔らかな熱を持って俺たちを暖める。
寒空の下のもと、俺たちは焚き火を消して、歩き始める。
ふさっと雪が枝から滑り落ちる。
「ん?」
背後から殺気を感じた俺はとっさに回避行動をとる。
「逃げろ。エアハート、ベル!」
俺は慌てて後方に飛ぶ。
直前、目の前にいたところに火球が膨大なエネルギーを持って擦過する。
地に着弾したそれは、輻射熱と排煙をもたらし、目の前で明滅する。放たれた余波が樹木を焦がし、地面をえぐり、燦々と輝く。
命の炎を蹴散らす、悪魔の火。
俺は受け身をとりつつ、発射方向に向き直る。
「は、外したか。てめー、意外とやるじゃねーか! さすがギンガナムが認めただけのことがある」
ドスのきいたとげのある言葉。
それにイキがったような口調。
王都で見たような顔立ちの赤毛短髪の男がそこにはいた。
「てめーだな。フィルって奴は!」
いかにもヤバそうな同い年くらいの男はこちらを睥睨している。
黄色い目には人を小馬鹿にしたような色が見てとれる。ハイライトのない、暗闇。
人の可能性を信じていない目。
ふつふつと湧いてくる冷や汗とともに、怒りが爆発する。
「殺すつもりか!!」
「決まっているじぇねーか。なに当たり前のこと聞いているんだよ!」
悪びれる様子もなく、顔を歪ませる男。
「アーサーさん!」
駆け寄ろうとしてくるエアハート。
その胸には刃物が向けられる。
「お嬢さんはこっちよ~!」
紫色の長い髪をした妖艶な女性がエアハートの動きを止める。
「あたしはララ、よろしくね。おちびちゃん」
「くっ」
エアハートは苦悶の表情を浮かべている。
錫杖をつかんではいるが、下手に動けば切りつけられる。
あの刃物は見たことがないが、それでも魔力で強化された特殊武器であることは一目瞭然だ。
「オレ様はグレン、テメーを殺す者の名だ! 安心して眠れ!」
グレンと名乗った男は地を蹴り、こちらに肉迫してくる。
とっさに剣を引き抜き、グレンの剣とぶつかり合う。
剣を受け流すと俺は跳躍し、グレンの背後に躍り出る。
「アーサー!」
上がった声に、聞き覚えがあり振り返ると、そこにはギンガナムの姿があった。
水の街バルカンレティア。
ボードレースで優勝を果たした者。
「ギンガナム。どうしてここに?」
「はっ。テメーはオレ様の相手をしていればいいんだよ!」
背後に感じた気配を頼りに俺は前に回避する。
ひやりとした。切っ先が服の端を切りおとす。
「ひゃっはー! やるじぇねーか!」
地を回転し、視界の端でとらえる。
グレンの剣を剣で受け止める。
「エアハート、ベル。逃げろ!」
「アーサーさん!」
「ぼ、僕は……」
エアハートはララの一瞬の隙をつき、錫杖で打撃する。
攻撃を受けたララが痛みでうめく瞬間を見て距離をとるエアハート。
尻餅をついて怯えるだけのベル。
このままではみんな死んでしまう。
直感的にそう思った。
こいつらは人の死をいとわない。
俺たちとはまったく違った感性を持った化け物だ。
「逃げろ!」
再度呼びかけると、俺はグレンを牽制するように剣を振るう。
「はは。まるで英雄気取りじゃないか! フィル=アーサー!」
グレンはケラケラと下卑た笑いを浮かべながら、剣を乱雑に振るう。
それを必死でいなす。
「どうした! 逃げろ!」
未だに動かない二人を見て声を荒げる。
ベルが腰を抜かしている。それを守るためにエアハートはララを牽制しているのか――。
脳髄を電気信号が走り出す。超速で理解した上で、俺がグレンをはねのけララと対峙するしかない。
そう結論づけると、目の前の敵に集中する。
また殺すのか?
