【十三話目】望月、再び

その日の帰り道、花子はいつものコーヒー屋ではなく、自宅付近の喫茶店で遅めのお昼を取ろうと電車に揺られていた。

 徐にスマートフォンを開けると、小百合と秋山達からのラインがあった。

 まずは秋山から確認する。



【お疲れ。やっぱり立花先輩のこと心配だから、喜多川先輩に早めに出勤しても貰うように頼んどいた。なんかあったら遠慮なく言えよ】

 とのことで、喜多川が早めに顔を出していたのはやはりカラクリがあったようで、秋山が裏で根回ししていたようだ。



 花子は、秋山に感謝する一方で、秋山にそこまでさせるような人物なのかと、恐ろしくなった。

 花子は、今はデート中だろうから返信しようか悩む。

 どうせ、スマートフォンを開かなければいいだけの話なのだが、花子は少し遠慮して、大丈夫と言うスタンプを返すだけにして、小百合のラインを確認した。



 そういえば、いつの間に、デートに行くことになったのやら。

【おっつー!なんだかんだでさ、結局ギリギリまで悩んで、デートに行くことにした!服とかも用意してなかったから、秋山先輩と見に行くw】

 これまた、なんつーデートだと花子は苦笑した。



 小百合の返信は別に後からでもいいや、と花子は今抱えてる問題について考えることにした。

 星空の時より程ではないと、鷹を括っていたでけに、正直かなりキツい。

 立花が、仕事ができないポンコツな先輩ならば、まだ相談できる人物は多かったのだろうが、とりあえず今は、秋山と喜多川ぐらいしかいないのだ。



 ここに綾瀬でもいれば、まだ打開策は広がるのだが、そもそも今回のことは、綾瀬がいないことで起こったことである。

 いっそのこと、ことを荒立てず、三ヶ月間我慢するべきか…。

 しかし、三ヶ月もあの苛めに耐えられるのだろうか?

