第5話


テストが近いから、夕飯づくりは恵理子に任せて逃げるように勉強に没頭した。


もう久江ママにごはんを作れない。それが、苦しくなるくらい悲しくなるなんて夢にも思っていなかった。


その日から、久江ママに会うこともなくなった。


学生の本分は勉強だ、と思い直す。お兄ちゃんが教えてくれたおかげで数学と英語がはかどる。勉強で数日を潰した。


そうして、パソコンから大学の情報を集めた。相談したら両親も進学していいとのことだ。もうそろそろ、学びたいことも決めよう。史子はせっかく楽しかったキャンパスライフを、四年間過ごすことができなかった。今度は絶対に卒業する。


私は小一時間、学部について考えていた。頭は文系だから理数はないとして、文学や経済学部、経営学部は興味がない。なら社会学部かあるいは――。


心理学を学んだら、今より人の気持ちがわかるようになるのかな。


ふと、そんなことを思う。久江ママの気持ちを考えずに料理を作り続けていた。恵理子や忠の気持ちだってそれほどわかっているわけじゃない。いくら学ぼうと、人の気持ちは本人じゃなければわからないかもしれないけれど心を学べる。


心理学って意外に幅広く活躍できるのではないだろうか。テレビにも犯罪心理学の専門家という人がよく出てくるし。一応、社会学か心理学を勉強してみようか。幅広い知識を得るために社会学でもいいかもしれないけれど。


決めたら私は膨大な数の大学の中から、行きたいところを探すことにした。こうすることで、心の安定を保っていられる。ただ、まだ決められない。


四日間のテストが終わると緩んだ空気の中、文化祭実行委員が教卓に立ち言った。


「今日から和風喫茶に向けて準備をします。飾りつけ用の花や看板を作るので手伝える人は手伝ってください。放課後残れる人は残ってください」


テストから解放された喜びと、文化祭が近いことでクラスも浮ついている。いつもよりどこか騒がしい。彩夏は本当に一夜漬けで寝ていないそうだ。優菜はテストに手ごたえありという顔をしていた。


「金沢さん達も手伝って。少しでいいから」


いつものように三人で固まっていると、文化祭実行委員がペーパーフラワーを作るようにと紙を渡した。彩夏と優菜にも色違いのものが渡る。


三人で机を並べて作ることにした。


「やっとテストが終わったと思ったらもう文化祭か。このまますぐクリスマスになって三年生になっちゃうね」


優菜がしみじみと言う。彩夏は半分寝ているので優菜と会話する。


「私、やっと大学で学びたいこと決めた」

「何?」  

「心理学か、社会学」

「へえ。そのあたり昔から人気あるよね」

「社会の構造や、人の心理を学んでみたくなって」


今の社会では、心が疲れている人も多い。そういう人の助けになれれば。


手を止めずに、ペーパーフラワーをどんどん作っていく。男子たちは木の看板を作り始めていた。ハンマーの音で彩夏が我に返ったように姿勢を伸ばす。目は寝ぼけている。


「あ、起きた」


優菜が笑う。


「意識飛んでたわ。いけない、いけない」


慌てたように手を動かし始める。


「ねえ、テストも終わったことだし明日、うちに泊まりに来ない」


彩夏がニコニコとした笑顔で言った。


「うん、行く」


私は即答する。友達の存在は本当にありがたい。


「優菜は」

「澪が泊まるなら私もそうしようかな。一人だけ混ざらないのはなんか悲しい」

「三人で女子会でもしよう。明日うち、両親ともに出張でいないんだ。大地はいるけど」

「そうなんだ、出張って重なるものだね」


不思議なこともあるものだ。


「うちの両親はなぜか出張が重なる日が多いんだよね。来年は同じクラスになれるかわからないし、ぜひ泊まって行ってよ。それで、澪、この前言った担々麺の作り方、教えて?」

