第7話


文化祭当日になった。二日にわたり開催されるのだ。


学校では教室から廊下に至るまで様々な飾り付けがなされ、校庭には出店も並んでいる。


普段は学校には入ってこない人々も、楽しそうに廊下を歩いている。接客は当番制だ。


私と彩夏、優菜は両日ともに午後一時まで接客となっており両親にも久江ママにも伝えておいた。


レンタルの袴は着物部分が柄物の明るいグリーンに、袴部分は暗い緑。ちょっとしたグラデーションになっている。色は人によってバラバラだ。着付けに少し戸惑い、草履を履く。草履は歩き辛かった。


「お、澪似合っている」


彩夏が言った。


「そういう彩夏も似合っているじゃん」


彩夏は青の袴。ショートカットの前髪には、和風の髪飾りをつけている。


「その髪飾り、かわいいね」


「えへへ。今日くらいはちょっと女の子っぽくしてみたよ」


優菜も着替えて出てくる。おお、と彩夏と私で声をあげる。三人の中では、優菜が一番レトロな雰囲気を醸し出していた。赤い千鳥柄の着物に紺の袴。大正時代の人間ですと言われても納得してしまうくらいの魅力にあふれている。


「準備のできた人から接客に移ってくださーい」


文化祭実行委員に言われて、私たちは緊張しながら接客へと赴く。色塗りなどを手伝った木の看板には大きく「ウエルカム 和風喫茶」と書かれており、縁は青と赤、白のペーパーフラワーが飾られていた。


私は女性客が二人座っているところへいき、スマイルを作った。メニューは字の上手い生徒が紙で縦書きに書いた。それをコピーしたものを、テーブルに置いている。


「ご注文をおうかがい致します」


行ってお客を見たとき、あっ、と内心で叫んだ。私から見て左側に座っている人は、史子が大学生の時に友達になってくれた人だ。絶対にそうだ。若く見えるけれど、首の皺は年齢を隠せない。声をかけることもできず、思わず泣きそうになるのをこらえる。


「緑茶と、抹茶ケーキ」


彼女が言った。


「私はほうじ茶と、わらび餅で」

「かしこまりました」


会釈をして、カーテンで仕切りを設けてある裏方に入る。生徒たちが忙しそうに動いている。彼女は自身の人生を進み、幸せを手に入れたのだろう。娘か息子がうちの学校にいるのかもしれない。幸せそうでほっとした。


でもまた、置いていかれてしまったような感覚に陥る。


紙コップにペットボトルのお茶と、ほうじ茶を入れ、期間限定で借りている業務用冷蔵庫から抹茶ケーキと、わらび餅を取り出し、お盆に乗せてこぼさないように運ぶ。


ふと見ると、ウェイトレスのアルバイトをしているというクラスメイトが、慣れた手つきで別のお客にお盆を持って行った。凄い。


ウェイトレスにはかなわない。私はゆっくりとした動作で「お待たせしました」と言い、ぎこちなくお茶と、紙皿を二人のお客様の前に置く。彼女は特に気にする様子もなく、相手の女性とおしゃべりを楽しんでいた。声をかけたい。でも姿形が違うからわからないだろう。真実を言うこともできない。史子と友達になってくれてどうもありがとう。


心の中でそっと言った。


注文を取ってから裏方へいき、できたものを紙コップや紙皿に移し替えて、お客様の目の前に差し出す、という作業を一時間ほどしているうちに、恵理子と忠、お兄ちゃんがやって来た。恥ずかしいからあまり見られたくない。


