【二十五話】インターハイ
柔道のインターハイ本番の日、花子は秋山と一緒に応援に来ていた。
「おおー、すっげ、スポーツの競技場とか来たことねぇけど、こんな感じなんだな」
夏の暑さと、人の熱気が入り混じり、秋山は初めて見る会場に、少し辟易していた。
「やっほー、小百合ー、応援に来たよ!」
花子は、既に会場に来ていた小百合を見つけて、手を振る。
「おーっす、って、秋山先輩まで来たの?!」
小百合は、秋山を見つけるなり、照れ臭いのか、文句をこぼす。
「いいじゃん、別に、応援に来るくらい。その為にわざわざ神楽坂に変わって貰ったんだから」
「まぁ、いいけどぉ…。絶対あたしのプレー見たら百年の恋も冷めるかもね〜」
ぷいっとそっぽ向きながら、小百合は憎まれ口を叩く。
「えっと、今回は個人戦と、団体戦と両方なんだよね?」
「そ。あたしは大丈夫なんだけど、ちょっと気になってる子がいてね…」
花子の質問に、小百合は珍しく、不安な様子である。
「気になる子…」
「ほら、あの子なんだけど、今回初めて出る子で、凄く緊張してるみたいで…」
小百合の視線の先にいたのは、
「ふーん…」
何を思ったのか、秋山は、根来に向かって歩き出した。
「あっ、秋山先輩…?」
根来は、秋山を見るなりビクッと体を震わせて、秋山を凝視する。
「なっ、なななんですか?!」
秋山は、困惑する根来と同じ目線で座ると、満面の笑みを浮かべ、優しく頭を叩いた。
「あっ、あの…?」
「大丈夫!そんな緊張すんなって!ほら、もっと肩の力抜いて、ゆっくり深呼吸してみ?」
根来は、突然のことで、困惑しつつも、言われた通りにやってみる。
それを繰り返してるうちに、だんだん肩の力が抜けて行くのが分かる。
「あ…」
根来は、だいぶ緊張が解れたようで、先程までまともに顔が見られなかった秋山の顔を見る。
「どうだ?ちょっとは解れて来ただろ?」
「は、はい…!」
「そっか、じゃあ、もう大丈夫だな!本番頑張れよ!」
秋山は、立ち上がると、大きく手を振りながら、花子と小百合の元に戻った。
「へぇ〜、いいとこあんじゃん」
「あれ?知らなかった?」
小百合に、まるで初めて知ったかのように言われて、秋山は、しれっと言ってのける。
「あの〜、すみません、週間スポーツです!」
突然、記者に声をかけられ、花子と秋山は、思わず緊張する。
「百目鬼選手、インタビューお願いしていいですか?」
「いいですよ!」
「えっ、何?小百合ちゃんて実は結構凄いの?!」
「あれ、知らなかったんですか?実はいろんな大会で優勝してて、オリンピック候補ですよ?」
「うっそ、マジ知らなかった!!」
そうなのである。実は小百合は、高校生にして、女子柔道では右に出るものはいないとまで言われる程の、兵なのである。
「それで、今回の意気込みを聞かせていただきたいのですが」
「そうですね、月並みですが、今まで積み重ねてきたものを、しっかり発揮できればと、思っています」
「ありがとうございます。それで、百目鬼選手には、今日応援に来てる方がいるそうなのですが、その方達に何かメッセージはありますか?」
小百合は、顔を赤らめると、目線を泳がせながら、答える。
「そっ、そうですね…今まで頑張って来られたのは、応援してくれた友達や家族のおかげだと思っています。なので、この場を借りて、感謝の気持ちをお伝えできれば、よ思っています」
「さっ、小百合…っ!」
花子は、今まで直接感謝の言葉など聞いたことがなかったので、思わず感動する。
「では、最後に、プライベートのことで聞きたいのですが、百目鬼選手は、実はこの試合に勝ったら、ある人に伝えたいことがあるんですよね?」
唐突な質問に、花子と秋山はなんのことかと、顔を見合わせる。
小百合は、一層顔を真っ赤にさせる。
「は、はい…そうなんです…今まで素直になれなくて、ずっと言えなかったんですが、今日勝てたら、自身持てるかなって…」
小百合の物言いに、記者は何を意味するのか察したのか、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべる。
「なるほどぉ〜。これは、勝った後がとても楽しみですね!是非とも勝って頂きましょう!それでは、インタビュー、ありがとうございました!」
記者は、聞きたいことが聞けて満足したのか、やり切ったような表情で、その場を去って行った。
記者から解放されて、戻って来た小百合は、疲れたように溜め息を付いた。
「はぁ〜緊張したぁ」
「えっ、緊張してたの?全然見えなかったけど…」
花子に言われて、小百合は、心外だと言わんばかりに唇を尖らせる。
「そりゃあ、あたしだって緊張するよ。インタビューなんて慣れてないもん」
「で、それはそうと、何?さっき言ってた、勝ったら伝えたいことって」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながらはなこに聞かれ、小百合は、顔を耳まで真っ赤にさせる。
「なっ、内緒!」
「ええ〜、いいじゃん、教えてよ〜」
「やーだ!」
「おーい、そろそろ集合しろー!」
顧問に呼びかけられ、小百合は、これ幸いと絡みつく花子の腕からすり抜ける。
「もう行かなきゃ!」
「頑張れよー!」
小百合は、花子と秋山に見送られながら、集合場所に向かった。
