「かえるよ、君の隣に」
透
「かえるよ、君の隣に」
「今どこにいますか?」
ふと、紅谷要の耳にそんな声が聞こえてきた。
その声は若い娘のような声色だったが、彼は聞き覚えのない声のように感じた。
おかしいな、と思わず首を傾げる仕草と共に周りに視線を移すが、道端にはそんな女性らきし姿は見えず、女子高校生が三人楽しそうにおしゃべりをしながら反対側の道路を歩いているだけだ。
気のせいか、と紅谷要は止めていた足を動かして歩み出した。
だが、また数歩歩いた先で 「今、どこにいますか?」と先ほど聞いた声と同じ声が再び、紅谷の耳に入ってきたのだ。
流石に二度も聞いてしまえば、気のせいだと思い続けることが出来ず、紅谷は思わず 「俺がいるのは、旭横町ですが・・」と今いる場所を応えた。
すると、ごぉぉ、と突然、風が吹き荒れ、紅谷は目を開けていることが出来ず、思わず腕で顔を守るようにした。
「っ・・」
数秒か、数分かわかならい時間が流れ、紅谷は恐る恐る目を開けると、そこは先ほどまで自分がいた旭横町ではなった。
いや、自分が知っている町の風景ではなかった。コンクリートの道路も、車も、電線も何もなかった。
そこは、木々が生い茂る森の中だった。
「は?」
一瞬夢か、と疑い頬を強く抓るが、痛みは本物だった。
草木の香り、鳥の鳴き声に紅谷はまるで狐に化かされたように、茫然とそこに立ち尽くしていた。
パキン、と木を踏んだ音が背後でし、紅谷は思わず振り返った。
そこにいたのは、夕焼けのような赤い髪を持った女性だった。年は20代半ばから30代手前くらいだと推測できた。
「――、会いたかったわ・・・」
「へ?どちら、様でしょうか?」
「っ・・・記憶は引き継いでいないのね・・でも大丈夫よ・・すぐに取り戻せるから・・・」
「ちょっ・・ちょっと待ってくれ!!俺には何がなんなのかサッパリだ。君は誰でここはどこなんだ?」
「っ……私はオリヴィエよ。あなたはエーヴェル」
「いやいや俺は生まれも育ちも日本!親もその親もずーと日本人だって!俺は紅谷要って名前があるよ!」
思わず紅谷がそう叫ぶと、彼女オリヴィエは酷く傷付いた顔をした。
その表情にまるで自分が酷いことをしてるかの錯覚を覚えてしまい、思わず彼女から視線を逸らした。
「っかここはどこなんだ?」
気まずさを隠すように紅谷は周りを見渡しながらそう口にした。
「……ここは、《クライトの森》です」
「クライトの、森?」
聞いたことのないワードに思わず聞き返す。
復唱した紅谷に彼女もまた小さく頷くで返した。
彼女曰く、クライトの森を挟んだ形でアリオーン王国と、ノイッシュ王国があるという。
いずれも紅谷にとって聞いたことのない国の名前だった。
いつまでもここにいるわけにはいかない、というオリヴィエの後に続いて森の中をどんどん進んでいく。
すると、茂みの向こうに一つの家があった。
赤い家根の小さなお家。
家の近くには井戸もあり、彼女がここで生活しているのがよくわかる。
「中へどうぞ」
彼女に言われるがまま家の中に入る。
部屋の中は大きな机と二つの椅子。日本ではあまり見かけない暖炉が置いてあった。
「そこに座って?今飲み物を用意してくるから」
「あ、ああ」
本当は、ここにいきなり呼んだ彼女に対して憤りや恨みつらみをぶつけたいと思っていたが、あの今にも壊れてしまいそうな笑顔に、紅谷は何も言えなくなってしまったのだ。
キョロキョロと家の中を失礼にならない程度に視線を移す。
こんな森の中に1人で暮らしている彼女への疑問や自分のことを見知らぬ名前で呼んだことなどを想い浮かべながら彼女を待った。
「いや、まさか前世・・とか?」