仕方なく恥をこらえて恵理子たちのもとへ行った。


「来たわよ。頑張っているみたいね」

「まあね。クラスの出し物だから。お兄ちゃんも来ていたの」


お兄ちゃんは来ないだろうと思っていたのでびっくりした。


「高校の文化祭というのも懐かしくてさ。今はどんなだろうって興味があって」


空いている席を案内する。


「大学の学園祭のほうが楽しいんじゃない。行ったことないけど」

「今年は終わったから、来年は澪も来るといいよ。進学するんだろ」

「うん、そうするよ」

「澪、袴、似合っているな」


忠が言った。


「それよりご注文は」


三人は違うものを口々に注文する。


私は何とか覚えて、裏方に入ると準備をする。彩夏が声をかけて来た。


「なにやら話し込んでいたけど、あれ、澪の家族」

「そうだよ、すごい恥ずかしい」 


私は準備をして注文されたすべてのものをお盆に乗せると、ゆっくりと運んで、それぞれ頼んだものを目の前に置いた。


「慣れていないわねえ」


恵理子がそんなことを言う。


「悪かったね。他にも回るの?」


「もちろんよ。文化祭なんてめったに来られるところじゃないんだから」


恵理子は言って、少し声を潜めた。


「久江さんも、後から来るそうよ。一緒にどうですかって誘ったのだけれど気恥ずかしいから一人で行くって言われてしまって」

「そうなんだ」


恵理子と久江の間には、少し距離があるのかもしれない。どちらかというと、久江ママのほうになにか一線があるのだろう。でも久江ママと今の家族と一緒に来られたら、きっと妙な気持ちになってしまうだろう。ママが二人いる空間で接客をするのだから。


「久江さん、担々麺満足してくれたようだな」


お兄ちゃんが言う。担々麺を作った日に恵理子にいろいろ話したから、お兄ちゃんにも話が伝わっているのだろう。


「うん。お兄ちゃんの家で練習した甲斐があったよ」

「よかったな」

「じゃあ、他の接客をするから」


私は家族に手を振り、教室の出入り口付近にいた人たちに声をかけた。和風喫茶では抹茶ケーキが人気だ。接客を五組ほどしたころには、恵理子たちの姿はなくなっていた。声をかけたくてもかけ辛かったのだろう。


それからまた、二組の接客を終えると、声がかかった。


「澪ちゃん」


出入り口付近に、久江ママが立っていた。


「ママ……あ、いや、久江さん」


思わずママ、と大きな声で言ってしまって、何人かの子たちの視線を感じた。

耳まで顔が赤くなる。


「ふふ。どこに座ればいいかしら」

「ご案内します。こちらへどうぞ」


私は教室の裏方に近い席に案内した。そこがちょうど空いたのだ。


「袴姿、素敵よ。ちょっと写真を撮らせてくれないかしら」

「いいけど……」


忙しいのに怒られないかな。でも袴姿で写真を撮っている子は他にもいる。ならいいか。でもママがこんなことを言うなんて初めてだ。


ママはスマホを持つと、黒板があるほうへ私を誘導した。というよりスマホを持っていたことに驚きだ。家でも見たことがなかったのに。


「笑って」


 私は笑顔を作る。シャッターが切られた。


「今度は一緒に撮ってもらいましょう」

「あ、私撮りますよ」 


接客帰りの彩夏が気づいたのか、私たちのもとへ近づいてくる。


「じゃあ、お願い」


私はママに若干寄った。


「行くよー。はい、チーズ」


カシャリ、と音がする。


「もう一枚行きまーす」


頼んでないのに彩夏が言う。はい、チーズ。


有無を言わせず彩夏はシャッターを切った。


「ありがとう」


久江ママが彩夏に言う。


「いえいえ、たいしたことじゃないので」


そう言って軽やかに裏方へと入っていった。


「澪ちゃん急に写真だなんてごめんね。でも、私も澪ちゃんとたくさんの思い出を作っていきたいと思うようになったのよ」


「それは嬉しい。文化祭、一緒に回れないけどゆっくり楽しんでね。ご注文は」


久江ママは案内した席に座り、メニューを見つめる。 


「緑茶とあんみつで」

「かしこまりました」


私は笑顔で裏方へ入った。

 


