【二十六話】旅行(前編)

「す、すみません、すぐ取り替えますね」

「立花先輩、大丈夫ですか?今日、これで二回目ですよ?」

 普段、ミスなんてほとんどしない立花が、珍しくミスを連発していて、花子は流石に心配になる。



 顔色が特別悪い訳でもないので、単なる調子が悪いだけなのかもしれない。

 花子が、バックヤードに、キャンペーン中の景品を取りに行った時、店内に、客の怒鳴り声が響き渡った。



「何やってんだ!その弁当、あと一個しかないんだぞ!」

「す、すみません!」



 どうやら、立花が温めてはいけない商品を、温めてしまったようだ。

「お疲れ様です」

 何度も平謝りしているうちに、十分前になり、神楽坂と望月がやって来た。



「どうしたの?」

 何やら騒がしい客に、神楽坂が花子に尋ねる。

「なんか、温めてはいけない商品温めたみたいで、代わりがなくて…」



 何度も謝っているのになかなか引こうとしない客に、いよいよ困り果てていた時、いつの間にか、素早く着替えた望月が来て、深々と謝罪すると、客は上擦った声を上げて、帰って行った。



「大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう…」

 花子は、顔を赤らめている立花を見て、今までの行動の真意を読み取った。



(はは~ん…)

 花子は、意味深な表情を浮かべると、立花の側に歩み寄る。

「先輩、顔、真っ赤ですよ」



「えっ、なっ、何が?!」

  花子に焚き付けられ、慌てて、誤魔化そうとする立花に、花子はコロコロと笑いながら、楽しげに品出しに向かった。



◇◆◇



「山田さん、ちょっといい?」

 神楽坂に声をかけられ、花子はバックヤードに向かう。

「どうしたの?」



「これ、この間、祭りの時に迷子になった子がいるでしょ?そのご両親が、お礼にって、一泊二日の温泉旅行券をくれたんだ」



 神楽坂が手にしているのは、国内では有名な、温泉施設の宿泊券の四人分のチケットである。

「よかったら、皆で一瞬にどうかと思ってさ」

「って、わ、私と?!」



「夏休みもまだいっぱいあるし、よかったらどうかなって」

 花子は、行きたい気持ちは山々だが、恋人でもないのに、二人きりで旅行に行くのは、少し気が引けた。



「あれ?でも、これ四人分のチケットだよね?他に誰か行くの?」

「もちろん、他にも誘ってるよ。望月と立花先輩」

 花子は、てっきり二人きりで行くのかと勘違いして、思わず赤面してしまう。



「あっ、なるほどね!それなら、大丈夫だね。立花先輩運転できるし!」

「それならって?」



 何故か慌てる花子に、神楽坂は不思議そうな顔をしている。

「分かった。じゃあ、皆にも伝えておくね」



◇◆◇



 旅行先は、緑が豊かな場所で、車から降りると、清々しい空気に包まれ、花子は、思い切り深呼吸する。

「空気が美味しい!やっぱ、いいね!」

「立花先輩も、運転ご苦労様」



「それはいいけど、よかったの?こんなメンツで」

「いいんですよ、運転できる人は他にいないし、喜多川先輩は無理だって言ってたし」



 どうやら、バイトメンバーの全員に声をかけたのだが、皆それぞれ予定があり、最終的に集まったのが、このメンバーだったのだ。



「いいじゃないですか、望月と一緒に泊まれるんですから」

 花子に、耳打ちされて、立花は顔を真っ赤にさせる。

「だっ、だからなんの話よっ!」

「さぁ、なんの話でしょう」



「荷物、これで全部だな」

 車のトランクから、荷物を下ろし終わった望月が声をかける。

「ありがと、運ぶね」

 立花が、運ぼうとした時、望月が軽々と持ち上げる。



「俺が持つ」

「いっ、いいよ、自分のくらい自分で…」

 立花が断ろうとしたが、望月は無言で、花子と立花の三人分を持ち、スタスタと館内に運ぶ。

 


「ようこそ、いらっしゃいませ。お部屋、案内しますね」

「宜しくお願いします!」



 一行が案内された部屋は、十二畳程ある、和洋折衷の広々とした部屋だった。

「凄い、いい部屋だね!」

「気に入って貰えて良かった」



 花子達が、部屋を見回っていると、ふとベランダに視線を向けると、檜の風呂釜がある。



「も、もしかして、露天風呂…?」

「はい、こちらのお部屋は、露天風呂で、混浴となっております」

「こ、混浴?!」



「えっと、だ、大浴場にしようか!」

「そ、そうだね!」

 花子と立花が、顔を見合わせていると、女将が、申し訳なさそうに、忠告をする。



「大変申し訳ございませんが、本日、大浴場は故障しておりまして、露天風呂しか開いていないんですよ…」



(なんですって?!)