その疑問が浮かび上がり、ふと剣の握る手を緩める。
「俺は戦いたくない!」
「はは。舐めているのか? テメーはここで死ぬんだよ!」
「なんのために戦う!?」
「人はいずれ死ぬ。どんな道筋を歩いていてもな!」
話が通じない。
いよいよ危なくなってくると、俺は剣を握る拳を強める。
髪がはらりと舞う。
殺される。
その恐怖が、不殺の心を潰す。慈愛の心を。
ひっ、と息を呑む。刃先をグレンに向けると、皮一枚かわしてバランスを崩す。
今だ。
足を回し、回転半径を崩すと、そのまま斬りかかる。
だが空を切るだけ。
信じられない体勢からかわすグレンを見て、歴戦の勇者と知る。
聞いたことがある。戦場から戦場へと勇者と持ち上げられ平和のために戦う者の物語を。
その勇者は人を殺しすぎて頭のネジが外れてしまった、と。
人殺しを手に馴染んでしまった狂乱者である、と。
その一人なのかも知れない。
ふと脳裏をよぎった考えが、悲しみが、ふり下ろす腕を止める。
硬直した筋肉がじんわりと和らぐと同時。
グレンが火炎魔法で火球を生み出す。
放たれた火球は俺の目前で、四肢を広げたベルが受け止める。
無防備だったベルは火球に呑まれ、火の手をあげて転げ墜ちる。
盾となった彼がどんな思いだったのか、考える時間もなかった。
全身が燃え広がり、灰をまき散らし、肉の焦げた匂いが場を支配する。
「ベルくん!」
悲痛な叫びも、俺の耳には届かなかった。
沸騰した頭がもうもうと燃える炎が敵を殺せと叫ぶ。
言葉を失った、獰猛な獣と化した俺はひたすらにグレンを追い求める。
「はは。テメーはやる奴らしいな!」
何を言っているのか分からないが、不愉快なことに変わりない。
その不愉快な声を消し去る。
身体中を巡るマナが熱を帯び、紫煙をたゆたわせる。
張り詰めた空気が漂いだし、くすぶっていた思いが一気に爆発した。
「貴様も、あいつらと一緒か」
目の血管がちぎれ、赤い視界の中、グレンに狙いを定める。
「ちっ。ギンガナム!」
「兄貴!」
目の前の敵を倒さねば、この不愉快な声は消えない。
消してやる。
ベルと同じようにまっ赤に燃やし尽くし、灰になるまで切りつけてやる。
死ねばいい。
そんな奴は。
ベルをいじめるような奴は一匹残らず消し炭になれ。
息の根を止める。
その単純な作業が俺にはできる。
「うそだろ!?」
森に下がっていく敵を追いかけていく。
木々がなぎ倒され、あふれ出るマナが皮膚の細胞一つ一つに染み渡り、内側から触れ上がったマナで細胞が形をなくしていく。
血を吹き出した俺の身体が軽くなった気がした。
マナによる強制的な
この身が明日滅びようとも、目の前の敵だけは殺さねばならない。
「貴様だけは殺す!」
「止めろ! ここで争う意味はない!」
冷静になったグレンを見て、俺は血に染まった視界の端に映ったものを見過ごした。
争う意味はない。なら、なぜベルは死んだ。殺した。
お前が死ねばベルは死なずにすんだ。
純粋無垢で、優しい子だった。
いつも俺とエアハートの気持ちを考え、真摯に向き合う。
そんな彼がなぜ死ななければならなかったんだ。
冗談じゃない。
料理も、地図の読みもできるベルを殺しておいて、よく言う。
「ひっ!」
グレンが怯えているように思えたが、それもいいだろう。
俺はお前が嫌いだ。殺したいほどに。
ここから消えろ。
「ギンガナム!」
視界の端から躍り出た大柄な男が一匹。
剣を突き立てて、投擲する。
真っ直ぐに放たれた剣はグレンに向かって飛翔する。
マナの乗った剣はゴム鉄砲よりも正確に、無慈悲に飛んでいく。
その威力も申し分ないだろう。
木々の間を避けて飛んでいく剣。
かわせない――。
俺の狙い通り、剣はグレンへと吸い込まれていく。
「止めろ! アーサー」
知っている声。
脳髄を揺さぶる知っている者の声が反響する。
グレンの前に壁になるように飛び出してくる無防備な男が一人。
すっと冷えた頭で見つめる。
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