【五話目】困った依頼人

でさぁ、昨日ラインでも話した、神楽坂君のことなんだけど〜」

 学校の昼休み、花子と小百合は学食でご飯を食べていた。

「はいはい、聞いてる聞いてる」

 小百合は、またその話かと雑な返事をしながら、オムライスを食べている。



「バイト行ったら人集りができててさ、もうアイドルって感じで、仕事もできるしマジ凄かった!」

「そっか、それはおめでとう」

 オムライスを食べながら小百合は、少し気の早い祝いの言葉をかける。



「いやいや、まだ早いって。会ってまだ初日だし、彼女いるかも聞けなかったし…」

「え、何やってんの。そんなイケメンなら早く聞かなきゃ」

 呆れ気味に言われるが、花子は視線を落とし、彼の身の上を案じる。



「それがさ、彼、前のところ、同僚の人にストーカーに遭ったのが原因で辞めたんだって。だから、聞きづらくて」

「ああ…。それは、大変だったんだね…」

 小百合は言葉を濁す。



 どうしたものかと花子が思考を凝らしてると、知らない人が話しかけて来た。

「ちょっと、山田さん…、だっけ?話あるんだけど今いい?」

 一体なんだろうとその人物の顔を確認すると、どこかで見たことある気がして、花子ははて?と眉をひそめる。



「あんた、神楽坂君知ってるでしょ?バイト先の。これ、渡してくれない?」

 その言葉でようやく思い出した。

 そういえば、昨日コンビニにいた、神楽坂の取り巻きの一人だ。



「昨日初めて会って、めちゃくちゃタイプだったから連絡先聞こうとしたんだけど、教えてくれなくて。だから、同僚のあんたからなら受け取って貰えるかなって…」



「はぁ…」

 なんとも面倒くさいことを頼んで来るものだと、花子は生返事をして、受け取ろうか考える。



「とにかく、渡してね!絶対だから!」

 彼女は自分の名前を名乗ると、有無を言わさず机の上に置いて強引に頼むと、その場を去って行った。

 明らかに面倒臭い案件に、小百合も呆れた顔をしている。



「どうするの?今の人あたし知ってるけど、結構面臭い人っぽいよ」

 聞けば一つ上の先輩だそうで、バスケ部のエースで取り巻きも多いのだそうだ。

 


 花子は益々面倒臭くなって、深く溜め息をついた。

「でも、彼女いるか聞くチャンスでもあるんじゃない?」

 小百合に言われて気付いた。

 言われてみれば、確かにそうかもしれないし、彼女がフラれたとしても、それは自分の責任ではない。



 しかも、連絡先を無理やり渡されてしえば断ることすらできず、それならば逆に利用したらいいと、花子は考えて、渡された紙切れを財布の中に入れた。



「そういえば、次の授業なんだっけ?」

「科学だから移動だよ。ごちそうさまでした」

 花子は慌てて残りのオムライスを食べると、トレーを返却口に置いて、次の教室に向かった。



◇◆◇



 次に神楽坂と会うのは土曜日の昼だった。

 少し重い足取りで花子は、コンビニに向かった。

 店内に入ると、神楽坂がいないからか、混んではいるものの、人集りはできておらず、安堵の息をつく。

 


 花子は喉を潤す為、水を買ってからバックヤードに入る。

「おはようございまーす」

「おう。どうだった?この前は?」

 商品の発注をしていた秋山が、花子を見るなり、いつもと変わらぬ様子で。この前のことを聞いて来る。



 どうやら、この前自分の下着姿を見たことは、秋山の中ではなかったことになっているようだ。

 まぁいつまでも引きずってる訳にもいかないので、花子も同じ対応をする。



「別にどうもありませんよ。彼女いるかも聞けなかったし」

「そうか…。ま、焦ることはねぇさ。ぼちぼち頑張れ」

 更衣室に入った時、神楽坂がやって来た。

「おはようございます!」



 その声に反応して、花子はこの前先輩に渡された紙切れを持っていることを確認する。

「おーう、お疲れ。綾瀬から聞いたよ。この前大変だったみたいじゃんか」

 神楽坂は申し訳なさそうに、苦笑いをする。



「すみません、ご迷惑おかけして…」

「まぁ仕方ねぇさ。仕事はできるから、それさえやってくれりゃあ俺はどうでもいいし」



「ありがとうございます。えっと、秋山先輩でしたよね、改めて宜しくお願いします」

 神楽坂は丁寧にお辞儀をして挨拶すると、秋山はヒラヒラと手を左右に振る。



「ああ、いい、いい、そんなん。堅苦しいの嫌いなんだよ、俺」

 着替えながら花子は、ほらね、と笑みをこぼす。

「あ、そういえばさ、お前さ、彼女いんの?」

 唐突に話題を変えて、花子は耳をダンボにして聞き耳を立てる。



 突拍子のない質問に、神楽坂も戸惑ったが、素直に答えることにした。

「いませんよ、彼女なんて。ストーカーされてコリゴリなんです。だから、自分から好きになった人にするって決めてるんですよ」



 なかなか堅実的な答えに、秋山はほー、と感嘆の声を上げて徐に立ち上がると、神楽坂の肩を絡ませる。

「それはそうとさ、お前、ここに来た理由って本当にそれと学費を稼ぎたいって理由な訳?聞いたところ、金持ちみてぇじゃん?」



「…どこから聞いたんですか、それ」

 神楽坂は秋山のリサーチ力に思わず、表情が強ばる。



「神楽坂なんて、珍しい名前だし、ここにいる連中って本当に稼ぎたいからって言う奴、殆どいねぇからさ。ぶっちゃけ、俺だって、モテたいからだし、綾瀬なんてグッズが手に入りやすいからだし、夜勤組の奴らなんてもっと凄ぇぞ」