接客に気をとられているうちに久江ママもいつの間にかいなくなり、文化祭を回ってきた子たちが帰ってきて、遅めの昼食に行かせてもらうことにした。


ここからは自由時間だ。


制服に着替えると、彩夏と優菜で出店を見に行く。昼食をとるのだ。


「私たこ焼きと焼きそばが食べたい」

「お腹にたまるものって言ったら、炭水化物だよねえ」


優菜が言った。彩夏が返す。


「なに、太るって言いたいの」

「ううん。私もたこ焼きと焼きそばが食べたいから」


校庭に並んでいた出店で焼きそばとたこ焼きを買う。私もそれに倣った。お客さんは多く、出店にも人がたくさんいる。子供たちも騒いでいた。


離れたところに細長い木製のテーブルと椅子があったので、私たちは並んで座る。

彩夏は焼きそばを一口食べた。


「出店の食べ物ってどうして美味しく感じられるんだろうね」

「非日常の、特別感があるんだよ」


優菜が答えた。空には誰かが糸を離してしまったであろう風船が浮かんでいた。


「ねえ、澪。さっきの写真を撮った人が久江さん?」


彩夏は落ち着いた口調で言った。


「うん」

「ママって呼んだの聞いちゃった」


からかうように言う。


「もう、恥ずかしいからやめて」


私は顔を覆う。


「別にいいじゃん。前世のママなんだし」

「まぁ、そうなんだけどさ」


十月二十一日からこっち、文化祭の準備で忙しくて、彩夏も優菜も前世のことや久江ママのことを聞いてくることはなかった。


「担々麺、美味しく作れたんでしょ? 喜んでもらえた?」

「うん。それはもちろん。今度は、甘みのないほうを食べて貰うつもり」

「甘み?」


彩夏が首を傾げる。


「言ってなかった? 砂糖入れるのと入れないので味が少し変わるの」

「聞いてない。あとでメモしておかなきゃ」


それから沈黙。文化祭に来ている人たちのざわめきが聞こえている。


そうして、彩夏が沈黙を破った。


「前世はさ、どんな文化祭を送ったの」


私は答えるのに困った。前世の史子の様子は、彩夏たちには伝えていないのだ。


でも、言ってもいいか。外で出店の料理を食べているという開放的な気分が、なんだかそういう思いにさせた。


「休んでいた。前世の私は、中学も高校も学校に居場所がなくてさ。いじめられていて友達なんかいなかったの」


「え、そんなに酷い思い出が記憶にずっとあるって苦しくない?」


優菜が心配そうにのぞき込む。


「うん。時々苦しくなるよ。いじめって本当に良くないね。生まれ変わった今でも傷ついたままだもん。でも今は彩夏と優菜がいるから大丈夫」

「久江さんにはその時どう言っていたの」


彩夏が訊ねる。


「普通に知っていたよ。限界が来て、話さずにはいられなかったから。でも私もいつかは友達ができるんだって思い込んで、夢見て、今度友達連れてくるからね、なんて言っていた。そう言ったときは本当に心が潰れそうだったな」


潰れそうだった、と言ったけれど、もう潰れていた。本当に地獄のような心理状態に陥っていた。なんでいじめなんてあるのだろう。今も、昔も変わらずあって、時代は移ろうのにそれだけはなぜか変わらない。


「じゃあさ、今度私と優菜で久江さんの家に行ってもいいかな」


彩夏は明るく言った。


「えっ。それはママに聞いてみないと分からないけど」

「前世が辛かった分、今世は楽しく生きないと。担々麺を作るという約束を果たしても、まだ心残りはあるでしょ。前世の史子もまだまだ助けてあげなくちゃ」

「彩夏の言うとおりだよ。そんな苦しい前世だったなら、澪も傷ついているんじゃない? 私も一緒に久江さんのところへ行くよ。前世の約束を果たしに」


目が潤んだ。史子と友達になってくれたあの女性。名前はうろ覚えになっていてはっきりとは思い出せないけれど、もう二度と親しく話せない。彼女のおかげで救われたのに。 


でも、私は、これから私の道を大切にしなければならない。そして今は二人がいる。


史子と澪の魂は同じなのだろうか違うのだろうか。ふと考える。多分、澪の魂の中に、史子の魂がある。二重に、澪の魂が史子の魂を包み込んでいるのだ。


多分そういう構造になっているのだとなんとなく思う。魂が二つあることになるけれど、一つは眠ったままだ。起きていたら多分、今とは別人格になっていたと思うから。史子は気づいていて眠っているのだろう。ただ久江ママを目の前にすると、少しだけ目を覚ます。そんな気がする。