 重大な事実に、花子は思わず目眩に襲われる。

「と、とりあえず、外、散策しに行こうか」

「だね…」



◇◆◇



 外は、夏休みと言うこともあり、家族連れで賑わっている。

「ねぇ、彼女達、観光客?可愛いね、良かったら俺たちと一緒に回ろうぜ」

 店を散策しようとした矢先、大学生だろうか、男性二人が声をかけて来た。



「ごっ、ごめんなさい、私達、友達と来てるから…」

「ええー、友達って、本当に?」

 花子が、困惑しながら断っているが、男達はなかなか引こうとしない。



「じゃあ、その子達も呼びなよ。皆で一緒に…」

 男が、花子の腕を掴んだ時だった。

「俺の友達になんかようか?」

「ひぃっ!!」



 神楽坂と望月の威圧感に、男達は恐れを成し、足早に去って行った。

「大丈夫?」

「あ、ありがとう…」

 花子が礼を言うと、神楽坂が手を差し出す。



「また、変な奴に絡まれないように」

 甘い声で言うと、花子は、手を伸ばした時、望月が、神楽坂の手を掴んだ。

「おい、何どさくさに紛れて、手を掴もうとしてる」

「ちょっと、邪魔しないでくれる?」



 神楽坂と望月が火花を散らしていると、急に雨が振り出し、見兼ねた立花が、望月の腕を掴む。

「えっ…」



 困惑している望月に、立花は、背伸びをして、望月に耳打ちする。

「あたしのこと、忘れないでよ」



 花子と神楽坂は呆気に取られていると、立花は、グイグイと望月の腕を引っ張る。

「ねぇ、ここの喫茶店で雨宿りしない?」



 いつの間にか、数メートル先の喫茶店まで歩いたのか、立花は、喫茶店を指差し、大声を上げる。

 花子と神楽坂は、目を見渡すと、手を繋いで、喫茶店に向かった。



「いただきまーす」

 花子達は、それぞれ頼んだ甘味に舌鼓を打つ。

「あ、美味しい!このソフトクリーム、凄い濃厚!」

 苺パフェを頬張りながら、花子が言う。



「この抹茶のかき氷も美味しい!」

 立花も、氷を口に含みながら、美味しそうに食べている。

 一方、男二人は、甘味ではなく、コーヒーを飲んでいる。



「ていうか、あんた達、それでいいの?」

「俺、甘い物苦手だから…」

 神楽坂が、コーヒーみたいに苦笑いしながら言うと、望月も同意する。

「右に同じ」

 