「それが狙いか」


私はあえて明るく言った。心の奥底ではなにかがくすぶっているのに、それを出さずに無理に元気に振る舞っている。この数日間ずっとそうだ。


「それも兼ねて、だよ」


確かに来年はクラス替えがある。どんなクラスになるのだろう。


思い出は積み重ねていかないと。そんな久江ママの言葉を思い出すのも今は苦しい。


「担々麺、彩夏と優菜は食べたことある?」


「私はあるよ。結構好き」


彩夏は今までになくかわいらしく言う。


「私も一度だけ。でもあの時は辛(から)かったな」

「優菜は辛いの苦手?」

「ううん。お店の担々麺が辛すぎたのだと思う」


やはりお店によっては激辛にしているところもあるようだ。私はお兄ちゃんと言った

「浜海」を思い出して少し笑った。

「何笑い?」


彩夏が訊ねる。


「思い出し笑いだよ。先月にお兄ちゃんと言ったラーメン屋さんも、担々麺が激辛で。唇がたらこみたいになった」


そういえば、辛(から)いと辛(つら)いって、同じ字を書くのだなと思った。


私は今、辛(つら)さに耐えている。なんでこんなに辛いのか自分でもわからないけれど、私の心の柔らかいところには、穴が開くんじゃなくて鉄の棒でも埋め込まれているみたいな感覚に襲われている。久江ママに料理を拒絶されたことが辛いのだろうか。


いや、これまで善意で味を押し付けて久江ママを追い詰めていたという事実、それを拒否されてもなお私の料理を食べてほしいと思う気持ちが、私自身を苦しめている。


担々麺、食べてほしい。約束を果たせない。それも苦しい。


「お花作り終わった」


優菜が二十個ほどのペーパーフラワーを、机いっぱいに並べている。


「私ももうすぐ終わる」


あと三個。彩夏はまだ半分以上もあると焦っている。


出来上がると花を色別に段ボールの中に入れて文化祭実行委員のところに持っていき、彩夏を手伝った。


「助かる。ごめんね」

「寝てないんだから仕方がないよ。どう? テストの出来は」


優菜が訊ねる。


「まあまあかな」


それでも彩夏は、毎回平均以上の点数をとっているからすごい。私なんて何日も勉強してそれで平均よりちょっと上くらいなのに。でも今回はしっかり勉強したしいい点数が取れそうだ。


彩夏の分のペーパーフラワーを作り終えて文化祭実行委員に渡すと、帰ってもいいということだったので私たちは寄り道をして、帰ることにした。



「明日、彩夏の家に泊まることになったから」


 夜、夕飯を食べた後で恵理子に言う。


「この前も彩夏ちゃんの家に行っていたわよね」

「あの時はエビフライを作りにね」

「泊まるのはいいけど、ご迷惑をかけないようにしなさいよ」

「分かってるって」


言うと恵理子は私の両頬を両手で抑え込んだ。


「なに、どうしたの」


心配そうに見つめる。


「なんだか顔色が悪いわね。また風邪ひかないようにね」

「ただの勉強疲れだよ」

「ううん。それだけじゃない。いつもの元気がないような気がするのよ」

「そう、かな。気のせいだよ」

「久江さんのこと?」


恵理子は核心をつく。


「それもあるけど、もうどうにもできないから」

「そう。実は私の作った料理を少し分けているから。だから久江さん、お弁当の生活じゃないから安心してね」

「ありがとう……」


恵理子の味付けなら史子のことを思い出さずに食べられるだろう。それに栄養面でも安心ができる。


両手が両頬から離れた。


「元気出しなさい。まだ若いんだし、未来は果てしなく広がっているんだから」

「うん」


笑ってお風呂に入ると、あがって髪を乾かしてから泊まるための荷造りをした。


制服があるから、下着とパジャマ、歯ブラシをもっていけばいいだけだ。あとは試供品の化粧水。


小さめのトートバッグに入る量だ。荷造りも早く終えて、することも特になくなった。


ベッドに寝転がり天井を見つめる。友達にLINEでもしようかと思ったが、なにも話題がない。私はなにを思うでもなく、零時になるまでずっと天井を見つめていた。



寒さがだんだん強くなってくる。今日は昨日よりも少し寒い。

首にマフラーをして、トートバッグを持って学校へ行った。今日からまた普通に授業がある。テストも一日目に行われたものが返された。クラスの子たちは、その数字に悲鳴をあげている。返されたのは現代文と数学。


