【二十九話目】新たな苛め

「いらっしゃいませ!」

「おっす、花ちゃん!」

 あの一件以来、神奈がちょくちょく店に遊びに来ることが多くなった。



 セーラー服姿の神奈は、やはり女の子なんだな、と思う一方で、神楽坂が女装しているようにも見えて、少し複雑な気持ちになった。



 神奈のバイト先は、一駅前にあるコンビニと、大手コーヒーチェーン店との掛け持ちをしてるようで、方向が違うのにも関わらず、わざわざやってくるのである。



「神奈ちゃんも律儀だよね。ほぼ毎日会いに来るなんて」

 花子は、レジを打ちながら言うと、神奈は、顔を真っ赤にさせながら、顔を逸らす。



「なっ、なんのこと?俺はただ、花ちゃんに会いに来てるだけ…」

「あれ、神奈ちゃんじゃん。今日も髪、綺麗だね」



 商品の搬入を終えた喜多川がやってくると、神奈は胸をときめかせて、喜多川に近づく。

 なんて分かりやすいんだ、と花子はニヤニヤと遠くで神奈を見守る。 



「喜多川君、お疲れ様!今日、この後予定ある?」

「今日?別に空いてるけど?」

「じゃっ、じゃあどっかでお茶しない?そこのコーヒー屋とかでさ…」



 一人称こそ、男のそれであるが、髪を指に巻き付けながら照れくさそうに話す姿は、乙女そのものである。



「いいよ、じゃあ、終わるまでまだちょっと時間あるから、待っててよ」

「う、うん!じゃあ、それまで雑誌でも立ち読みして待ってるよ!」



 神奈は、ぱっと花が咲いたような表情をすると、手を振りながら雑誌コーナーに向かった。

「いやぁ、モテますなぁ、喜多川先輩も」

 花子に揶揄されると、喜多川はフッと笑みを浮かベる。



「何言ってんの。人の恋愛模様楽しんでる間に、自分の恋愛にちゃんと向き合いなよ」

 焚き付けるつもりが、逆に焚き付けられて、花子は言葉に詰まる。



「結局、まだどっちにもちゃんと言ってないんでしょ」

 花子は、複雑な表情をすると、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。



「分からないんです…神楽坂君のことが好きな筈なのに、望月に好きって言われて…」

 中途半端に言葉を閉ざすと、喜多川は、口元に優しい笑みを浮かべる。



「望月を傷付けるのが嫌?」

 胸の内を見抜かれ、花子は、ゆっくりと頷く。

「おかしいですよね。昔、私を苛めてた奴なのに。苛めてた理由を知って、許したら、傷付けたくないなんて…」



 辛そうに笑う花子を、喜多川は、軽く頭を撫でる。

「俺が言うのもなんだけどさ、誰も傷付けない恋愛なんて、ないと思うんだよね。まぁ、最初からその二人を好きな奴がいなければ別なんだろうけど」



 喜多川は、寂しげな表情を浮かべて遠くを見つめる。

「結局、俺も傷付けたくないから、フったんだけどね」

 そう言うと、喜多川はすぐに、自分が言ったことを否定した。



「いや、違うかな。自分が傷付きたくないから、フったんだ…。酷い奴だって思う?」

「そんなこと…」

 花子は、喜多川に聞かれて、思わず口ごもる。



「ま、自分の気持ちに素直になるのが一番だとは思うけどね」

 喜多川は、そう結論づけると、時計の針が仕事が終わる時間を指していることに気付いた。



「お疲れ様です」

 望月がやって来ると同時に、客に気付いて足早にレジに向かう。



(自分の気持ちに素直になるのが一番、か…)

 花子は、喜多川の言葉を反復して暫し目を閉じると、レジに客が並び出して、慌ててレジに向かう。



「いらっしゃいませ!」

客の女は花子を舐めるように見つめた後、ニヤリと嫌らしい表情を浮かべる。



「やっぱり、あんた、山田花子でしょ?」

「え…、あの、誰ですか?」

 花子は、見ず知らずの女に、唐突に名前を聞かれて、目をぱちくりさせる。



「まさか、忘れたの?小学校の時に、いたじゃん。安井安樹やすいあんじゅ。中学違ったから、全然会わなくなったけど、ここでバイトしてるって聞いて、会いに来ちゃった」

 


 花子は、全てを思い出し、全身が凍りついた。

 小学校の頃、望月とはまた別に、自分を苛めていた女子グループがいて、彼女はそのリーダー格だった。



「昔は、陰キャのドブスだったのに、随分変わったんだねぇ。色んな男にモテまくって、いい気なもんね」

 花子が、全身を震わせ黙りこくっていると、着替え終わった喜多川が、バックヤードから出てきた。



「お疲れ様ー…、山田さん、どうかしたの?」

 顔色が悪い花子に気付いた喜多川が、心配そうに声をかけると、鈴木は何かを思い付いたのか、悪意の強い笑みを浮かべる。



「あ、お兄さん、聞いて下さいよ!この子、お釣間違えたのに、間違ってないって、言い張るんです!」

 喜多川は、先程の鈴木の表情から何かを読み取ったのか、眉間に皺を寄せる。



「そうなの?」

「ち、違っ…!」

「違うよ」

 花子が、否定しようとした時、神奈が即座に否定した。



「俺、ずっと見てたけど、花ちゃん、そんなミスしてないし、この人の言いがかりだよ」

「そうなんですか?」

 神奈にあっさり嘘を見抜かれ、喜多川に問い詰められると、安井はつまらなさそうに舌打ちする。



「あれ、すみません!私の勘違いだったみたい!疑ってごめんなさい!」

 安井はあっさりと謝罪すると、そそくさとその場を退散した。



 花子は、まだ震えが止まらないのか、身体を抱き抱え冷や汗を掻いている。

「大丈夫?バックヤードで休む?」

「だっ、大丈夫です、ちょっとびっくりしただけなんで…」



 花子は、無理やり笑顔を作ると、朦朧としながらも、バックヤードに入って行った。

(なんで…、なんで今更あいつが出てくるのよ…。なんで…っ!)