「ま、いいけどね」

 立花が、また一口舌鼓を打っていると、突然、雷が鳴り、店内が暗闇に包まれた。

「えっ、何?停電?!」



 店内が、阿鼻叫喚に包まれると、責任者の声が聞こえる。

「お客様、大変申し訳ございません、たった今、雷が落ちたようで、復旧まで暫くお待ちくださいませ!」

「う、嘘?!」

「どっ、どうしよう、とっ、とりあえず、スマホ…っ」



 花子と立花も混乱していると、目の前にうっすらと灯りが灯った。

「あ…」

 神楽坂が、スマートフォンをかざしている。

「ありがとう、皆大丈…」



 花子が口を開いた時、目の前で、望月が立花に抱きついている。

「え…っ、ちょっ、望月…」



 立花に声をかけられるが、望月は、尚も望月を抱きしめる。

「おっ、俺…、雷苦手で…。悪い、もう少しこのままでいさせてくれ…」



 思わぬ出来事に、気恥ずかしくて戸惑う立花だったが、ギャップに愛おしさを感じて、抱きしめ返す。

 それから、暫くして、復旧作業が終わったのか、電気が復活した。

 やっと我に帰った望月は、慌てて立花から離れる。



「すっ、すまん!」

「だっ、大丈夫、気にしないで!」

 立花は、誤魔化すように、溶けた氷を口に入れると、神楽坂と花子の、いやらしい視線に気づく。

「ちょっ、何よ、その目はっ!!」



「別にぃ〜、なんでもないよ?ね〜」

 花子は、神楽坂に同意を求めると、神楽坂も同じ調子で同調する。



「ちょっ、望月君も何か言ってよっ!」

 必死に望月に助けを求めるが、状況が分かっていないのか、ただぼーっとしている。



「さ、食べ終わったことだし、帰ろうか」

「そうだね」

 一行が、帰る準備を始めていると、すかさず望月が会計に向かう。

「あ、ちょっと待って…」



 神楽坂も、慌てて後を追うが、望月がそれを制する。

「俺が払う。あいつと、約束したから…」

 神楽坂が、意に介さずと言った顔をしていると、花子が、何をなんのことか、理解する。

(そっか、もうお給料入ったんだ…)



「ありがとうございました!」

 二人は店内を出ると、望月は、立ち止まって、花子に向き直ると、腕を引っ張って、抱き寄せた。



「ちょっ、望月?!こんなとこで…っ!」

「これで、約束は果たした。これで、俺とお前はもう、何も借りはない、対等な関係だ」



「だから、改めて言わせてくれ。俺は、お前が好きだ」



◇◆◇



 暫く静寂が流れた後、客の声が聞こえて、花子はやっと我に帰り、望月を押し返す。

「はっ、離して!」



 望月の腕からすり抜けた花子は、望月の告白に応えることなく、その場から逃げるように走り去って行った。

「やっ、山田さん!」



 神楽坂が慌てて、花子を追いかける。

 望月も、追いかけようとしたが、立花に食い止められてしまった。

「お、おい…っ!」

「馬鹿だね、あんた、見て分かんないの?」



「なっ、何が…っ」

「どう考えても、花子ちゃんが好きなの、あんたじゃなくて、神楽坂君でしょ。それくらい見て分かんないかなぁ?」



 立花に言われて、望月は思わず喰らいつく。

「なっ、なんでそんなこと、あんたが知ってんだよ。本当にそうなら、自分で言うだろ!」



 望月は、立花にそう怒鳴ると、掴まれた手を振り解いて、花子を追いかけた。

「本っっ当に馬鹿な奴…。あたしにしとけばいいのに…」

 立花は、嫉妬心に駆られると、唇を噛み締めて、三人を見送った。



 花子は、我を忘れて、必死に走った。

 不意に、足が止まり、当たりを見渡すと、いつの間にか、人気のない山奥まで来ていた。

「えっ、どこ、ここ…っ」

 花子は、慌ててスマートフォンを開く。



「良かった…、とりあえず、電波は届く…」

 ほっと安堵の息を付いたが、ここがどこか説明できないことに気づき、天国から地獄に叩き落とされた。

「とっ、とにかく、電話を…」

 通話ボタンを押そうとした時、電子音が鳴った。



 神楽坂からだ。

「神楽坂君!」

「山田さん、よかった!とりあえず、電波は届くみたいだね。どこにいるか分かる?」

「それが、分からないの!だから、説明もできなくて…っ!」



「分かった!そこ、動かないでね!」

 電話を切ると、花子は、スマートフォンを握り、ただ願った。



 それから、半時間くらい経った頃、茂みから、ガサガサと葉が擦れる音がした。

「山田さん!!」

「山田っ!!」



 花子が振り返ると、神楽坂と望月がそこにいた。

「神楽坂君っ!!」

 花子は、神楽坂の名前を叫び、抱きしめた。



「良かった、無事で…」

 神楽坂も、それに答えるように抱きしめ返す。

 望月が、抱きしめ合う二人を見て、先程の立花の言葉が脳裏をよぎり、身を翻す。



「大丈夫なら行くぞ」

「もっ、望月!う、うん!」

 花子と神楽坂は、慌てて望月の後を追い、元来た道を引き返した。

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