「ありがとう……ママに訊いてみるよ」

「人の家っていうのも興味あるし。じゃあ、その時砂糖なし担々麺は私が作る」

「一応聞いてからね」

「ところで大地君は?」

「今日は野球の練習があるから明日親と来るって。あいつ、タルタルソース気に入っちゃって、作れ作れって最近うるさいんだよ。コロッケにもかけようとするの」


気に入ってくれたのは嬉しいけれど、さすがにコロッケにかけるのはなにか違う。


「まあ元気ならそれでいいよ。大地君の顔見たい」

「ええ、あんな奴気にしているの」

「私も見たいよ、大地君。頬一杯にご飯食べる姿が可愛かった」


優菜が思い出したように笑っている。


そうか、と彩夏は伸びをした。


「大地のことはともかく、せっかくの文化祭だし。みんなでどこ回る?」

「二日かけて、片っ端から回ってみようよ」


私は提案する。


「じゃあ、そうするか。見たことないような出し物もあるだろうし」


ゴミをゴミ箱に捨てると、私たちはいろいろなところを回ることにした。各部活の展示物や映像、お化け屋敷などを見て回る。天文部は教室一杯に紙で作った星空があって綺麗だった。他にも私たちのクラスとは違う喫茶店に入ったり、出店に戻ってスイーツを食べたりした。


二日目には大地君が友達とやってきた。しばらく見ないうちに背が伸びている。


背は彩夏を少しだけ越していた。


「あいつ、どんどん大きくなる」


彩夏は少しだけ嬉しそうな顔をして、大地君と話し込んでいた。


昼からは昨日見られなかったところを三人で回っていると徐々に日が暮れて文化祭も終わる。準備するのに時間はかかるけれど、終わるのはあっという間だ。


学年全員が体育館に向かう。有志団体による後夜祭が始まるのだ。去年は壇上で、ダンスのパフォーマンスがあった。今年はなにをするのだろう。


生徒会長が初めに壇上に立ち、労いの言葉をかけた。五分ほど喋ったのちに、別の女子生徒と交代する。マイクを持ち、叫ぶように言った。


「それでは、後夜祭の始まりです! 明るくいきましょー!」


拍手がどおっと沸き起こる。お祭り気分の雰囲気の中、私まで浮ついた気持ちになる。


高校の思い出もたくさん作っていこう。そのために少しの疲労の中、参加している。


体育館内が暗くなった。周囲のざわつきも収まっている。


何が始まるのだろう。そう思っていると、壇上に照明がつき、エレキギターの音が鳴った。バンドだ。何を聴けるのだろう。私は立ったまま、背伸びをした。


「歌うぜ! 料理の歌!」


伴奏が始まる。まわりの話によると、どうやら軽音部の子たちらしい。

しばらく手拍子をしていると、ボーカルの女の子が歌い始めた。




パスタを作ろう。まずは準備だ。どうやって作る? ミートソースにナポリタンカルボナーラにペペロンチーノ。ミートソースは缶詰使えば簡単だ。ナポリタンはケチャップ入れればいいだけだ。けれどカルボナーラとペペロンチーノは難しい。カルボナーラには生クリーム? カロリー高くて太っちまうよ。ノンノン、作り方がわからない。私たちには作れない。便利な冷凍食品を買いましょう。簡単簡単、レンジでチンすりゃいいだけだ。

冷凍食品美味しいぜ! yes!