彩夏は七十点は取れたらしい。優菜は九十点台だ。流石に推薦を狙っている子は違う。


私といえば、珍しく八十点以上はとれていた。いつもは六十点前後なのに。勉強の成果が点数に表れていても上の空だ。


放課後になって、また文化祭の準備が始まる。文化祭実行委員と学級委員は忙しそうに教室から出たり入ったりしている。今日は、汚れてもいい割烹着を借り男子たちが看板を作っていた木の板にペンキを塗るのを手伝った。塗るという作業は、少しだけ私のざわついた心を落ちつかせてくれた。



作業が終わり、帰るころには午後六時近くになっていた。


「すっかり遅くなったね」


私は呟く。日は沈み、空には星が瞬いている。


「大地君、お腹すかせて待っているんじゃない?」


優菜がお腹のあたりを触り、言った。


「かもね。あいつも今テスト期間だし部活も休みだから、家でなにか食べているんじゃない」

「彩夏と大地君って仲いいの」


訊ねてみた。


「普通、かな。喧嘩はよくするけど、普段喋る量はそれなり」


第一子が女の子の場合と男の子の場合で、下にできる兄弟姉妹の仲ってやっぱり異なるのだろうか。うちの場合は第一子がお兄ちゃんだから甘えてしまうこともあるけれど、これが姉だった場合、どうなるのだろう。第一子は男女かかわらず我慢することが多いと聞いたことがある。彩夏も多分そうなのだろう。



前と同じ、電車に二十分揺られ、スーパーに寄る。費用は全部彩夏が親から預かっているらしく、オイスターソースと鶏がら、もやし、ラー油に豆板醤はあるという。


四人分の担々麺作るとすると、今まで作っていた量の倍を考えなければならない。練りごまペーストを三パック買うことにする。ひき肉も多めに入っているパックをかごに入れる。それから甜麺醤と花椒。味噌ラーメンの麺を二パック。


チンゲン菜は売り切れていた。ここは小松菜で代用しよう。あとはねぎ。彩夏と優菜がどこかへ行っていると思ったらお菓子を大量に持ってきた。カゴが一気にあふれる。 


「夜みんなで食べようよ」


彩夏の表情はすっきりしている。親がいないから多分、羽目を外したいのだろう。


買い物を終えて家にお邪魔するときには、すでに七時を過ぎていた。


大地君が出て来た。


「お帰り姉ちゃん。俺、腹へった」

「なにも食べてないの」

「三時頃パン食って以来なにも。腹減りすぎてゾンビになりそう」


大地君は本当にゆらりとした感じで立っている。お腹がすいて動けないといった様子だ。


「何か食べていればよかったのに。今から作るから待っていな」


テーブルに買ってきたものを並べる。それを見て目が潤んだ。でも我慢。


優菜にもやしとチンゲン菜を茹でてもらい、彩夏にはごま油で焦げ目がつくまでひき肉を炒め、豆板醤と甜麺醤を半さじずつ混ぜてもらうことにした。


スープを作るのを、口頭で教えつつ実演しながら彩夏に見せた。少しずつ味見をしながら舌で覚えた味付けにしていく。彩夏も味見をしつつ真剣な表情でまたこの前と同じくメモを取っている。