 花子は、頭を抱えると、忘れかけていた昔の記憶がフラッシュバックして、大粒の涙が溢れ出した。

「おい、大丈夫か?!」



 突如、更衣室から出て来た望月の声が、頭から振って来て、花子は顔を上げる。

「もち、づき…っ」

 望月の名前を呼ぶと、頭が混乱する。



「大丈夫、山田さん!」

 仕事を終えた喜多川に声をかけられ、花子はようやく正気を取り戻す。



「あ…っ」

「ちょっとそこに座ってて。俺、車出して来るから。家まで送るよ!」



 喜多川が急いで更衣室に入り、望月も時間の許す限り花子の側にいようと勤めたが、客に呼ばれて足早にレジに向かう。



「神奈ちゃん、俺、車回して来るから、一緒にいてあげて!」

「分かった!」



 花子は、なんとか帰宅準備を終えると、神奈に介抱されながら、喜多川の車に乗り込み、家まで送り届けられた。

 


◇◆◇



 それは、約十年程前の花子の記憶。

 花子は、望月だけでなく、もう一つの女子グループから苛めを受けていた。



 理由は、ただ、気に入らない。

 ただ、それだけだったー…。



 花子は、悪夢と共に目を覚ました。

 クーラーが効いてると言うのに、汗だくになっている。

 時計を見ると、まだ、5時半だ。



(お腹すいたな…)

 花子は、昨日喜多川に送り届けられてから、食事もせず、眠りについたのだ。



 花子は、キッチンに行きコップに水を注ぐと、一気に飲み干し、大きく息を吐いた。

 汗が服にべっとりと染み付いて気持ち悪いので、シャワーを浴びることにした。



 シャワーを出ると、適当に服を着替え、腹ごしらえをしようと冷蔵庫を覗く。

 卵とウインナーを見て、目玉焼きを作ることにした。



 焼き上がった目玉焼きとウインナー皿に盛り付け、をご飯をお茶碗によそい、テーブルに着く。

 花子は、目玉焼きには醤油派なので、醤油をたらして口に運ぶ。



 余程腹が減っていたのか、その一口を皮切りに、花子はあっと言う間に平らげた。

 時計を見ると、まだ6時頃で、ようやく家族が起き出す時間である。



「あら、花子、もう起きたの?具合は?もう大丈夫なの?」

 母親に質問を投げ掛けられ、花子は精一杯の笑顔を見せて、大丈夫、とだけ答えると、さっさと自分の部屋に戻った。



 花子は、深く溜め息を着いて、スマートフォンを開くと、喜多川と神楽坂からラインが来ていた。

 二人共、だいたい内容は同じなのだが、神楽坂は喜多川以上に心配している様子で、花子は微笑む。



 二人に、返事が遅れたことに対する謝罪と、大丈夫だと言う旨を伝えて、花子は制服に着替える。

 執拗に大丈夫かと心配する母親をなんとか振りほどき、花子は足早に学校に向かった。



◇◆◇



 学校に辿り着くと、相変わらず、小百合が秋山のバイクに乗って颯爽とやって来た。

「おっはー、花ちゃん!」

「おっす、山田ー!」



 自分とはまるで天と地程のハイテンションの小百合に、花子は、深く溜め息を着く。

「あれ?どうしたの?元気ない?」

 ヘルメットを外し、バイクから降りた小百合が、花子の顔を覗き込む。


 

「後で話す」

 二人のテンションの高さに、話す気にはなれず、花子はさっさと下駄箱に向かった。



「あ、待って待って!」

 小百合は、秋山から鞄を受け取ると、慌てて花子を追いかける。



「本当どうしたの?バイトでなんかあった?」

 小百合に聞かれて、花子は不機嫌そうに小百合を睨むと、ポツリと呟いた。



「安井安樹に会った…」

 小百合は、その名前に敏感に反応した。

「安井安樹って、昔、花ちゃんを苛めてた…?」

 花子は、ゆっくりと頷く。



「でっ、でもほら、学校違うし、今会ったって、昔みたいな嫌がらせなんかないから、大丈夫だよ!」

 小百合に励まされるが、花子はなんだか、気が休まらない。



「そうだといいんだけど、なんだろう、なんか、嫌な予感がするんだ…」

「花ちゃん…」

 小百合は、昔のことを思い出し胸が痛んだが、意を決したように、胸に拳を握って、花子の前に躍り出る。



「大丈夫!何があっても、絶対、あたしが花ちゃんを守るから!」

「小百合…」



 インターハイが終わってから、一層頼もしさが増した小百合に、花子は、目を見開く。

「ありがとう」



 しかし、花子の嫌な予感は的中してしまった。

 靴箱を開けると、上履きがなくなっていた。

「上履きが、ない…」

 花子は、背筋が凍り付いた。



「でも、なんで?本人がいないのに、なんで…っ!」

「落ち着いて!とりあえず、スリッパ借りて来るから、ちょっと待ってて!」



 気転をきかせた小百合が、急いでスリッパを取りに向かってくれたお陰で、この場はなんとか事なきを得た。


 だが、これはこれから始まる凄惨な苛めの序曲に過ぎなかったー…。 

 

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