よく異世界物や転生物を昔読んでいたこともあり、ふと想い付いた内容は、《前世》だった。
「いやそんなアニメみたいなことがあるわけないか・・俺に瓜二つ・・とか?いや、俺の顔どっからどーみても日本人顔だよな・・」
うーん、と紅谷は頭を抱えながらそう呟いた。
「どうぞ。お口に合うかわかりませんが…」
「あ、どうも。ご丁寧に」
ことん、と木の机に置かれた小ぶりのコップを受け取り、一口、口に含んだ。
初めて飲むそれは、どこか懐かしさを感じながら、紅谷はそれを飲んだ。
「えー、と。ところでさ、君がさっき言った、エー、なんとかって」
「エーヴェルよ。正式には、エーヴェル・リュミエル」
「お、覚えられん……い、いや、そうじゃなくて、俺のこと誰かと間違えてないか?」
「いいえ。私のコエが聴こえたのでしょう?」
「声?ああ、えーと、どこにいますか、ってやつ?」
「ええ。声は古来より力が備わっているの。唯一あなたと会う手立ては私の声にあなたが応えくれるのを待つだけ。
あの日から、ずっと、ずっと。あなたを探していた。
でも、世界の数が多過ぎるのと、時代を掴むことができなくて、こんなに長い時間かかってしまったわ」
オリヴィエは、どこか疲れた笑みを浮かべてみせた。
だがいくら説明を聞いても、紅谷は他人事のようにしか思えず、人違いだと、そう確信を持った。
それでも、今にも消えてしまいそうな、儚い笑顔を魅せる彼女に何も言うことができず、言葉を飲み物と一緒に飲み込んだ。
「約束したの、彼と。かえる、って。」
「帰る?」
帰る。どこから帰るのだろうか。
彼女はもしかしたら、帰らぬ男を待ち続ける間に本当に待つべき相手がわからなくなってしまったのではないのだろうか、とそう推測立てた。
自分が元の世界に帰るためには、おそらく彼女の力が必要だろう。だが、自分をエーヴェル・リュミエルに思い込んでいるため力を貸して貰えないだろう。
しばらく、彼女の妄想に付き合うか。と、ふぅ、と紅谷はため息をついた。
オリヴィエは、1人外に出ていた。
彼女の目の前には一つの墓石がぽつん、と置かれている。
「……」
彼女は、無言で墓石の前に花を置いて、まるで愛おしい人を触るような手で墓石を撫でた。
「エーヴェルが、帰ってきたわ……私のこと、覚えていないけど、帰ってきてくれたわ……」
ぽろり、と銀色の瞳から雫が溢れ落ちる。
それはまるで宝石を思わせるような美しさを放っていた。
「約束、本当に護ってくれたのね……」
きゅっ、と唇を噛み締め、目を閉じると優しくも懐かしい過去の記憶がまるで昨日のように脳裏に浮かび上がる。
「かえるよ、君の隣まで。約束しよう」
「ええ、待ってるわ」
「この魔法は確実じゃないから、全ての記憶がないかもしれない。それでも、もし君と過ごした日々の記憶が戻ったらその時は――」
「ええ!待ってるわ!今度こそ、一緒になりましょう?」
「ああ!約束だ」
そうして、オリヴェルとエーヴェルは約束を交わした。
その後、程なくしてエーヴェルはこの世を去った。
元々、病に侵されていたこともあり、約束を交わした数日後に息を引き取った。
オリヴェルは、彼と約束を果たすために彼の魂を探し続けた。来る日も来る日も。魔法を使い、彼を探し続けた。
そして、ようやく彼の魂を見つけたが、彼の言う通り記憶は持っていなかった。
彼が確実ではないと口にした魔法は、彼の魂に目印を付けること。それさえあればオリヴェルは多少は見つける手間がいらない。
目印自体は付けられていたが、それによって魂に傷がついてしまった。そのため、エーヴェルは紅谷要の記憶しか、もっていないのだ。
「ふふっ……あなたほどの魔術師でも、出来ないことがあったなんてね」
