【三十三話】花子の決意

「やっほー、花子ちゃん!」

 昨日、告白されてからと言うもの、久保は、学年が違うと言うのに、毎日毎日会いに来た。



 しかも、久保が来る度に、クラスの女子達の黄色い声が飛んで来るのだ。



「おはようございます。今日も元気ですね…」

「おはよう、今日も可愛いね!」

 久保が、花子に近づくと、クラスの女子達の痛い視線が背中に突き刺さる。



(し、知らなかった…。久保先輩が、こんなに人気だったなんて…)

「どうしたの?元気がなさそうだけど、そんなに俺に会えなくて寂しかった?」

 神楽坂とはまた違った輝きを放ちながら、甘い声で聞く。



「って、昨日も会ったじゃないですか」

 花子が呆れ気味に言うと、久保はお構いなしに、花子の頬に触れる。



「でも、昨日会ったのは、十五時頃でしょ?それから今日まで十八時間も経ってる。その間、俺は凄く寂しかった」



 花子は、言葉に詰まってしまう。

 なんだか、最初に会った時と大分印象が違うような気がする。



 だが、どんなにイケメンで、親が警察官の金持ちで、苛めっ子から守ってくれたとしても、苗字が好みじゃないので、花子はとことん自分のフェチを貫き通す覚悟である。



「あ、あのっ!」

 花子は、なんとか言葉を振り絞る。

「あ、秋山先輩から聞いたなら知ってるかもしれませんけど、私、変わった名前しか興味がないので、すもませんが、先輩の気持ちには応えられません!」



 キッパリと言い放ち、達成感に浸っていたが、あっさりと一周されてしまった。



「知ってるよ、そんなこと」

「へっ?」

「でも、それが何?それが俺が君を好きって気持ちを否定する理由になるの?」



 花子は、そんなことを言われたのは初めてだった。

「そっ、それは…」

 口ごもる花子に、久保はなぜか自信に満ち溢れた顔を浮かべている…



「君が苗字に異常にこだわる理由も知ってるけどね。でも、それでなんで俺が君が好きって気持ちを諦めないといけないの?」



 花子は、強い視線に、言葉が出ない。

「悪いけど俺は、秋山や、そんじょそこらの腰抜けとは違うよ」



 久保は、花子に告白したことがあるであろう、クラスの男共に、嘲笑的な笑みを向ける。



「それに、その苛めた奴が笑ったのは、【山田花子】って言う名前だろ?だったら、久保花子になったって、笑われるとは限らないじゃないか」



 花子は、今までの自分の信念を、ことごとく壊して来る久保のペースに、すっかり流されてしまう。



「逆に聞くけど、この世に仮に君が好みの名前が、貧乏で、不細工な奴しかいなかったらどうするの?それでも君は、変わった苗字じゃないと嫌って言う訳?」



 花子は、まるで過去の経験を見てきたかのような、究極の選択を投げかけられ、胸が痛む。



「言っとくけど俺は本気だから。こんな普通な名前だけど、それでも君を幸せにできる自信はあるよ」

 鋭い目線で、まるでプロポーズのような言葉をかけられ、花子は思わず揺らぎそうになってしまう。



 久保は、花子の髪をかき上げると、耳元で、じゃあまた来るよ、と囁いて、颯爽とその場を立ち去って行った。



◇◆◇



「お疲れ様でーす」

「おう、お疲れ!」

 花子は、バイトに向かうと、バックヤードで発注作業をしてる秋山が、軽く手を上げる。



 花子は、秋山を見るなり、怒りが込み上げて来て、半ば八つ当たり的に、罵倒する。

「先輩!一体、なんなんですか、久保先輩って!」

「ん?ああ、面白い奴だろ!」



 秋山にあっけらかんと言われて、花子の怒りは一層増す。

「面白い奴じゃないですよ!私、苗字フェチだからって断ったのに、全部否定されたじゃないですかぁ!!」



「ああ、やっぱりなぁ…」

 秋山は、腕を頭の後ろで組みながら、天井を仰ぐ。



「あいつさ、俺がお前にフられた時もさ、めっちゃ呆れられたんだよなぁ。なんで、そんなんで諦めるんだって。お前の気持ちはその程度なのかよって」

 花子は、初めて聞く話に、目を見開く。



「でも、あの時の俺にはさ、おみみたいに…あ、おみって、久保のことな。おみみたいにはなれなかったんだよな。凄ぇよな」

 否定するどころか、肯定的な秋山に、花子はすっかり、怒る気がなくなってしまった。



「だっ、だからって、困ります…私が好きなのは、神楽坂君なのに…」

 尻すぼみになりながら言う花子に、秋山はイラついたように花子を見る。

「だったら、フればいいじゃん。最初から分かってんなら」



 花子は、俯いたままただ黙り込む。

「言っとくけど、誰も傷つけたくないなんて思うなよ。誰も傷つかない恋愛なんて、ないんだからさ」



 喜多川と同じことを言われて、花子は、頭に血が登って、秋山に食いつく。



「いいですよね!秋山先輩は、もう小百合と付き合ってるんだから!もう何も悩まなくていいですもんね!」

 全部言った後で、花子は我に帰り、口を手で覆う。



「悪ぃ、言い過ぎた」

 秋山は、バツが悪そうに、頭を掻く。



「でも、あんまそう言うのは引きずるんじゃねぇぞ。完全にフられるの分かってて、希望持ってるあいつ見てんのも、辛ぇからさ」

