【十九話】緊急事態発生

いよいよ、望月と約束の日が明日に迫った頃、花子は、選択した二枚のハンカチを取り出した。

(許さなかったつもりが、結局許しちゃうんだよなぁ)



 小百合にも言われたが、やはり甘いんだな、と自分でも思いつつ、花子を溜め息混じりに、鞄の中にハンカチを閉まうと、スマートフォンの電子音が鳴る。

 確認すると、望月からのラインだ。



【明日の、十五時に、宜しく頼む】

 相変わらず、顔の印象通りの、ぶっきらぼうな文が並んでいる。

 花子は、【了解】と言う文字と、スタンプを付けて送る。



 今度は、ただ既読が着いただけで、スタンプも何も帰って来ない。

 何かしながら打ってるのかと考えながら暫く待つもそれ以上は何もなく、ただ単にラインが苦手なのだなと、花子は思った。



 花子は電気を消してベッドに潜ると、天井を見つめながらまた昔のことを思い出していた。

 だが、少し前みたいな、悲観的な感情は、不思議と浮かんでは来なかった。

 花子は、目を閉じて、そのまま深い眠りについた。



◇◆◇



 翌朝、花子は特別デートと言う訳でもないので、小百合と遊びに行く時のような、パンツスタイルで、バイトに向かった。



 店内は、先週同様に、朝から混み合っていて、エアコンが効いているにも関わらず、熱気でむせ返りそうになる。

「お疲れ様です!」



 花子は、バックヤードに入ると、久し振りに綾瀬が顔を出しに来ていた。

「やっほー、山田ちゃん、お久ー!」

「綾瀬先輩、久しぶりです!」

「聞いたよー、色々大変だったんだって?」



 花子は、あはは、と苦笑いをして誤魔化すと、綾瀬が、花子を抱き締める。

「ごめんねぇ、あたしがいないうちに、辛い思いさせて。立花には、ちゃんと言っといたから」

「あ、ありがとうございます」

 花子は、この綾瀬の肌の温もりも、少し懐かしく感じた。



「そういえば、あれから神楽坂とは進展あった?」

「あれ?私、綾瀬先輩に、神楽坂君のこと好きだって、言いましたっけ?」

 花子は、ふと疑問が浮かぶ。

「何言ってんの。そんなん言わなくてもわかるっしょ」



 あっけらかんと言ってのける綾瀬に、花子は、思わず顔を赤らめた。

「わっ、私、そんなに好きオーラ出してます?」



「まぁ、あんたの話聞いてりゃ、大体わかるっしょ。もう告白した?」

 花子は、モゴモゴと口籠る。

「ま、まだです…」



 綾瀬は、大きな溜め息をつくと、呆れた表情で花子を見る。

「なぁにやってんだかぁ〜。ま、そんなこともあろうかと思って、良い知らせを持ってきてあげたのよ」



「いい知らせ?」

 花子は、綾瀬の言葉を反復させていると、綾瀬は、鞄から学園祭のビラを取り出した。



「じゃーん!うちの学園祭のビラだよーん。実は、そのイベントの一つに、カップルのモニュメントがあって、そこで告白したカップルは、絶対に報われるって言うイベントがあるんだ」



