第4話 名前呼び……いいなぁ
未だ鳴り止まない心臓の鼓動を抑えつけながら本来の予定であった映画館へ向かっております。
それにしても正田君はなぜいきなりあんなところへ連れて行ったのでしょうか?
思わず予定外の出費をしてしまいました……
大した趣味もない、交友関係もない私ですのでお小遣いは溜まりに溜まっています。なのであれくらいは大した問題ではないんですけどね。
けれど慣れない服装で歩いているせいで周りからの視線が気になってしまいます。
似合わないですよね……?
私が一番わかってますよ。
でも、でも……さっきの『可愛い』が耳から離れてくれないんです。
何度も何度も私の頭の中でリフレインしてますよ。
顔が熱い気がします。
こんなの初めてなんです。
もちろん嬉しいですよ?嬉しいのですけど……それ以上に胸が痛いです。
私……まだ彼に『好き』と伝えられていないのです……あんなに真剣に告白してくれたというのに。
嬉しいって、幸せだって伝えられてないのですよ……
言ってほしかったことを汲んでくれて、真っ赤になりながら伝えてくれたあなたに何ひとつ報いていないのです……
もらってばかりなんです。
私の心を埋め尽くすこの感情は全部あなたがくれたんですよ。
私だって本当は思いが溢れて仕方ないのです。
好きです!大好きですよ!
でも……口に出せない、言葉にできない。
きっと一度でも想いを声にのせてしまえば、私は堰を切ったように……
また『うるさい』って言われるのが、あなたにそう思われてしまうかもしれないことが怖いんです!
こんな私にあなたは歩幅を合わせてくれますよね。
絶対に無理やり喋らせようとしないんですよ。
なぜですか……?
つまらないでしょう?嫌じゃないんですか?
私なら……逆の立場なら怒鳴ってるかもしれません。私、狭量ですよね……
なのに、なんで?
なんでそんなに楽しそうなんですかっ……!
なんでそんなに優しいんですかっ……!
自己嫌悪に苛まれているうちに映画館に着いてしまいました。頭がぐちゃぐちゃで、映画……楽しめるでしょうか……
それにしても休日の映画館ってカップル、結構いるのですね。
皆仲睦まじくて羨ましいです。
手を繋いだり、腕を組んだり。
私達も一応カップルのはずなんですけどね……拳2つ分の距離がありますよ。
目の前の2人なんて特に距離が近くて、というかもう密着しちゃってますよ。
「ねぇ、栞?本当にこれ見るの?」
「その話は出かける前にしたでしょ?話題の恋愛物らしいからね。ねぇ、涼?途中いい雰囲気になったらキスでもしちゃう?」
!!!
映画館でキスなんて!
小さいお子さんもいるかもしれないのに、いけませんよ!!
いや、暗闇ですから大丈夫……?
そういう問題ではないんです!
ダメですよ!
これが噂のバカップルってやつですか?
どう見ても同年代なのに進んでますね……!
恐ろしい世の中になったものです……
でも……なんかいいですね……
手を繋いだり、腕を組んだりまではいかなくても
「名前呼び……いいなぁ」
私も紡って呼ばれてみたいです。
私だって、な、
好きって言うよりはハードルが低い気がしますし。
心の中でも噛み噛みなのに実際口に出すことなんて……
「つ……」
つ?
「つっ、むぎ……はこの映画で良かった、かな……?」
え…………
今……つむぎって、私の名前……呼んでくれました??
ちょっぴりたどたどしかったですけど間違いじゃないですよね?
嬉しいです……ただ名前を呼ばれただけなのに、なんでこんなに嬉しいのでしょう。
やっぱりもらってばかりです……
な、な、直君も目の前の2人にあてられてしまったのでしょうか……?
でも……そんなこと関係ないです!
『直君』がきっかけをくれた気がします。
これで止められなくなったらどうしましょう……
怖いです。でも、1回だけでもいいから!
お願いします!私の身体、今だけでいいから言うことを聞いて!
「は、はい。な、お君……」
い、言えました……言っちゃいました!
嫌がられてないですよね?大丈夫でしょうか……?
**********
俺だってこの関係を進めたいって思ってるし、君の言葉を聞きたいって思ってるさ。
でも慎重にならざるを得ないだろ?
何を抱えているのかはわからないけど、ほとんど喋らないのはきっと何かあるはずだから。
告白を受け入れてくれたってことは俺に多少なりとも好感を持ってくれてる、と思う。自意識過剰かもしれないけどさ。それだけで満足だったんだ。だからゆっくりと心を解きほぐしてあげようとしてた。
なのに……
「名前呼び……いいなぁ」
ずるいだろ……?
無自覚か?心の声が漏れてしまっただけなんだろうか?
いきなり名前で呼ぶなんて勇気がいるよ。
でも、これは『紡』がくれたチャンスな気がする。心に踏み込んでほしいって言われてる気がする。
無自覚でも狙ってやっていたとしてもそんなのはどっちでもいい。
無駄にしたくない。
「つ……」
恥ずかしがるな!言え!
「つっ、むぎ……はこの映画で良かった、かな……?」
噛んだ……けど言った。
俺の名前を呼んでくれなくてもいい。
これできっと紡の心に少しでも変化があれば……
「は、はい。な、お君……」
時が止まった気がした。
これまでで一番小さな声。周りの喧騒にかき消されそうなくらい。でも俺だけははっきり聞いた。紡にだけ意識を向けていたから。
この時ようやく、それが何なのかよくわからないけど一歩だけ進んだ気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます