⑦ キング・クリムゾン

 全身麻酔は冗談抜きでやばいです。まばたきくらいの時間経過しか認識しませんでした。

 普通の睡眠って、眠って起きて、あーよく寝た、って、ちゃんと意識の断絶を理解できるじゃないですか。時には夢を見たりして、自分は寝ているんだと認識できる。

 でも全身麻酔はそんな感覚が一切ない。気がついたら時が進んでいる。安っぽい例えでしょうが、ディアボロからキング・クリムゾンを喰らったときってこんな感じなんだろうな、と。


 今度行う手術で、一番怖いのはこの全身麻酔です。


 死んだことがないので本当の死ぬ感覚はわかりませんが、眠る感覚と似てるんじゃないかと思っています。でも、全身麻酔中にもし死んだら、あるいは全身麻酔から二度と目覚めることがなかったら、僕は自分が死んだという認識がないままにこの世界の知覚を失ってしまう。

 二度目の手術が決まってから、僕はなまじ経験者だからこそ時折手術に対しての恐怖で発作が起きるのですが、その中でも一番多いのが全身麻酔に対しての恐怖です。今まさにこの文章を書いているときも、手術と麻酔に対しての怖さで震えています。




 手術に話を戻しましょう。


 手術は9時半開始のはずなのに、なぜ時計は4時を指してるんだ?

 宇多丸ヒカルの歌声を耳にしながら、最初に浮かんだ疑問はそれでした。

 そして徐々に感覚が戻ってきました。


 目を開けた僕が最初に発した言葉は「おしっこしたい、漏れそう」でした。言葉を発そうにも口の動きもままならない状態で、全力を振り絞って伝えるべきは漏れそうだという事実だと僕は判断したのです。

「大丈夫、大丈夫ですよー」と言う看護師さん。

 看護師さんがそう言うなら漏らしてもいいか。そう思って弛緩したのに、いくら待っても尿意はなくならない。このとき、僕には尿道カテーテルが挿入されており、尿道に存在する違和感を僕は尿意だと勘違いしていたのです。


 腕を上げると、僕の腕には何本も針が刺さってました。

 顔に違和感がありました。鼻に何か突っ込まれていると気づくのはそのすぐあとでした。


 このとき、背中にもまだ針が刺さっていました。腕に4本、背中に1本、鼻に1本、そして尿道に1本、計7本の管につながれていました。


 手術室を出て、僕が連れて行かれたのは元の病室ではなく、ICU=集中治療室でした。

 僕がやばい状況だから、とかそういうわけではなく、僕が戻るのは今度は個室だけれども個室が空く土曜日までの2日間はICUで過ごしてもらう。ただそれだけの理由でした。


 ICUの中は静まり返っていました。患者さんは何人かいるのに、全員喋ったり動いたりできるような状況ではなさそう。でもそういう人たちがカーテンで区切られることもなく、心電図の音だけが響く中で並んでいる様はかなり異様でした。

 とはいうものの、そのときの僕にそれらを認識する余裕なんてなく。


 僕はICUの中にあるガラス張りの個室に入れられました。

 ICUは面会時間が一日三十分以内と決められていました。ICUに連れられてきたすぐあとに心配そうな両親が部屋に入ってきました。しかし喋るのもやっとの僕に相手をする余裕なんてありません。

「大丈夫?」なんて言葉をかけられる中で、僕は力を振り絞ってこう返しました。


「頼むからあんまり喋らせないで」


 両親は悲しそうな顔をして、三十分と待たず、すぐに帰っていきました。

 冷たく感じるかもしれませんが、でも実際喋りたくなかったし、何より不安そうな顔をする両親の顔を見るのが何よりつらかったので、こう返事をするしかなかったのです。そもそも大丈夫じゃないからこんな状態になってるわけですし。


 スマホもいじれないし、本なんて読めない。というか身じろぎするぐらいしかできない。

 時計とのにらめっこが始まりました。


 ここから夜までは恐ろしく時間は早く進みました。

 やばくなったのは、麻酔が完全に抜けた夜からでした。

 開腹手術をしたお腹があまりにも痛くて、痛くて痛くて、寝ることもできない。

 看護師さんが背中に枕を置いてくれました。アイスノンを頭の枕にセットしてくれました。


 どれくらいうなされたかわからないのですが、何時間もうなされてから、夜中に痛み止めのために身体の中にあまり残らない麻薬を入れてもらったら、すうっと痛みが引いてきて、眠りにつくことができました。

 たしかに麻薬って言ってたので、ぼんやりとした頭で「へー医療用大麻とかって日本で使っていいんだな〜」とか思ったのですが、そんなことなかったですね。あれいったいなんだったんだ。


 その麻薬は効果が本当に絶大で、その証左として、朝6時にその麻薬の供給が絶たれた直後に、僕はまた激痛で目が覚めることになるのです。

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