第20話「悩むよりもでござる」


「イヴェル! レガンでも良い! おらんか!?」


 全力で走って帰って領主屋敷に飛び込んだ妾の第一声じゃ。


「あれヤヨイどん。今日は早かっただ――」

「ネージュでも良い! 竜の瀬の昔について教えてくれ!」


 師匠の歳は妾より二つ上の二十二。長月めと同じなのがなんとなく癪だがそんな事は今どうでも良い。

 ちなみにレガンは二十一らしいがそれこそ今はどうでも良い。


 師匠の知る限りでは産まれる前よりさらに四、五〇年前に一度、今回のような土砂崩れがあったと聞いたような気がするらしい。

 その後は起こっていないのは間違いないそうな。


 何故そんな重要なことを今まで黙っておったんじゃと思わぬでもないが、リッパの者どもは皆、ただの土砂崩れだと思うておるから致し方ないか。


 大体な、土砂崩れというのはもっと、こう、急斜面や崖が崩れて落ちるのを言うのじゃないか?

 竜の瀬の北の丘、あれは急斜面と呼ぶには程遠いなだらかな丘じゃ。


 という事は――だ。

 もう一度あの、師匠の麦粥を頭に描いて考えを纏めるとじゃ。


 ざっくり六、七〇年毎に崩れるとすれば……その都度あの、ヴィヨレが見つけた地割れが見つかる、という事になる――のか?

 それがさらに拡がっておった、ような、気がした、と。


 うー…………ん、分からん。

 考えたとても分からなそうな事を考えるのは好かん。


 恐らくだが、毎日毎日ほんの少しづつ滑っておるんじゃろう。

 それこそ年間で三センチ一寸六センチ二寸、いやもっと小さいかも知れん。


 さらに恐らく、冷えた溶岩のすぐ上に溜まる水の量が多ければ多いほどによく滑る……のかも知れん。


 いかん、頭から煙が出そうじゃ。


 ふと、胸の前で組んだ腕をほどいて顔を上げると長月がいた。

 なんじゃ、いつの間に帰ったんじゃ?


「姫さまは変わらんでござるなぁ」

「ん? なんのことじゃ? 妾の何が変わらんと?」


「昔からそうでござった。あまり物事を深く考える方ではござらんが、考え始めると一切周りが見えなくなる所でござるよ」


 そんな事はないだろう。妾の視野はいつでも周囲を捉えとるぞ?


「夕食を覚えてござるか?」

「は? まだ食うとりゃせんが何故か腹はちっとも減っとらん」


「湯浴みは?」

「…………さっぱりしとるらしいな」


「そ、それがしは着替えさせたりしとらんでござるぞ! ネージュでござる! 『起きてはいた』からなぞとか言うておらんでござるぞ!」


 知らん間に飯も食うたし湯も浴びたのか。恐ろしいもんじゃな。

 けれどそれで良い。いま妾にできることを全力で、じゃ。




 夜が明けた。

 色々と考えようとベッドに入った所までは覚えておるが、知らん間に睡眠も取ったらしいわ。


 もちろん考えはまとまっとらん。寝とったから。


 しかし結論は出た。

 逆に長月へのマッサージの事はすっかり忘れておった。すまん長月。


「ネージュ! 弁当を拵えてくれ! 今日から妾は毎日竜の瀬へ行く!」


 とにかく鉄筒ぶっ刺して調べるのみじゃ!

 悩むよりもぶち当たる! それこそ妾よ!


 雨降りじゃろうがなんじゃろうが毎日やる。

 さらに期限も設ける。


「イヴェル、頼みがある。ジャンヴィエ殿に遣いをやってくれ」

「領主殿へ……どのような遣いを? 先日の土砂崩れについてはもちろん報告済みですぞ?」


「続報じゃと思えば良い。地すべりから未来の領民を守る為じゃと、だから一度こっちへ来てくれと伝えて欲しい。で、と付け加えてくれ」


 忙しいじゃろうが来て貰うた方が都合が良い。

 あちらまで早馬で数日、さらにこっちへ来るのに馬車でもう少し掛かる。

 こちらから赴くよりもなんだかんだでロスがない。


 さらに、新婚じゃ初夜じゃと浮かれる妾の尻も叩けるという算段じゃ。


 さぁ、がっつんがっつんやるぞ!




 と、意気込んだのは大変結構じゃったが。


 実に地味な絵面よの。

 鉄筒ぶっ刺して継いで叩いて抜いて、土ほじくり出して何本掛かったか、底に硬い層はあったか、湿り具合はどうだったかを書き出してを繰り返す。


 これが何かの絵本や物語ならば、あっという間に放り投げられるの必定じゃ。


 などと詮無いことを考えつつも手を体を動かしつつ、もう二、三日でジャンヴィエちちうえ殿がやってくるかと言う頃、初めに刺しておいた木杭の分が調べ終わったんじゃ。


 ……調べ終わったんじゃが。


「そうか……。溶岩の層は、そうなっとったのじゃな」


 師匠の麦粥じゃ。

 妾がスプーンで押さえてズラしたあの麦粥。


 あれは確かに、川底も対岸の街道もんじゃったわ。


 たかが麦粥で作った竜の瀬じゃと思うておったが、いやはやなんとも、再現できておったとはな。


 ふむ。

 ならば明日はマヤト川の中、それこそ蛇のように川面に突き出た瀬に鉄筒を刺すとしよう。


 そしてさらにその先……


 そこを調べるには奴が――、あの旨そうなデカい猪が邪魔じゃな。

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