 花子は、ドラマや漫画で見たようなベタベタなイベントに、感嘆の声を漏らす。

「もし、よかったら、神楽坂誘っておいで。まぁ、その日まで、まだ二ヶ月以上もあるけどね」



「ありがとうございます…」

 花子が、礼を述べていると、立花がひょっこりと顔をのぞかせる。

「花子ちゃん、おっつー!」

 立花は、すっかり上機嫌で、花子に抱きつく。

 この前とは、随分違う対応である。



「あっ、立花!さっきあたしの話聞いてた?!山田ちゃんに変なことすんなっつってんでしょ!」

 綾瀬が、立花の首根っこを掴み、花子から引き離す。



「その話はもう済んだじゃん〜!よっしーのことも解決したし、もう何もしないって〜!!」

「信じらんないんだよ!あんた、ただでさえ、泣き顔フェチなんだから、好き嫌い関係なく、なんかやりそうだし!」



 花子は、あはは、と渇いた笑いを浮かべながら、逃げるように更衣室に入った。

「あ、そうそう、差し入れ持ってきてるから、後で食べてね」



「ありがとうございます」

 花子は、素早く着替えると、タイムカードを切り、颯爽とレジに向かった。



◇◆◇



 今日は、先週とは打って変わって、そこまで客足は多くなく、比較的穏やかだった。

 十三時の休憩前、最後の客が帰った後、花子は休憩に入った。



 花子は、廃棄品のクリームパスタを手に取り、レンジで温めると、フォークを取って、再びバックヤードに戻る。

「いただきます」



 花子は、パスタをフォークに巻きつけ、口に入れると、クリームとニンニクの旨みが、口の中に広がる。

 花子が、パスタを食べていると、立花が何かを手に持ってやって来た。



「はい、これさっき言ってた綾瀬のお土産」

「ありがとうございます」



 手渡されたのは、この近辺で有名な洋菓子店のシュークリームである。

「あ、そのパスタ美味しいよねあたしも好き」

 花子が持っているパスタを眺めながら、立花は笑う。

「そうそう、あたし、例の件で週三に減らされたから、新しい人募集してたじゃん?」



「この前、張り紙見ました」

 花子は、パスタのビニールを剥がしながら言う。

「なんかさ、明日、面接に来るみたいだよ。高校生だってさ」

「そうなんですね…」



 目を合わそうとしない花子に、立花は察して、笑って誤魔化す。

「やだなぁ。そんな顔しないでよ。全部あたしが悪いんだからさぁ」

 花子は、なんて返したらいいのか分からず、飲み物を飲んで誤魔化すと、立花は寂しげな顔を浮かべる。



「そんでね、花子ちゃんとお寿司食べに行った帰りにさ、よっしーと二人でドライブしたのね。そしたらさ…」

 不意に、立花が言葉に詰まる。



「やっぱり、あたしとは付き合えないって、言われちゃった…」

 花子は、顔を上げると、先程まで気丈に振舞っていた立花が、大粒の涙を流した。



「花子ちゃんのせいじゃないから、もう意地悪したりはしないから、安心して?全部あたしが悪いんだから」

「立花先輩…」



「馬鹿だよねぇ。シフトも減らされて、ずっと大好きだったよっしーにもフラれちゃって…。あたし、どうしたらいいのか分かんなくなっちゃった…」



 自暴自棄になり、この前とは違う悲しみの涙を流す立花に、花子は、胸が痛んだ。

「わぁ、あたし何仕事中に泣いてんだろ。今日はまだ暇だからよかったわぁ」



 尚も笑いながら、涙を流す立花に、花子は、ハンカチを渡す。

「あの、よかったら…」



 立花は、驚いたように目を見開いたが、素直に受け取った。

「ありがと…」

 立花は、涙を拭い、深く息を吸った。

「ねぇ、こんなこと言うのもなんなんだけどさ、この後、なんか予定ある?」



「え…っ」

「もし暇ならさ、慰めてよ。なんか奢るからさ」

 花子は、この後は、二件も予定が詰まってるので戸惑った。



「あはは、嘘、嘘、あんたにそんな義理ないよね。苛めてた奴なんか、慰めたくないよね。ボチボチ商品の搬入時間だし、品出ししながら待つかぁ」



 花子は、猛スピードで脳を回転させ、今日三件の予定を遂行させる為の対策を考えた。

 いくら苛められた相手と言えど、あんな姿を見たら、放って置けないのだ。



 しかし、今日一度に三件の予定を片付けるのには、流石に無理がある。

 花子は、優先すべきは、相手の感情だと考え、そこから取捨選択して行く。



 そして、花子が、神楽坂を後回しにして、立花を優先しようとした時、バックヤードの電話が鳴り響いた。

「お電話ありがとうございます、ロウソン高松店、山田です」

「あ、山田?お疲れ、秋山だけど、今大丈夫か?」

「だ、大丈夫ですけど、どうしたんですか?」



「実はさ、今日十四時から入ってんだけど、渋滞に巻き込まれちまって。神楽坂も一緒にいるから、二人とも遅れる。どれくらいで行けるか、分かんねぇけど、遅刻すっから、悪ぃけど、それまでいてくれねぇか?」



 花子は、更に予定が追加されて、流石に頭がパンクしそうになるが、なんとか気を落ち着けて、冷静さを取り戻す。

「分かりました。とりあえず、秋山先輩と、神楽坂君は遅刻ですね?」



「悪い!店長には既に報告してあるから!できるだけ、早く行けるようにする、それじゃ!」

 そう言って、秋山は電話を切った。



 花子は、とにかく立花に報告しないといけないので、深呼吸をして、店内に向かった。

「さっきの電話、なんだったの?」



 商品の搬入をしながら、立花が聞く。

「秋山先輩と、神楽坂君が渋滞に巻き込まれて、遅れるみたいです。どれくらいかかるか分からないから、行けるまでいてくれって」

「マジ?あたしは暇だから別にいいけど、てか、なんで、あっきーと神楽坂君が一緒にいんの?」



 至極真っ当な立花の疑問に、花子は確かに、と心の中で同調する。

「花子ちゃんは?大丈夫なの?」

「とっ、とりあえず、三時までなら…」

「あれ?なんか予定あるっぽい?」



「い、一応…」

 歯切れ悪く言う花子に、立花は暫し考える。

「じゃあ、他に当たってみるね。よっしーも多分暇だと思うし」

「いっ、いいんですか…」



 花子は、先程フラれた話を聞いたばかりなので、辟易してしまう。

「ばーか。何余計なこと気にしてんの。フラれたけど、同僚なのは変わらないから、こう言う時はお互い様でしょ」



 立花は、花子の頭を軽く小突いて、バックヤードに向かう。

 花子も、望月に連絡する為バックヤードに戻った。



 なんとか、望月には、バイトが遅れるから、遅刻する、と言う旨を伝えた。

 また、日を改めようかと提案もしてみたものの望月は、待つことを選択した。



 立花は、喜多川に連絡を入れてみるが、なかなか返事が返って来ない。

 十四時を過ぎて、代打を引き受けてくれたのは、喜多川ではなく、今日夜勤だった藤田が駆けつけた。



「藤田先輩!」

 花子は、助っ人が見つかって、安堵の息をつく。

「お疲れ、山田はもう帰っていいぞ」

「ほら、早く行きな!」



 藤田と立花に背中を押され、花子は急いで帰宅準備をする。

「たっ、立花先輩!用事が終わったら、その後、空けといて下さい!」



 花子は捲し立てるようにそれだけ言うと、待ち合わせ場所に猛スピードで向かった。

 店内の時計は、十五時を回っているが、秋山と神楽坂はまだ来る気配はない。



「なんだ?お前ら、仲良くなったのか?」

 何がどうなったか訳が分からない藤田は、不思議そうに、走り去って行った花子と、立花を見る。

「ほーんと、お人よしなんだから。あんま可愛いこと言うと、まーた苛めるぞ」

 立花は溜め息混じりに言うと、フッと笑みを浮かべた。

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