体育館内から爆笑の渦が起きた。彩夏も優菜も歌詞と曲調にお腹を抱えて笑っている。笑いが止まらない。歌は四分ほど続き終わった。


二曲目の歌が始まる。



今度はみんな大好きカレーの歌さ。作り方は玉ねぎ、にんじん、じゃがいも切って。

Oh! ルウを使う以外の作り方を知らない。ルウを使わずスパイス選んで煮込むってなにそれ。時間かかりすぎじゃない。ルウのほうが便利さ肉はなにを入れる? チキンと豚と牛肉好きなの選べ。キーマ、バター、チキン、グリーン。カレーの種類もたくさんあるけど、カレーはカレー。俺は一種類しか知らねえよ。

カレーばかり食ってると、色がつくから口臭、歯黄ばみ気をつけろ。イエイ!



面白おかしい歌詞にロックの曲調。

館内からのたくさんの笑い声はまだ続いている。そういえば史子が牛肉カレーを作るのが好きだったなと思い出した。高いけれど、カレーを作るときは豚より牛を入れていた。


博パパはカレーうどんが好きで、史子がカレーを作るたびに冷凍うどんの麺を自分で茹でて、どんぶりに入れ、カレーをかけていた。牛肉カレーも史子の味だ。明日はカレーにしてみよう。


歌詞はどんどん面白くエスカレートし、体育館中が笑いに包まれる。中にはペンライトを持って激しく手を振っている子もいるし、ヘドバンをしている子もいる。私もペンライトを持っているふりをして手を挙げ、応援していた。


不意に、胸の奥が疼く。史子の魂が少しだけ起きているのだ。私と一緒に楽しんでいるのかもしれない。史子だった時は高校の文化祭は三年間、休んだ。だから文化祭の時に全後夜祭があるなんて去年まで知らなかったのだ。それに、本音、史子は文化祭に行きたいと願っていた。


一人ぼっちで誰とも回る人がいないし、しつこくいじめてくる女子グループがあったから、文化祭へ行っても嫌な思いをするだけだっただろう。でも、本当は文化祭に出てあちこち回って、青春の一コマを楽しみたかったのだ。


史子には青春と呼べるものがなかった。


体育館の中は熱気と歓声で溢れている。心が激しく揺さぶられる。友達になってくれた女性に会ったことをきっかけに、少し史子の魂が目覚めているのだ。


私は心の中で言う。


史子、一緒に楽しもう。今はもう、いじめる子なんていないよ。だから今回の文化祭も楽しめたよね。今日会った女性は幸せな生活を手に入れているよ。私たちは今を生きよう。今が大事なんだよ。だから今は心から、この後夜祭を楽しもうね。


すると史子は落ち着いたのか、胸の疼きも収まる。


三曲目は普通のカッコいい歌だった。ボーカルの子が可愛くて、男子たちが熱狂している。バンドをしている子たちの名前を叫んでいる男子もいた。


曲が終わると、今度は別の団体が手品を披露した。有名な、箱に入って剣で刺すと胴が切れるというものだ。結構大掛かりな仕掛けで、周囲はどよめく。でも手品を見事に成功させて、最後は箱の中から胴が切られた人がちゃんとくっついたまま出て来た。