「そ、そうなんですか?」

 


 会って間もない自分に饒舌に個人情報を教えて来る秋山に、神楽坂は辟易している。

 だが、神楽坂はこの先輩なら、本当のことを話しても大丈夫だと思い、胸の内を伝えることにした。

「…引かないでくれます?」

 


 夜勤組の話は少しハッタリではあったものの、秋山は本当に別に理由があるのかと、目を見開いた。

「俺、実は苗字フェチなんですよ」



「はい?!」

 準備ができたにも関わらず、出るに出れなかった花子が、思わず大声を上げてカーテンを開けた。



 中に山田がいるのはシフトで確認していたから分かってはいたが、神楽坂は今でのことを聞かれていたことに、苦笑する。

「山田さん、もしかして聞いてた?」

「ご、ごめん…。聞くつもりなかったけど、聞こえたから…」



 もごもごと言葉を濁しながら花子は言う。

「それよりも、今の話どういうこと?!神楽坂君も苗字フェチって…」



 今まで人に話したことなんて殆どなかったのに、ここまで聞かれてしまっては仕方ないと、神楽坂は顔を赤らめて口に手を当てながら白状する。

「俺、苗字フェチなんですよ…」



 その場にいた全員が呆気にとられていた。

 まさか、山田以外に同じフェチの人間がいようなんて、思いもしなかったのだ。

「マジで…?」

 秋山が聞くと、神楽坂は、はい、と頷く。



「俺、こんな名前じゃないですか?だから昔っからからかわれて嫌だったんです。テストや書類に書く時も面倒だし、印鑑だって特注じゃないとないし。だからか、子供の時から普通の、平凡な名前に憧れてて…」

 恥ずかしそうにポツリポツリと神楽坂は呟く。



「だから、苗字どころか下の名前までキラキラネームとかも聞くだけで鳥肌か立つくらい、拒絶反応が出ちゃうんですよ。だから、付き合う人は、普通の名前じゃないとダメだなって…。だから、バイトしてれば、いつかは自分好みの名前の女性に巡り会えるかなって…」



 この時、花子は今まで自分にこんな名前をつけた親に、初めて感謝の気持ちが沸き上がった。

(ありがとう!お父さん、お母さん!!)

「あれ、て言うか、山田さん、自分もって…?」

 花子の何気ない一言を、神楽坂は聞き逃さなかった。



「あ、わ、私…。実は苗字フェチなの…。自分もこの名前で小学校の時から、六年間ずっとからかわれてて…。だから、神楽坂君みたいな変わった苗字に憧れての…。」



 神楽坂は思わず目を疑った。

 神楽坂もまた、自分と同じ性癖の人間がいるとは到底思わなかったのだ。



 暫く呆けていた秋山が、腹を抱えて笑い出した。

「秋山先輩?」

「いや、すまん、マジで面白すぎるわ、お前ら…!つか、神楽坂、マジでそんな理由だったのかよ、最高だわ」



 仕事が終わり、バックヤードに来た綾子が、笑い転げる秋山を怪訝な表情を浮かべながら見てる。



「どしたの?あいつ」

 秋山を指差しながら、綾瀬に聞かれ、なんでもないですと花子はタイムカードを切って逃げるようにレジに入った。

 神楽坂も神楽坂で顔を赤らめているもんだから、察しのいい綾子は、なにかあったと言うことは理解した。



「神楽坂ー、さっさと着替えな、あたし帰れないじゃん」

 綾瀬に急かされて、神楽坂は慌てて更衣室に入った。



◇◆◇



「ありがとうございましたー!」

 昼のピークがすぎ、ようやく客足が引いた頃、花子は横で接客している神楽坂に視線を送る。



(なんか、凄い話になって来たな…。まさか、神楽坂君も苗字フェチなんて。まぁ、私と逆だけど…)

「あっ!」



 花子は言伝てを頼まれてたことを思い出して、制服のポケットに入れた紙切れを取り出す

「神楽坂君、ちょっといい?」

「何?」

「あのね、この間取り巻きの人達いたでしょ?その中の一人が、私の高校の先輩で、これ渡してくれって…」



 神楽坂は瞼を持ち上げて、記憶を辿ると、だいたいその人物のことを理解できた。

「ああ…。うーん…」

 神楽坂はぐしゃぐしゃと頭を掻いて、言いにくそうに言葉を濁す。



「さっきも言ったけど、俺、変わった名前の子って苦手なんだよ。それに、自分で直接言えない人も信じられないって言うか…」



 至極全うな答えに、花子はやっぱりね、と思う。

「断るのも、山田さんが言うんだよね?俺が言うから、店に来て貰えないかな?」



 飽くまで人を傷つけない誠実な対応が、ますます花子に好印象を与えると、花子は渡そうとした紙切れをポケットに戻す。

「じゃあ、明日にでも直接話せない聞いてみる。神楽坂君、明日入ってたっけ?」


 

 神楽坂は客がいないのを確認して、バックヤードに入り、シフトを見る。

「明日も同じ時間だから、上がってからゆっくり話せると思う」

「分かった、明日伝えとく」



 そして明くる日、花子に伝言を依頼した先輩は、神楽坂にきっぱりとフラれたことになるのだった。

 花子はこの時はまだ、この先輩から壮絶な苛めを受けるなんて、思いもしなかったー…。

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