エーヴェルは、当時の国で一二を争う程の腕前を持つ、魔術師だった。
だが、魔術師と言ってもただの人間。
人間ならば時の流れに逆らうことは叶わない、そう、自分と違って……
「魔女でもできないことは山ほどあるのね」
同じ時を生きたいと願っても、人と魔女ではあまりにも時間の流れが違い過ぎる。
愛した男と共に死ねたら、と何度願った事か。
「……どうやったら、記憶を取り戻してくれるのかしら?なんか決め手となる言葉がありそうだけど……」
こしこし、と涙を拭いて、オリヴェルはすっと前を見据えてそう口にした。
泣くのも、嘆くのもやめよう。
これからを見据えて動いていかないと、いつまでたっても彼との生活など見えてこない。
それからは穏やかな日々が流れた。
紅谷はどこかよそよそしさを出しながらも、帰れないならとオリヴェルの助けになった。
だが、ある日、平和は最も簡単に崩れることを紅谷は知ることになる。
「にげ、て……」
バン、と住処としている家の扉が大きな音を立てて開けられ、家の中に入ったオリヴェルを見て、紅谷は言葉を失った。
「え!な、なんで!えと、救急車って、ここにないな!あれ?119番、いやそれも!」
肩やお腹から真っ赤な血を流しているオリヴェルを見て、元の世界ではドラマやアニメでしか見たことのない様に情けなくオロオロとしていた。
「ふふっ……」
「っていや、笑ってる場合じゃないでしょ!えと、包帯は?!」
「いい、の……」
「いや、いいって……」
「お願い、聞いて……欲しいことがあるの」
「な、なに?」
ぎゅっ、と痛いほどに紅谷の手首を握りしめながら、オリヴェルは息を切らせながら話す。
「彼らは、魔女狩りよ……ずっと、私をねら、ってたの……ふふっ……まさかこの私が油断しちゃうなん、てね……」
「ま、魔女狩りって、いや、君が魔女みたいなことを言うんだね……」
「冗談だと、思ったの?あなたをこの世界に呼んだのは、誰?」
「あ……」
そもそも、自分が今、この場にいるのは彼女の力があってのものだ。
まさか魔女がこんなに近くにいたなんて、とすごいファンタジー要素だな、とどうでも良いことを考えていた。
「って魔女って不死身説があるんじゃないの?」
「不死身説って……ふふっ。そうね。不死身だったわ……今は違うのよ……」
「え?」
「いいこと?彼らがきたらあなたは……まじょ、に誘拐、された、といいな、さい。そうすれば、あなた……は助けて、もら……」
「えっ?!ちょっ!オリヴェルさん?!」
すっ、と自分の手首を握りしめていた力が緩み、かくんと彼女の身体が傾いた。
思わず声を荒げて、彼女の生死を確認するが、わずかに息をしているものの、病院もないこの状況下で彼女が死んでしまうのは明白だった。
「そ、そんな……どうしたら……」
少しずつ、身体から熱が奪われていく。
そんな彼女の姿を見ていると、反対に紅谷要の身体の中からマグマのように熱い何かが溢れ出してくるのを感じた。
これは、怒りか。絶望か。憎しみか。悲しみか。
わからない。わからない感情が紅谷の心を奪っていった。
そして、気がつけば彼はある魔法を唱えていた。
《月夜の虹 (グロッシュラー) の名の下に
癒し給え、安らぎを与え給え》
彼がそう口にすると、淡い光がオリヴェルの身体を優しく包み込んだ。
その光は、肩やお腹の傷を徐々に治していった。
光が消えゆくのを見届けた彼は、ぽつりと「いかなくちゃ……」と言葉を漏らした。
紅谷が持っている黒い瞳は、大空のように澄み渡る青い瞳に変わっていた。
ぼんやりとした足取りでゆっくり立ち上がり、気を失っているオリヴェルをベッドに寝かせて、1人家の外に踊り出た。