他にも手品を披露し、拍手の中、後夜祭は終わった。


いいものを見させてもらった。でも話題になるのは手品よりも、歌だった。

みんなその話をしている。


「面白かったね」

私が言うと彩夏が口を尖らせた。


「あー、非日常は今日で終わりだよ」

「明日は片づけで授業がないんだからいいじゃん」


 優菜は彩夏の肩に手を置く。


「毎年文化祭って楽しみだったんだよね。あと一回しか機会がないよ」


あと一回とは来年のことだろう。来年は皆どのように過ごしているのだろうか。

クラスがバラバラになったら……文化祭と後夜祭が終わった後のせいか、秋が深まった、澄んだ寒さのせいか少し感傷的な気持ちになる。


「なーに浮かない顔してんの」


彩夏が私の背中を叩いた。


「や、来年はどうしているんだろうなって考えたら、なんかしみじみしちゃって」

「あ、私も同じ気分。優菜は」

「私もなんとなく寂しい。来年のことあまり考えたくない」


みんな同じ気持ちなのだ。こうして友達と気持ちを共有できることが、何よりも嬉しい。午後も八時になっていたので、途中まで一緒に帰ることにした。



翌日は、文化祭の後片付けで走り回って学校生活の一日を終えた。


夕方に帰って、カレーを作る。確かに、料理が好きといえど私もスパイスを使ってカレーを作ることは、誰かに教えてもらわない限りはできない。ルウ頼りだ。牛肉を炒めて、玉ねぎと人参、それからしいたけを入れる。しいたけを入れるのは史子の時からの癖だ。


でも意外に恵理子からも好評で、最初はびっくりされたけれど今は何も言われない。


器に盛ってラップをかけると、恵理子に断り久江ママのところへ行った。


インターホンを鳴らすとスピーカーから声はせず、玄関が開いて中へ入れてもらう。


もう久江ママも、私が来る時間帯が大体わかるのだろう。


「まあ、今日はカレーなのね」


久江ママの、夕飯を受け取る表情が随分変わった。以前は申し訳なさそうにしつつもどこか浮かない顔をしていたけれど、今は晴れやかな表情をしている。今後も、このような顔で受け取ってくれるだろう。


「少しあがっていく? 寒いでしょう」

「うん」


靴を脱ぎ、三和土をあがる。

史子が使っていた席をママは指さした。もう、遠慮はいらない。


「仏壇にお供えしてもいいかしら」


私は史子が使っていた席に座る。


「もちろん。パパはカレーうどんが好きだったもんね」

「そうね。本当はうどんも入れたいところだけど」


久江ママは小さなどんぶりを取り出すと、カレーを入れて仏壇の前へ置く。そうして線香を立て鈴棒を鳴らし、目を閉じて手を合わせていた。


「私もお線香あげていいかな」


そういえば、全てを白状してからお線香をあげていない。


「ええ。ぜひお願い」


立ち上がると、仏壇の前へ行き、お線香に火をつけて立てた。


手を合わせる。


パパ。天国から見ていてくれるかな。きっと、もう私は史子だってわかってるよね。カレー作ったからあの世で食べてね。うどんはないけど。

 

心の中で言って、テーブルに戻る。


「じゃあ頂くわ」


言ってママはカレーを食べ始める。


「相変わらず、牛肉使っているのね。しいたけも」

「うん。これが史子のカレーだからね」


ママにカレーを差し出したことも何回かあった。カレーを受け取るたび悲しそうな顔をしていたが今日は違う。懐かしそうに味わって食べている。


「澪ちゃん、袴姿本当に似合っていたわ」


文化祭で和風喫茶に来たあと、ママもいろいろと見て回っていたのだとか。


「史子は文化祭に行きたそうにしていた。でも今は、澪ちゃんが史子の無念を晴らしてくれているのね」

「私もそう思う」


私は後夜祭で感じたことを話した。


「澪ちゃんの中に史子がいる。それだけで救われているわ。でも、辛くなったらいつでも言うのよ。澪ちゃんと史子は一心同体になっているけれど、今この時間、この時代は澪ちゃんの人生なのだから」

「うん。大丈夫。ママ、スマホ持っていたんだね」

「数年前にガラケーから買い替えたのよ。でもあまり使い方がよくわからなくて、結局、通話とメールと写真撮影くらいしか使っていないわ」

「じゃあわからないことがあったら聞いて。私が教えてあげるね」

「ええ」


ママはカレーを半分まで食べる。そうして一度スプーンを置き、言った。


「こんなことを言っていいのかわからないけれど。私、澪ちゃんが本当のことを語ってくれてから、長生きしたいと思うようになったわ。つい最近まで、いつ死んでもいいって思っていたくらいなのに。私も澪ちゃんと思い出を作っていきたい。だって澪ちゃんは史子でもあるから。生きたい」