豆板醤と練りごまの量を増やす。練りごまは買った三パックをすべて使うと、鍋の中のスープが白で覆われ理想の色になった。かき混ぜると赤と白が融合している。


「いい匂い。喉の奥から唾が出てくる」


彩夏が鍋を覗き込み、言った。


「あとは沸騰したお湯に麺を茹でるだけだよ」

「そう思って鍋の中のお湯、沸騰させといた。麺は多いと鍋の底にくっつくから、鍋二つ沸騰させたよ。二人前ずつでどう?」

「お。優菜気が利くね。じゃあ私が茹でるわ」


彩夏は袋から麺を取り出し、茹で始める。


大地君は食器棚からラーメンのどんぶりを取り出した。よほどお腹をすかせているのか、足取りがふらふらしている。


麺が茹で上がると、トングで四人分に分け、坦々スープを入れていく。もやしの上に肉味噌を置き、小松菜と白髪ねぎを添えて、テーブルの上に運んだ。


「すごい、お店に出てくるやつみたい」


優菜が声を上げた。私が洗い物をしようとすると彩夏が止める。


「伸びる前に食べちゃおうよ。片づけはあとでいいよ。お腹すいているでしょ」


素直に従うことにした。私も早く食べたいところだ。


四人で椅子に腰かけ、食卓を囲う。


「じゃあ、頂きます」


全員で言って、勢いよく麺のすする音が聞こえてくる。その音に、私の心はまたもぐらつく。心の柔らかいところに打ち込まれた楔が、刺さったままグラグラと揺れている。


「美味しい。あまり辛くないしお店に出てきてもおかしくない!」


彩夏と優菜が絶賛する。大地君は無心で担々麺を食べていた。


私は一口食べ――。涙が溢れて来た。十月二十一日まであと一週間もない。でも私はそんな日に担々麺を久江ママに食べさせようとしていた。それって久江ママの立場からすればすごく酷なことだった。でも。やっぱり食べてほしい。



これまで耐えていたいろいろな感情があふれ出して、私は涙を流した。鼻をすする音に気付いた彩夏がびっくりしたように私を見る。


「え、どうしたの? これそんなに辛くないよね」

「ごめん。ごめん、ちょっと、ここのところ色々あって」

「なにがあった」


彩夏が肩を掴む。大地君が口を開けて無言で私を見つめている。


食卓で場を、雰囲気を悪くしたらダメだ。


「あとで話す。今は私のことなんか気にしないで食べて」

「わかった」


麺をすする音と、私の鼻水をすする音だけが聞こえている。食卓を囲う場で、暗い雰囲気にしてごめん。私は心の中で謝りながら、ラー油の効いた担々麺を平らげた。



お風呂を借りて、脱衣所でパジャマに着替える。


午後十時を過ぎていた。彩夏がお風呂場を軽く洗うと言って部屋から去り、しばらくして戻ってくる。優菜が座卓にお菓子の袋を全部開けていた。


「よーし。三人でパーティー始めようか! その前に澪。もう涙は止まった?」

 

彩夏に言われると、またわけのわからない感情が溢れて来た。


友達二人の顔を見つめて、ぶわっと涙が出てくる。


「彩夏ぁ、優菜ぁ」


私は名前を呼んで、肩を震わせ泣いた。


「どうしたどうした。なんでもいいから話せ。私たちに全部吐き出せ」


彩夏は私を一度抱きしめた後、ベッドに座らせ、落ち着かせようとペットボトルのお茶をグラスに注いでくれた。


「ありがとう」

「澪がなにかに悩んでいることは、気づいていたよ。特にここ数日は」

彩夏は屈みこみ、目線を合わせる。優菜も座った。

「うん」

「なんでもいいから話してよ。澪が辛そうにしていると私まで辛くなる」

「そうだよ」


友達になら、話をしてもいいだろうか。前世のことをすべて誰にも言わずに一人で抱え込んできたから、今それが爆発しているのかもしれない。


「荒唐無稽な話でも信じてくれる?」

「信じるよ。だって、一年の時から澪、何か隠しているでしょ」

「そんなことまで見抜いていたの?」


私はびっくりして彩夏を見やった。


「私も隠し事があることに気づいていたよ」と優菜。

「なんでも聞くから話しなよ。問題は早めに解決するに限る」


頷き、信頼して二人に話すことにした。


前世の記憶があること。そして、隣の家に住む人、久江が前世のお母さんであること。


久江ママとの約束を果たせずに死んでしまったこと。だから約束を守るために担々麺を作ろうとしたけどそれが自己満足の押し付けでしかなかったこと。


そして、毎日スーパーのお弁当を食べている久江ママに栄養をつけてほしく手料理をしてきたけれど、味付けが前世の史子と同じだと言われて断られてしまったこと。


それがかなり精神的にショックだったこと。家族に言えば、家族を傷つけてしまうかもしれないこと。でも黙っているのにもそろそろ限界が来ていること。他にもいろいろなことを、彩夏と優香が疑問に思ったことに答えながら話した。