◇◆◇
ホイッスルの音と共に試合が始まった。
まずは、個人戦で、小百合の出番は三組目である。
花子と秋山は、客席の二列目の真ん中で、試合を観戦している。
小百合の相手は、これまた強豪で、いつも小百合の一番のライバルである。
会場は、小百合が出るなり、一気に熱気が高まり、観客の百目鬼コールが響く。
花子と秋山は、ただただ会場の雰囲気に呑まれて、無言で小百合を見守る。
しかし、お互い一歩も譲ることなく、ひたすら牽制し合う。
その次の瞬間だった。
「一本!」
小百合の最も得意な背負い投げが、華麗に決まった。
その瞬間、会場は一層大きな歓声に包まれた。
暫し判定の時間が入る。
五分くらいだっただろうか、判定の結果が出た。
もちろん、小百合の圧勝である。
試合が終わると、小百合は花子と秋山と控室前で合流した。
「おめでとー!!」
「いんやぁ、凄かったよ!小百合ちゃんの一本背負い、マジかっこよかった!」
「ありがと」
興奮冷め止まぬと言わんばかりの二人に、小百合は、余裕の笑みを浮かべる。
「次は、いよいよ個人戦だね。あの子、大丈夫かな…」
花子が、先程の女の子を心配そうに見ると、以外にも彼女の方から声をかけて来た。
「さっきは、ありがとうございました!おかげで、勇気貰えました!」
彼女は、秋山の前で、深々と頭を下げると、満面な笑みで礼を言った。
控室の扉が開くと、選手の一人である女の子が、小百合に声をかけた。
「じゃあ行って来るね!」
小百合は、女の子の手を引き、一緒に中に入って行った。
◇◆◇
試合が始まり、皆順調に勝ち進み、徐々に根来の出番が迫って来る。
根来の顔には、先程までの不安な表情は振り払われて、柔道の選手に相応しい勇敢な顔付きに変わっていた。
「いいよ!このまま一気に勝ち進むよ!」
「行ってきます!」
威勢のいい声と共に、根来は舞台に躍り出る。
「初めっ!」
ホイッスルと共に試合が始まった。
相手は、同い年だと言うのに、根来よりも倍はありそうな体つきをしていた。
しかし、根来はなかなか譲らず立ち向かって行く。
相手の選手が根来の胸倉を掴み、足を払い、ねじ伏せた。
審判がカウントダウンを始める。
もうダメかと思ったその時、観客席から、男の声援が、会場に響き渡った。
その声を聞いた時、根来は後僅か三秒と言うところで起き上がり、なんと、自分の倍もある相手を背追い投げで、形勢逆転した。
審判が、旗を上げ、結果を分析している。
すると、審判は、根来の勝利を下した。
一体先程何が起きたのかと、会場中がざわめく。
そんな観客達の気持ちなど梅雨すらず、根来は観客席を目掛けて走ってくる。
根来の男に対する態度を見て、先程あの確実に劣勢だったのに勝てた理由を理解すると、愛の力って凄いな、などと感慨に耽った。
◇◆◇
花子は、このあと十六時からバイトなので、試合が終わると、早々に電車に飛び乗り、コンビニに向かった。
花子を見届けると、小百合は踵を返し、駅のホームを出る。
暫く無言で歩いていると、秋山は、チラリ、と小百合に視線を送る。
「で?さっき言ってたことなんだけど、さ…」
「さっきの話?」
とぼける小百合に、秋山は、唇を尖らせる。
「勝ったら伝えたいことがあるって言ってたじゃん」
「あー、それねー…」
小百合は、辺りを見渡すと、ピタリと足を止めて、夕暮れ空を見上げる。
「引いたでしょ?あんな強い子にあっさり勝っちゃって」
ふと意外な言葉が出てきて、秋山は目をパチクリさせる。
「なんで?」
「だって、こんな強い女、普通男なら嫌でしょ」
「そんなことねぇって!俺は小百合ちゃん、一筋だし!」
小百合は、唐突に、秋山の方を向き、胸倉を掴むと、得意な一本背負いをした。
急に視界が暗転した秋山は、背中に激痛が走った。
「痛ってぇ…。いきなり何すんだよ…っ」
秋山が目を空けようとした時、ふと熱い雫が、頬に落ちた。
「あたしね、昔っからずっと、男より強いし、この名前で鬼、鬼って言われ続けて来たんだ。だから、あたしにはあたしより強い男じゃないとダメだって思ったんだ」
秋山は、初めて見る小百合の泣き顔に、胸が高鳴った。
「だからさ、例え好きな人ができたとしても、あたしより弱い男だったら、フるって決めてた」
「それ、本気で言ってんの?」
秋山は、真剣な表情で小百合を見つめると、自分の胸倉を掴む腕を引っ張り、唇を塞いだ。
長いキスの後、秋山はゆっくり唇から離れると、涙でぐしゃぐしゃの小百合を抱き締めた。
「弱い男でごめん。好きだよ」
小百合は、秋山を強く抱き締め返し、顔を胸板に埋めた。
「あたしも、強い女でごめん。大好きです…っ」
小百合と秋山は、そのまま暫くの間、抱き締め続けた。
◇◆◇
その後、バイトが終わった花子は、電話で、小百合から一部始終を聞いた。
花子は唐突な話に、頭がついて行けず、ただぽかんと口を開けている。
「そ、そっか…。良かったね、おめでとう…。でもまさか、先を越されると思わなかったよ」
「ごめん。でも、もう自分の気持ちに嘘付きたくなかったからさ」
花子は、少し魔が差して意地悪な質問をしてみたくなった。
「もしかしてさ、結構前から、先輩のこと好きだった?」
「んー…。内緒」
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