⑧ そんなことよりパンツミー
激痛で目が覚めたと言っても、昨日の夜中ほどではありませんでした。痛いは痛いけど、我慢できないほどではない。
ただ、眠ることはできない程度の痛みがずっと続いている感じ。
管につながれまくっているので、お風呂に入ることはできません。でも脂汗をかきまくっていたので、朝方、看護師さんが身体を拭いてくれました。それが入浴の代わりでした。介護されるってのはこういうことを言うんだな、と理解が深まりました。
腹筋に力が入らず、首を少し上げることしかできない。起き上がることができないので、自分のお腹がどうなっているのかちゃんと見ることができません。でも、そもそも自分の傷口なんてみたくないので、それで良かったと思います。
9時頃に父が面会にやってきました。昨日よりも喋れるようにはなってましたが、「大丈夫?」「うんなんとか」みたいな短い会話しかできませんでした。
父はテレビカードを買ってきてくれていました。一枚千円。これ一枚で1000分間テレビ視聴ができます。手術前はもったいない、と思っていましたが、スマホも本も触れない今必要なのはたしかにテレビカードでした。
テレビカードを挿し込んでもらって、リモコンは僕の手元へ。これで僕は無敵になりました。
父が帰ったあと、さっそくテレビをつけました。
とはいえ平日の午前中。宗教上の理由でワイドショーとかを観ない人間なので、観るものがない。NHKの総合かEテレかどちらかを観た記憶があるのですが、番組名とかは何も思い出せません。なんかそばを作って食べていた番組だったと思います。
午後三時になると、大相撲が始まるので、そこからは退屈しませんでした。
このあたりで気づいたことがあるのですが、僕のICUの個室に、やたらと看護師さんが入ってくる。しかも特に用もなく、「ご機嫌いかが?」みたいな感じで世間話をしにくる。僕もだいぶ体力が回復してきたので普通に応対ができるようになっていました。
というか、ひとりで来ない。複数人でまとめて来る。
その理由はなんとも明快で、僕がいるのが集中治療室だから、でした。
ICUに運び込まれる患者は、基本的に喋ったり動いたりしない。耳を澄ませても人の声なんて一切しない。するのは様々な機器の音だけ。看護師さんたちもそんな職場で気が滅入る。
そんな中で、突如現れた『喋ることのできる若い患者』が僕。
こんな患者がICUに運び込まれてくるなんて滅多にありません。
「喋れる患者が来るなんて本当に久しぶりだから、みんな物珍しくて喋りに来るんだよ」
看護師さんが実際にそう教えてくれました。
雑談といっても、マジの雑談。僕の大学名を聞くと、「うちの息子の家庭教師をしてほしい」なんて言われる。「どうやったらそんな大学に行けるの? お父さんお母さんはどんな教育をしたの?」って。
僕は両親から「自分がやりたいようにやりなさい」って感じでわりと放っておかれたので、自分で勝手に勉強して大学に行きました。高校時代は塾にも通っていないですし。それを言うと、「何の参考にもならない」と言われます。まあ、僕は大学なんて本人の気持ち次第で東大でもどこでも行けると思っている人間なので、参考にするほうが間違っているでしょうね。
消灯時間は通常の病棟と同じく九時なのですが、夜勤の看護師さんが「別に九時以降も見ていいよ。ここには誰も文句を言う人なんていないから」と言ってくれたおかげで、当時観ていた金曜10時ドラマ『コウノドリ』を観ることができました。
その日も例の麻薬でぐっすり眠ることができました。
目覚めたころには、動かなければ特に痛みも気にならない程度にまで落ち着いていました。
背中の針は金曜日中に抜かれました。
土曜日の朝には、鼻に刺されていた管も抜かれました。鼻の管は、胃から出てくるなんか黒い液体を吸い取るためのもので、僕の執刀医の先生が直々に抜いてくれました。
残りの針と尿道カテーテルは一般病棟に戻ってから抜かれることになります。
午後に一般病棟に移ることになりました。
そもそもスマホがどこにあるのかわからないので触れない。だから僕はあいかわらずテレビを観るしかありませんでした。
土曜日といえば吉本新喜劇ですよね。僕はチャンネルを新喜劇に合わせました。
ところで、昔からよく盲腸の手術をした人間を笑わせてはいけないみたいな話があるじゃないですか。笑うと傷口が開いて再手術みたいな。
笑うとたしかにお腹が痛いんですよ。だからお笑い好きの僕がお笑いを観るのは自殺行為でしかないのですが、どうしても新喜劇が観たかったんです。
そもそもですよ、幼少期からずっとテレビで新喜劇を観ている人間なので、いっつもいっつも同じネタを繰り返す新喜劇で今さら笑いますかね?
そんな軽い気持ちで、新喜劇を観始めました。
すっちーが座長の回でした。僕が好きな新喜劇は辻本茂雄か内場勝則が座長の回なので、「なんだハズレ回か」とさらに高をくくりました。
その回は、すっちー座長就任一周年記念講演で、すっちー&真也の『パンツミー』が披露された回でした。
「そんなことよりパンツ見い」で声を出して笑いそうになった結果、腹部に激痛が走り、十六分足らずでそもそもテレビを消しました。
盲腸の手術をしたときに笑ってはいけない、というのは事実だったのです。先人たちは何も嘘を言っていませんでした。
僕がどんな曲で死にかけたのか知りたい人は、YouTubeの吉本ミュージックチャンネルに『パンツミー』のMVがアップされているのでぜひ観てみてください。
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