② 僕はラーメンが食べられない

 両親は実は知っていました。僕がクローン病だということを。


 僕の手術の時間は6時間を超えていました。両親はその間ずっと待合室で待っていたようでした。伯母の証言では、父はソファに座ってどーんと構えていたそうですが、母は9時頃から伯母が帰った昼頃までずっと立ったままうろうろしていた、と。


 僕から切除された小腸の縦走潰瘍を見て、執刀医の先生が「クローン病では?」とすぐに疑いをもったらしく、切ったものをそのまま消化器内科の医師(僕を診察してくれた先生)のもとへ持っていったとのこと。すると一目見た瞬間に「クローン病だ」と断定したそうです。

 そして小腸はそのまま両親のもとへ持っていかれ、両親はその小腸をもとに消化器内科の先生から「息子さんはクローン病だ」と診断を受けていました。


 ちなみにこの消化器内科の先生は、この2015年の診断から2023年2月まで僕の主治医として一緒にクローン病と戦ってくれたので、ここから2023年の話を書くまでは主治医、主治医の先生と表記します。


 とにかく、僕が麻酔で意識を失っている6時間の間に、僕の預かり知らぬところで事はすべて起こり、そして終わっていたのです。

 知らなかったのは、当事者である僕ただひとりでした。


 明らかに意気消沈した面持ちで自分の個室に戻る僕を、両親はどう見ていたでしょうか。

 ベッドに横たわってそっぽを向く僕に、両親は僕の手術中に起きたことを教えてくれました。主治医の先生がクローン病について丁寧に説明してくれたそうです。


 僕はほとんど泣きかけていました。そんな僕を見て、母が「できることならあんたの内臓を全部お母さんのものと取っ替えてあげたい」と震える声で言ってきました。

 父は「死ぬ病気じゃないって先生が言っていたじゃないか」と僕の肩を叩いてくれました。しかしその言葉は僕にまったく届いていませんでした。

 これだけだと父はあっけらかんとしているように見えますが、この時点ですでに父は父で相当なプレッシャーを抱え、大いに悩んでいたそうです。この話は父の口から後に直に聞くことになるのですが、まだずっと先の話なので、その時が来たら書きたいと思います。


 いろいろと声をかけてくる両親に対して、僕はたった一言しか言いませんでした。

「何やっても治らないんでしょ?」

 だから難病なんだ。


 とりあえずひとりにしてやろう。

 両親はそう思ったのか、「また明日来るからね」と言って病室を去っていきました。


 その日の夕食。一分粥が運ばれてきました。一分粥は6食目です。

 トレイの上には『クローン病食』と書かれた紙が置いてあります。

 これは「クローン病の人と同じお腹に優しい食事で食事のリハビリをしていきましょうね」なんてものではなく、「クローン病の人に出す食事」だったということです。

 その事実を突きつけられた僕は、涙がこぼれてきました。

 ひょっとしたら今後の人生、こんなものしか食べられないのかもしれない。そう思ったら、辛くて辛くて、身体中がしんどくなって、食事なんて喉を通りませんでした。


 1時間半くらい、食事と向き合っていました。向き合うだけでは食事はなくなりません。食事は口に運ばなければ意味がありません。

 看護師さんが様子を見に来てくれました。僕は素直に「食べられません」と告げると、「無理しなくていいよ」とほとんど手を付けていない食事を下げてくれました。


 食事すらままならなくなってしまった。


 打ちひしがれた僕が次にやったことは、連れ立ってしょっちゅうラーメンを食べに行くサークルの先輩への連絡でした。あるときは山奥にある食べログ1位のラーメン屋に自転車と電車と徒歩で二時間かけて行った上で1時間以上列んで共にラーメンを食べ、あるときは行きつけのラーメン屋の周年限定メニューのために雪の降る中を1時間以上共に列んだことのある、そんな先輩へメッセージを送りました。


『二度とラーメンが食べられないかもしれないです』


 何も説明せず、本当にただそれだけを送りました。


 そのことを文字にして送信した瞬間、それが事実として僕にさらにのしかかってきました。

 そのせいで、今度こそ僕は声を上げて泣きました。


 なんで。どうして。

 僕が何が悪いことをしたのか?

 これは何かの罰なのか?

 なぜ僕だけがこんな目に合わなきゃいけないのか?

 なんで。どうして。


 いまだに父が口にする言葉で、「神様はその人が乗り越えられない壁を作らない」というものがあります。

 これは実際には新約聖書か何かに載っているキリスト教の言葉が元になっているのですが、父はこれを僕の言葉だと思ってみんなに言いふらしています。僕が第一志望の大学に落ちて浪人したときにぼそっと言った言葉らしく、そして実際に浪人してその大学に合格したときにその言葉の重みを実感したそうです。だから、それが息子に教えられた人生の指針として心に留めている言葉なのだと。

 僕自身、自分がその言葉を口にしたことなどまったく覚えていないのですが、あまりにも父が口にするので僕の頭にもこびりついてしまっていました。


 神様は乗り越えられない壁は作らない。

 そんなの嘘っぱちじゃないか。

 声を上げて泣きながら僕はそう口にしていました。


 いくらなんでもこの壁は、乗り越えるにしてはあまりにも高すぎる。この壁を乗り越えろって言うのか? 無茶言うな神よ。ふざけるな。


 仮にそうだと言うのなら、僕を選んだ理由を教えろ。

 なぜ僕なんだ。


 いくら泣いても泣いても涙は止まりませんでした。

 すると病室の扉が開いて、僕のその日の担当の看護師さんが入ってきました。一般病棟に戻ってから、その日だけでなく何度か僕の担当をしてくださっていた看護師さんです。

 僕の泣く声を聞きつけて入ってきてくださったそうです。

 その看護師さんは何を言うでもなく、ただ泣き続ける僕の側にいてくれました。


 落ち着いたのは夜8時半。消灯30分前。

 僕は30分以上も泣いていました。

 僕に向かって看護師さんはいろいろ言葉をかけてくれましたが、ほとんど覚えていません。ただ、落ち着いたあと、看護師さんが出ていく前に言われたことは覚えています。


「難病の患者さんもたくさん見てきた。君が泣くのは当たり前の反応。だからいくらでも泣いていいんだよ。そして落ち着いたら、これからのことを一緒に考えよう」


 少なくとも看護師さんは僕の病気に対して、誰よりも前を向いてくれていました。

 今振り返ってみれば、僕がわりとこのあとすぐに立ち直り、前向きに治療を受けようと思えるようになったのは、その言葉の力が大きかったように思います。


 消灯後、暗い部屋の中で、中々寝つけなかった僕はひたすら自問していました。


 これからどうすればいい?

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