「そっか。だから担々麺を研究していたんだ。前世のお母さんの大好物を食べさせようとして。なるほど、納得がいった」


彩夏も優菜も、ちゃんと信じてくれた。


「前世の記憶があって、細かく覚えているってしんどくない? それが隣の家だったなんていうなら尚更。お父さんは亡くなって、お母さんも年をとって。そういう姿を見るのも辛いよね」


優菜が肩に手を置く。私は頷く。


「でもさ、話したほうがいいよ。前世の記憶のこと。今の澪の家族にも、その久江さんという人にも」


彩夏がきっぱりと言う。


「言ったらみんな傷つくんじゃないかと思って」

「傷ついても、澪一人で抱え込むのは家族だって嬉しくないと思う。辛いことをなんでも包み隠さず話して、共有しあうのが家族っていうものじゃない? うん。絶対に話したほうがいいし、久江さんにもすべてを伝えたほうがいい。澪の気持ちもね」

「そうかな」

「私さあ、中二の時に好きな人がいたんだよね」


彩夏は机に置いてあったポッキーを食べ、唐突にそんなことを話し出した。


「でもその子、ある日いきなり病気になって、あっという間に死んじゃった。それまで元気だったのに、私とも話をしていたのに、授業中、急に教室で倒れてさ、そのまま二日後に帰らぬ人になったんだよね」


なにかを伝えようとしているのだろう。私は続きを待った。


「いつか想いを伝えようと思っていたんだ。でもそのいつかは来なくなっちゃった。彼にもっと早く告白していればと思ったよ。気持ちを伝えられなくて、今私の気持ちは宙ぶらりんのまま、まだ整理がついていないんだよね。だから髪を切って、イメチェンしたら変わるかなって思ったけど、私の心はなにも変わらないんだ。穴が開くほどじゃないけど、どこか心ここにあらずな状態がずっとある」


やり場のない気持ちを彩夏も抱えていた。


友達なのに、そんなことにも気づけなかった。


「そんなことがあったんだ。気づけなくてごめん」


謝ると、彩夏は両手で手を振る。


「澪が謝る必要はないよ。つまりね、相手が生きているうちに、気持ちや想いを伝えるっていうことはとても大切なことだと思う。失ってからじゃ遅いんだよ」


目はしっかりと私に向けられる。


「澪はさ、このままでいいと思っているの? せっかく前世のお母さんに会えたのに、仮にいなくなった時に、話さなくてよかったっていう気持ちになれる」


首を横に振った。話さなくてよかったという気持ちには絶対になれない。話したほうがいいのだ。彩夏の言葉で強く思った。遠慮なんかしなくていいのだ。恵理子が傷つくことなんて考えなくてもいいのだ。いや、少しは考えるけど。たとえ今の家族を巻き込んで迷惑をかけようが、全てを打ち明けて知ってもらったほうがなんの隠し事もなくこれからの人生を過ごせる。