その言葉を聞いて、私の瞳が潤み、視界が滲んだ。


本当のことを話してよかった。だって、ママはこんなにも救われている。


「目に色彩は戻った?」

「戻りかけている」


色彩は、本当になくなったわけじゃないのだ。ただ見える景色がなんとなく、いつもグレー。ちゃんと色彩は目に入っているけど頭の認識をスルーしてしまう。それが心を病んでしまった人が見る色なのだ。史子だった時、中学高校とそのような色彩だったから、ママの気持ちはよくわかる。


「健康状態はどう?」

「定期的に病院に通っているけれど、今のところ、どこもなんともない」


それを聞いて安堵する。ママの健康については聞かされたことがなかったから、不安になっていたのだ。


「私はもうママより先に死んだりしないし、今の両親よりも先に死ぬこともないから、長生きしてね」

「ええ。長生きするわ」

「袴姿、見てくれてありがとう。大学の卒業式を迎えられなかったことも、史子の心残りだったと思う。今度は成人式に着物も着るね。着物、史子の時に見たかったよね」

「見たかった。でも、史子のことを考えて澪ちゃんが無理しなくていいからね」

「無理はしていないよ。むしろ話せなかったときのほうが無理していたというか、限界を感じていた。だから前世の記憶があるっていう話をして、受け入れて貰えて、本当に良かったと思っている」


ママはふっと微笑み、再びカレーを食べ始める。


「そうだ。ママに本当のことを話す背中を押してくれたのが友達で、友達には全部話しているんだけど、今度ここへきて担々麺作りたいって」


ママはびっくりしたように瞳を大きくさせた。


「担々麺を?」


「私が教えたの。今度は甘さ抜きのやつ」


「それは楽しみね。いいわ。連れていらっしゃい。友達連れてくるのも、約束だったものね。いいお友達ができたようで、本当に良かった」


ママとの会話もこれまでとは異なり明るいものに変わっている。以前はぎこちない会話をしていたけれど今はもう、ママとの間に遠慮はないせいか、家に漂う空気も軽い。


冷めたお茶を一杯飲んで、私は隣の自分の家に帰る。



家で思い立ち、カレーうどんを作って食べた。食べながら博パパをこっそり偲ぶ。


「カレーうどんか。いいな。俺もそうすればよかったかな」


テレビを見ていた忠が言った。


「あら、それなら明日の朝食はカレーうどんにする? まだカレーは余っているし」


恵理子が言う。


「朝からカレーは重いけど、そうしようかな」

「じゃあ決まりね。澪、明日は購買のパンということで」

「はあい。いつもお弁当作ってくれてありがとうね」


初めて恵理子に感謝の気持ちを伝えた。照れて黙っていないで、こうして伝えていくことがなによりも重要だ。お弁当は私も作れるけれど、朝はかなり弱くてぎりぎりまで寝ているから、いつも恵理子に頼りきりだ。


「まあ、あと一年頑張るわよ」

「よろしくお願いします」


頭を下げると恵理子は頭を撫でてきた。私のお母さんは、ここにもいる。母親が二人いるって、いつも思うけれどなんだか不思議な気分だ。


カレーを食べた後で、久々に家族団らんの時間を設けた。一緒にテレビを見て、回って来た文化祭の様子などを話す。後夜祭の歌のことを言い、うろ覚えながら歌うと、両親は笑い、それでカレーにしたのかと妙に納得した。


忠が言うには、天文部が楽しかったそうだ。私たちも天文部に行ったけれど、手作りのプラネタリウムが行われていた。確かに少し楽しかったけれど、忠は妙にはまってしまったらしく、帰ってから星図鑑をネットで買ってしまったそうだ。


金沢家の、家族団らんの時も作っていこう。お兄ちゃんとも頻繁に連絡をとろう。


お兄ちゃんは学校から出たあと、すぐアパートに帰ってしまったそうだ。


大学生活ってどんなだろう。私は少し先の未来に思いを馳せる。


予備校の、冬期講習へ行ってみようか。


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