 花子は、気が抜けて、公共の場だと言うのに、涙が出てしまった。



「お前はいつも泣いてるな」

 その時、ふと聞き慣れた声が降って来た。

 顔を上げると、望月が目の前に立っていた。

 花子は、ギョッとして、思わず反射的に、拳を振ったが、あっさりと受け止められてしまった。



 望月は、深く溜め息をつくと、この間のように、ハンカチを差し出した。

「俺からなんか、いらないかもしれねぇけど…」

 花子は、今すぐ誰にも頼れないからか、大嫌いな望月の優しささえ縋ってしまいたくなり、無理やりハンカチを奪い取ると、顔を埋めて号泣してしまった。



 望月は、暫く花子の隣で座り、何も言わず、ただ何も言わず、様子を伺った。

「次は志度しど駅〜、志度しど駅〜」

「うっそ、乗り過ごした?!」

 花子は、うっかり乗り過ごしてしまったことに気づき、慌てて立ち上がる。



 ふと、隣を見ると何故かまだ、望月が座っていて、いら見つける。

「なんでまだいるのよ?降りる駅一個前でしょ?」

「ハンカチ返して貰いてぇからな」

 言われて気づいた花子は、あっと声を上げる。



「って言っても、このまま返すのもアレだし…」

「別に構わねぇよ。どうせ、会う機会もないだろうし」

 望月は立ち上がると、ドア付近まで移動する。

 花子は、この前のハンカチのこともあるし、このまま持ったままなのも気が癪なので、どうせならまとめて返したい思い、スマートフォンを出した。



 電車を降りると、花子はラインを開く。

「ライン、教えて。この前のも一緒に返したいし」

 望月は、目を丸くしながら花子を見る。

「いいのか?お前、もう俺になんか会いたくないんだろ?」



 花子は、無性にイラついて、望月を睨む。

「そうよ、会いたくないよ。でもしょうがないでしょ。あんなん持ってたって仕方ないし」

 花子は、捨てると言う選択肢もあったのだが、なんとなくそんな気にはなれなかったのだ。

 棘がある物言いなのに、望月は何故か、フッと嬉しそうに笑う。



 花子は、うっかりその顔を直視してしまい、思わずドキッと胸が高鳴李、咄嗟に顔を隠した。

「どうした?」

 突然そっぽを向いてしまった花子に、望月は顔を除き込もうとする。

「ばっ、ばか!こっち見んな!」



 花子は、自分の心臓の鼓動がうるさくて、沈めようと胸を抑えると、腹の音が鳴った。

「腹、減ってんのか?」

 花子は、やっと引いた涙が、また込み上げて来た。

「うるさいな。忙しくてお昼、食べてないの。これから食べに行こうとしたら、あんたが邪魔したんじゃない」



「そうか…」

 望月は、顎を撫でながら考える。

「だったら、俺に奢らせてくれねぇか?ああ、別に償いとかそんなんじゃなくて…」

 弁解を交えながら提案をする望月に、花子は少し考える。



「仕方ないなぁ。そこまで言うなら別にいいけど…」

 断られるとでも思っていたのか、望月は嬉しそうな顔をしている。

「…あんた、本当変わったんだね。昔はあんな奴だったのに…」

 望月は、表情を曇らせて俯く。



「あの時は本当に悪かったと思ってる。でも、許してくれとは言わない。だから…」

「何やってんの?」

 いつの間にか花子の声が遠くに聞こえて、望月は顔を上げると、目の前には、太陽に照らされた花子が、こちらを見ている。



「行くんでしょ。案内しなさいよ」

「お、おう!」

 少し偉そうに言われながらも、望月はいつも部活の帰りによく行く、ラーメン屋に向かった。



◇◆◇



 花子は、神楽とは全く違う店選びのセンスに、思わず軒先で青ざめてしまった。

 駅前のコーヒー屋とは違って、気品も何も感じられない、濃厚なスープのコッテリとした、いかにもカロリーの高い香りが鼻に付く。

「ラーメン嫌いか?」

「べっ、別にそんなんじゃないけど…」



 そう、別にラーメンが嫌いな訳ではなく、むしろ好きな方ではあるのだが、お洒落な喫茶店を想像していた物だから、雲底の差に辟易しているのだ。

「いらっしゃい!」

 そんな花子などお構いなく、望月が暖簾をくぐると、威勢の良い店員の声が耳に届き、それに誘われるように、花子も入店した。



「あらぁ、のんちゃん!どうしたの、彼女連れて来るなんて珍しい!」

「ばっ、何言ってんだおばちゃん!こいつはそんなんじゃくて、ただの…っ」

 店に入った瞬間、この序と間違われて、はなこと望月は顔を真っ赤にさせる。

「む、昔の同級生だ」



 暫く悩んで、そこに落ち着くと、望月は四人がけのテーブル席に腰を下ろした。

(ラーメン屋なんて久しぶりだなぁ…)

 花子は、店内をぐるっと見渡してメニューを考える。

「あんたはなんにするの?」



「俺か?俺はチャーシュー麺大盛り」

「さいですか…」

 なんというか、見たまんまのメニューで花子は乾いた笑いを漏らす。

 こんな時にも関わらず、花子は神楽坂とのことを考えてしまう。



(神楽坂君なら何頼むかなぁ…。あ、そもそもラーメンなんか頼まないか)