 秋山は、軽く花子の頭を撫でると、レジに向かった。



 花子は、先ほど言ったことを後悔して、泣きそうになった。

「お疲れ様!」

 神楽坂の声に、花子は、勢いよく振り返る。



「わっ、どうしたの?大丈夫?!」

 花子は、何を思ったのか、神楽坂に意地の悪い質問を投げかけた。



「あのさ、もし…もし、神楽坂君は、自分の好みの苗字の人が、貧乏でブスな女の子しかいなかったら、どうする?」



「えっ、何、急に?」

 唐突に花子に聞かれて、神楽坂は困惑する。

「ごめん、やっぱ聞かなかったことにして」

 花子は、答えを聞かずに更衣室のカーテンを開けた。



「どうもしないよ」

 花子は、カーテンを閉めようとした手を止める。



「それでも俺は、自分好みの苗字の人をずっと探し続けるよ!それが、俺のポテンシャルだから!」

 神楽坂の、曇りのない声に、安堵して、白い歯を見せて笑った。



「そっか。安心した。待たせちゃってごめんね。すぐ着替えるから、ちょっと待ってて」

 花子は、更衣室に入ると、着替えながら、久保を振る決意を固めた。



◇◆◇



 その翌日、今日も相変わらず告白をしに、久保が教室にやって来た。

「やぁ、花子ちゃん!今日も可愛いね」

 花子は、拳を握ると、真剣な眼差しで、久保を見つめる。



「あの、久保先輩!」

 思ったよりも大きな声で、久保は思わず、後ずさる。

「今日の放課後、話があるので、屋上で待っててくれませんか?」



 久保は、怯むことなく、いつもの甘い笑みを浮かべる。

「もしかして、愛の告白かな?別にここでしてくれてもいいのに」



 ちゃらける久保に花子は、決意を揺るがさないよう、心の中で言い聞かせる。



「それじゃあ、放課後、屋上で待ってます!」

 花子は、それだけ言うと、教室の中に入って行った。



◇◆◇



 放課後、花子は、いち早く屋上に向かい、久保が来るのを待った。

 拳を握り、深呼吸をしていると、後ろから久保の声が聞こえて、振り向く。



「嬉しいなぁ、花子ちゃんから直々に呼び出すなんて。やっと、俺のこと好きに…」

「ごめんなさい!」



 花子は、久保が全て言い切る前に、深々と頭を下げながら、謝罪した。



「あれから、考えたんです。もし、この世に自分の好みの苗字が、貧乏でブスな人しかいなかったらどうするかって質問をずっと考えてたんです」



 花子は、深呼吸すると、全ての悩みを振り切った表情を浮かべた。

「それでも私は、自分の好みの苗字の人を探し続けます!」



 久保は、目を見開いて、更に質問を投げる。

「もし、一生見つからなかったら?」

「一生見つからなかったら…」



 花子は、反復すると、一瞬悩んだ後、少し寂しそうな声で、

「その時は、その時に考えます」

 その回答を聞いて、久保は、大声をあげて笑い出した。



「そこは、一生今の名前でいいです、じゃないんだね」

 花子は、気恥ずかしくなって、顔を赤らめる。

「それは流石に嫌ですね。その時は、諦めるので、付き合ってくれますか?なんて…」



 花子が、冗談混じりに言うと久保は、フられた割には、晴れやかな表情をしていた。



「その時はもう結婚してるよ。多分ね」

「え〜…。待っててくれないんですかぁ?」

「流石にそこまでは待てないよ」



 花子は、本音を全て吐き出して、スッキリした表情でこの場を立ち去ろうとした時、何かを思い出したように立ち止まった。



「あ、そうだ!」

 花子は、振り返ると、満面な笑みを浮かべる。

「私、好きな人がいるんです!だから、安心して下さい!」



 そう言うと、花子は踵を返し、駆け足でその場を立ち去って行った。



 一体いつからそこにいたのか、物陰から、黒い影が、久保に声をかける。



「馬鹿ね、最初から勝ち目なんてないのに、告白するなんて」

「わっ!いつからいたの?!」

「最初からいたわよ」


 

 その影の正体は、花子の永遠のライバルだと豪語する、桂木桂子かつらぎけいこだった。

 桂子は久保の隣にしゃがむと、嬉しそうな顔を浮かべる。



「馬鹿な男ねぇ。最初からフられるのが分かってるのに、告白するなんて」



 久保は、子供のように頬を膨らませる。

「相変わらず酷いなぁ。ちょっとは慰めてよ」

「…分かった」



 桂木は、久保の顔を手で覆い、無理やりこちらを向かせると、口付けた。

 暫く、長い口付けが続いた後、桂木はゆっくりと唇を離す。

「け、桂子…」



「私、ずっと好きだったの、保臣のこと。でも、ずっと言えなくて、そしたら、いつの間にか、山田さんのこと好きになってて…。挙句にフられちゃって、ばっかみたい」



 大粒の涙を流しながら言う桂木に、久保は戸惑いながらも、項垂れる。



「気づかなくてごめん…」

 桂木は、久保を強く抱きしめた。

「大丈夫、私は、どんな保臣も大好きだから…っ」

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