彼女を傷つけた者を許すな、と頭の中で声がする。
それは若い男の声だ。
知らない男のはずの声なのに、どこか懐かしく、どこか身近に感じた。
銀色の髪が視線の中に入ってくる。本来の黒い髪は見る影もなく、月の光のような銀色の髪に変わっていた。
《蛇の化身 狼の牙 虎の咆哮
悪しきその魂 を根だやせ》
彼は、まるで唄うように魔法を唱えた。
初めて口にしたとは思えないほどしっくりくる言の葉たち。その魔法を放った直後、武器を持った男たちに襲いかかるのは、男の首筋を噛む蛇、狼の牙によって腹が食い破られた男、虎の咆哮によって馬も人も混乱を招いている。
一言、彼が魔法を唱えただけで、50人は超える集団は生存者も片手で数えるほどになった。
「ひっ……ま、まさかお前は!」
「たった1人でサマンサ国、パトリック国を滅した、エーヴェル・リュミエル!?」
エーヴェル・リュミエルの容姿は有名だった。
月の光のように光り輝く髪に、サファイアのような青い瞳を持つ魔術師。
彼は、50年も昔の魔術師だが、彼の凄まじい過去は今もこうして語り継がれている。
「お、お前は……死んだはずだ!」
ぶるぶるとまるで子鹿のように怯える生き残った男たちを前に、紅谷要、いや、エーヴェル・リュミエルは、口を開いた。
「お前たちが彼女を害さなければ、きっとオレが記憶を取り戻すことはなかっただろうな……その点ではお礼を言わせてくれ。ありがとな」
にぃ、と笑みを浮かべたエーヴェルは、すっと右手を掲げ、黒い炎を生き残った男たちの周りを覆い尽くすようにした。逃げる隙など与えず一瞬のことだった。
命乞いをする間もなく、彼らは息絶えた。
ふう、とエーヴェルは、何もない前を見る。
黒い炎によって焼かれたのは、生き残った男たちだけではない。元々死していた者たちも焼き払い、その場には死体の一つも残ることはなかった。
エーヴェルが記憶を取り戻せたのは、本当に偶然だろう。
皮肉にも彼らがオリヴェルに手を出さなければ、記憶を取り戻すことはなかっただろう。
魔女狩りによって教会から金銭を得るために、オリヴェルを狙っただろうが、彼らは金銭を受け取ることすらできないまま、命を落とすことになった。
「まぁ、俺には関係ないか……」
ぽつり、と呟きながら空を仰いでいると、「エーヴェル?」と、愛おしい人の声が彼の耳に入ってきた。
エーヴェルが振り返ると、不安そうな顔で立ち尽くすオリヴェルの姿がそこにあった。
そんな彼女にエーヴェルは、両手を広げて微笑みを浮かべながら、彼女の名を呼んだ。
「オリヴェル……」
「っ……エーヴェル!?エーヴェルなのね?!」
「ああ、俺だよ。君と約束を交わした、エーヴェルだ」
「私のこと、思い出してくれたのね!?ああ、よかったわ!目が覚めたらあなたがどこにもいなくて……怪我も治ってて驚いたわ」
「ついさっき記憶が戻ったんだ。それで君の手当が出来たんだよ」
「そうだったのね。彼らは?」
「さぁ?俺のこの姿を見て、逃げ帰ってしまったよ」
くすり、と彼女を抱きしめながら、エーヴェルは冷たい笑みを浮かべた。
心優しい彼女のことだから、きっとエーヴェルが彼らを殺したことを知ると悲しむだろうと思ったため、彼は逃げたと口にした。
「オリヴェル、あの日交わした約束を果たさせてくれ」
「エーヴェル……嬉しいわ」
2人は離れていた時間を取り戻すように抱きしめ合った。
そして、エーヴェルはオリヴェルの桃色の唇に熱い口付けを交わした。
「かえるよ、君の隣に」 透 @whiterabbit135
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