 花子は暫くメニューを眺めるが、なかなか決められず魔が刺したのか、望月と同じものを注文した。

「え…っ、食えんのか?」

「バカにしないでよ。さっきまでバイトでヘロヘロなんだから」

「そっか…」



「おお、お嬢ちゃんやるね!そんな可愛い見た目なのに!」

 横から見ず知らずの男性が、慣れたように話かけて来る。

 テーブルを見ると、空の瓶ビールが転がっており、こんな真っ昼間から、飲んで酔っ払ってるらしい。

「もー、お腹ぺこぺこなんですよ!」

「そうかい。ま、そうじゃねぇと、のんちゃんの彼女は務まらねぇもんなぁ」



 先程の話を全然聞いていないのか、男の客は望月の彼女という体で話を進める。

「だぁかぁら、彼女じゃなくて昔の同級生だって!」

 これ以上訂正する気になれない花子に変わり、望月が必死に訂正するが、男の客はへへっと笑う。

「同級生って、のんちゃんにいんのかい?だってお前、中学の時、どっか引っ越したんだろ」



 唐突に昔の話になり、望月は言葉に詰まり押し黙ってしまった。

 花子は、小百合が望月は引っ越したと聞いてことを思い出し、やっぱりそうなんだと心の中で呟く。

「なんだったっけな、そうそう、両親が離婚して、そんで引越したんだろ?あの頃は父親からも、酷ぇ暴力振るわれて、大変だったって…」



「…めろ」

 蚊が鳴くような望月の声が聞こえて、花子はハッと目を見開く。

 しかし、全く聞こえない男の客は、話すのを止める気配はない。

「そうだ、母親もさ、その時は傷心しきってて、父親とお前と一緒に心中しようとしたんだっけな。包丁でお前を刺して血まみれになってたとこを発見されて、警察沙汰になったって…」



「やめろって言ってんだろ!!」

 店内に、望月の怒号が響き渡ると、騒動に気づいた女将が、厨房からやって来た。

 先程まで、穏やかだった望月の険悪な表情に何かを察知し、慌てて男の客に駆けつける。

「ちょっと、どうしたの、二人とも!」



 望月は我に帰り、顔を背けた。

「いや、なんでもないです、すみません…」

 震える体を抱き抱え、必死に耐えている望月に、花子は思わず肩を抱こうと、そっと両手を伸ばしたが、望月は咄嗟に後ずさった。



「あ、悪い…」

「う、ううん…」

 花子は行き場のなくなってしまった手を引っ込めると、居心地悪そうに肩を竦める。

「おまち同様ー!」



 暫し沈黙が流れた後、注文していたラーメンが来て、花子はホッと安堵の息を吐くと、座り直してお冷で喉を潤した。

「さ、食べよ!いただきまーす」

 花子は、レンゲを持ち、スープを一口飲む。

「あ、美味しい…」



 意外そうに言う花子に、望月はフッと微笑見ながら割り箸を取ると、

「だろ?」

 と得意げに言って、豪快に麺を箸で掴むと、ズルズルと遠慮なく音を立てて口一杯に頬張った。

 最初は遠慮がちだった花子も、負けじと、麺を箸で掴みしっかり音を立てながら食べる。



「ご馳走様でした!」

 花子は、スープもしっかり飲み干して、両手を合わせて満足そうに言った。

 まさか本当に食べ切ってしまうとは思っておらず、望月は豆鉄砲を喰らったような顔をしている。

「なっ、何よ?」



 自分をマジマジと見つめられて、花子は望月を睨み付ける。

「いや、本当に全部食うとは思わなかった」

「いいでしょー、美味しかったんだからー。さ、帰ろ」

「お、おう」



 二人は会計に向かうと、金額を聞いて財布を確認しながら、何やら青ざめてる望月に嫌な予感がよぎった。

「…もしかして、足りないの?」



「い、いや、そんなことは…っ!」

 望月が服のあらゆるポケットを必死に探すが、金が出て来る気配もなく、思わず笑いが込み上げて、声を出して笑う。



「情けないなぁ〜。自分の分ぐらい出してあげる」

「いっ、いや、そんな訳には…っ!」

 拒否しようとする望月を無視して、花子は足らない分を出して、さっさと会計を済ませた。

「ご馳走様でした!」

「ありがとうございましたー!」



 軽快な足取りで店を出る花子を、望月が後を追う。

「まっ、待って!この借りは今度ちゃんと返すから…!」

「もういいってば、そんなことはあたしより稼いでから言いなさいな」

 ふふん、と花子は先輩風をふかしながら、駅の方へと歩いて行く。



「あ、そうだ」

 花子は、立ち止まって振り返ると、背伸びをして、人差し指を望月に突きつけた。

「昔の事、絶対許さないって言ったけど、やっぱやめたわ」

 唐突に言われて、望月はキョトンとする。



「次、ちゃんと奢ってくれたら、それで全部許す」

 そう言うと花子は、身を翻して、駅に向かって歩き出した。

 その時にはもう、花子の胸の鬱屈とした感情は、消え去っていた。


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