両頬を涙が伝う。彩夏は笑った。


「澪はどうしたい?」

「久江ママに、担々麺を食べて貰いたい。家族に全部話したい」

「じゃあ、その心に正直に従ったほうがいいよ」


彩夏は両肩を叩き、今度は優菜が隣に座って抱きしめた。


「人に言えないことって辛いよね。澪はずっと張り詰めた心で頑張って来たんだね。どこかで楽にならないと心が壊れちゃうよ」


私は優菜の腕の中で泣いた。優菜は母親が子をあやすように、背中を優しく撫でた。


友達がいてよかった。彩夏と優菜と友達になれて本当によかった。誰もいなかったら、私は今も苦しんでいたのかもしれない。


優菜は私から離れる。泣き止むと、彩夏が大声を出した。


「それじゃあ、女子会始めようか!」


私たちはいろいろなことを話し合った。学校のこと、進路のこと、家族のこと。


今日の日のことも頭の中で切り取り、写真のごとく記憶に蓄積させる。


お菓子を食べながら、午前三時まで会話に花を咲かせていた。




翌日は寝不足で、二人は授業中、教師から怒られながらも机に突っ伏していた。


私は神経がさえていた。昨日二人に背中を押されたから。家族にすべて話そう。


十月二十一日はもうすぐだ。まずはお兄ちゃんを実家に呼ばないと。


昼休みになると、校庭に出て、隅っこのほうでお兄ちゃんに電話をかけた。大学も多分、昼休みだろう。


「もしもし、澪か」


二回のコール音で出てくれたから助かった。


「お兄ちゃん、久しぶり」

「おう。どうした。酷い風邪ひいたらしいけど、体調はもう大丈夫か」

「それは大丈夫。あのね、大事な話があるの。電話じゃ言えないようなこと。だから、実家に一度来てくれないかな」


しばらくの間の後、お兄ちゃんは言った。


「いいけど至急?」

「どちらかといえば至急」

「なら帰るのは明日かな」

「わかった。夕飯はエビフライのタルタルソース和えがいい? 前約束したけど」

「ごめん。昨日から揚げ食べちゃって、今揚げ物食べたくない。あ、ちゃんと自分で作ったぞ」


慌てたように言うので、ふふ、と私は笑う。お兄ちゃんが揚げ物を作るなんて珍しい。


「だからさっぱりしたものが食べたい」

「じゃあ、魚にしようか。たまには魚食べないとね」

「で、話ってどんなの。さわりだけでも教えて」

「それもお兄ちゃんが帰ってから」


電話を切った。いつも冷静なお兄ちゃんの声を聞くとなんだか安心する。


教室に戻ると、彩夏と優菜はまだ眠そうだった。お昼は朝三人で同じコンビニで買ったおにぎりだ。二人ともいつもより食べる動作が鈍い。


「まだ眠いの」

「そりゃ午前三時過ぎまで起きていればね」


彩夏はあくびをする。


「テストの時は寝ていなくても元気じゃん」

「ああいうときは神経冴えているから。澪は元気そうだね」

「うん。なんだか吹っ切れて」


彩夏の目に力が入った。


「よかったね。言いたいことは、家族にちゃんと言うんだよ」


強く頷いた。彩夏の家庭は、なんでも言いたいことを言うそうだ。それで喧嘩したり傷つくことがあったり、家族の仲がぎくしゃくしたりしても、数日後には元に戻っているらしい。それが家族だと、彩夏は言った。おっとりして見える優菜も、家族にはあまり遠慮しないらしい。不満があればその場ですぐ言うそうだ。優菜が不満を言っているところを見たことはないけれど、それが家庭内での優菜の顔なのだろう。二人とも、家族に遠慮は無用と昨晩話していた。


学校が終わり、途中で二人と別れ、スーパーに寄って家に帰る。


恵理子が中華丼を作っていた。


「あれ。今日は私が作ろうと思っていたのに」

「いいのよ。久江さんにもあげるから」


洗面台で、手を洗ってリビングに戻る。そうして私は勇気を出した。


「明日、みんなに大切な話をするから聞いてほしい」

「なに、改まって。進路のこと?」


恵理子は中華鍋の中を見つめたまま言った。


「違う。それ以上に大事な話。お兄ちゃんも帰ってくるし、お父さんにも言うから」

「わかったわ。じゃあ、家族会議ね」

「そういうことになる」


料理ができると、四角い器に白米を入れ、中華丼を上にかけてラップをし、恵理子は久江ママのもとに持って行った。戻ってきてから二人で食べる。八時頃になって恵理子は彩夏の親にお礼の電話をかけていた。親というのはこういう気配りも必要なのだ。それを少し、有難く思う。


忠が帰ってくると、明日話があると直接言った。二人ともなんの話をするのか見当もつかないようだ。友達二人は見抜いていたのに、うちの家族は気づいていなかったのかなぁ、と思う。距離が近すぎると分からないこともあるのだ。


少し緊張していた。どんな反応をされるだろうか。どんな言葉を返されるだろうか。


お風呂から上がると、また何を思うこともなくベッドに仰向けになり天井を見つめていた。




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